村上春樹はノーベル賞なんか受けなくても既にすばらしい作家なのだから、彼のファンの皆さんが、変に権威主義的な認定を求めて右往左往する必要はないのではないか。
ノーベル文学賞を受けた作家が最高の物書きではないことは、日本の状況を見ただけでもよく分かる。ノーベル賞作家の川端康成と大江健三郎はもちろん優れた小説家だ。
だが ー飽くまでも個人的見解だがー 彼ら2人が日本最高峰の作家ではない。彼らの前に安部公房、三島由紀夫、谷崎潤一郎らがいる。川端と大江はその後にさえ来ない。
3大作家に続くのは、藤沢周平、司馬遼太郎、山本周五郎だ。その後にようやく川端康成と大江健三郎がランクインする。
もっと言えば、日本人作家では夏目漱石がいの一番にノーベル賞をもらうべきだった。しかし1916年に死没した彼の小説が、英語なりに翻訳されて読まれるのはほぼ不可能な時代だったから、1901年に始まったばかりの同賞が彼に行くことはあり得なかった。
年代にこだわって言えば、漱石の次にノーベル賞に値する日本人作家は谷崎潤一郎だろう。事実彼はノーベル文学賞候補になったことが知られている。川端康成は彼の死から3年後の1968年に受賞した。
では、独断と偏見で近代日本の小説家をランク付けしてみよう。その順位がノーベル文学賞に値する日本人作家の順位でもある、というのが僕の意見だ。
1.安部公房 2.村上春樹 3.夏目漱石 4.三島由紀夫 5.藤沢周平 6.谷崎潤一郎 7.山本周五郎 8.司馬遼太郎 9.大江健三郎 10.川端康成11.宮本輝 の順である。
もしかすると藤沢周平、司馬遼太郎、山本周五郎の3人を、日本文学界の奇怪なカテゴリ振り分け慣習に基づいて、大衆文学作家だからノーベル賞に値しない、と反論する者があるかもしれない。
だがそれは当たらない。重箱の隅をほじくる、という形容さえ使いにくい細部フェチの退屈な純文学作品などよりはるかに優れた「文学」になっているのが彼らの小説だ。
それでもまだ納得しない者は、先日のボブ・ディランの受賞に目を向けてみてはどうか。音楽に乗せて世界を魅了した彼の歌詞はまさに大衆芸術だ。
大衆に応えるゲージュツ作品もノーベル賞に値する、といみじくもそれは宣言している。藤沢、司馬、山本の3大エンターテイメント作家がノーベル文学賞でも僕はおどろかない。
でも残念ながら3人とも亡くなってしまったから、ノーベル文学賞の規定が「死没した芸術家も対象にする」と変わらない限りその夢がかなうことはないだろうが・・・
閑話休題
再び僕の独断と偏見では、村上春樹はたとえノーベル賞を受けなくても川端康成や大江健三郎より優れた(面白い)作家だ。ノーベル賞はくれるならいただきましょう、くれないならどうぞご自由に、というくらいの構え方でいたほうがいい。
いや、むしろ権威主義的なノーベル賞は彼には似合わない、と考えて村上春樹の受賞はない、と決めつけたほうがいいかもしれない。彼は芥川賞も直木賞ももらわなかったが、二つの賞の受賞作家の誰よりも優れた物書きだ。ノーベル賞でもきっと同じ。
そういう風にとらえて忘れてしまえば、意外に早く村上春樹ノーベル賞受賞のニュースが入るような予感がする。ボブ・ディランの頭上に突然喜びの光が差したように・・・
それにしても、日本人作家のノーベル賞候補の中では、かろうじて9位と10位にランク付けされるに過ぎない大江健三郎と川端康成が、実際に同賞を受賞したのだから、日本文学のレベルは凄いの一言に尽きるのである。