話にならない、とはまさにこのことである。
米大統領選の最終討論会で、共和党のトランプ候補が「選挙結果を受け入れない」と示唆したことだ。
それは負けを認めない未練がましい行為、として見過ごされるべき軽い事案ではない。なぜなら彼はそこで米国の民主主義を完全否定しているからだ。
米大統領選挙では、敗れた候補者が結果を受け入れて「敗北を認める」と宣言することが常道である。
それは暴力と血にまみれた試行錯誤を経て確立された「平和裏の政権移譲」の原則によっている。「1800年の革命」とも呼ばれる米民主主義の根幹の考え方である。
負けた候補者は敗北を認めることで、自らの次の政権奪還を担保するのだ。つまり敗北者の敗北宣言とは、次回は私が大統領になりますよ、と宣言しているも同然なのである。
勝者はこれを受けて敗北者の挑戦を承認。自らも4年後の再びの勝利を目指して努力をすることになる。勝者と敗者は言うまでもなく個人でもあり彼らが属する政党のことでもある。
それは権力の禅譲と民主主義の完璧な遂行を確認する儀式だ。あるいは民主主義の原理に忠誠を誓う行為だ。
たとえば日本の選挙では、負けた候補者が支持者に向かって「私の不徳のいたすところです云々」と語るのが普通である。
それは民主主義の原則に忠誠を誓うというよりも、潔(いさぎよ)さとか謙虚さとかに価値を見出す日本特有の美学に基づく行為に過ぎない。
それでもトランプ氏の見苦しい言動に比べれば、日本人の行動は雲泥の差と形容しても構わないほどの崇高な態度に見える。
共和党は今後の同党のためにも、米国の民主主義のためにも、そして世界の為にも、可能ならば、本気でトランプ候補を撤退させる道を探った方が得策ではないか。