一週間ほど前、10月20日木曜日にブログの閲覧者が爆発的に増える「事件」がまた起きた。
その当日と2日前に投稿した記事のどちらかが読まれているのだろうと思った。
アクセス解析機能で調べてみたらどうも様子が違う。
ブログを訪問しているのは「ヤラ・ガンビラジオ」という検索ワードから導かれた人たちだと分かった。
ヤラ・ガンビラジオは僕の住ま居から近いベルガの少女だ。2010年に殺害された。
事件は驚くような経緯をたどって解決され、犯人は先日、ベルガモ重罪裁判所で終身刑を言い渡された。
死刑のないイタリアではもっとも重い刑罰である。
僕はそのことを書こうと思いつつ時間ばかりが過ぎた。
そこでいつものように「書きそびれていること」の一つとして2014年9月にブログで短く言及した。
どっと増えた閲覧者はその記事を訪ねているようだった。
どこかで誰かが「ヤラ・ガンビラジオ」について論及し、皆がそれについての情報を検索するパターンである。
以前にも、シリアのアサド大統領夫人アスマ・アサドについて書いた記事に閲覧者がどっと群がったことがあった。
それはNHKが7時のニュースで、アスマ・アサド夫人の名前に言及したからだ、と調べて分かった。
大手メディアの影響力はそんな具合に絶大である。
それに比べたらブログなんてほんとにささやかなものだ。
ましてや僕のブログのようにわずかな読者しかいない媒体なんて、悲しいという形容も悲しいほどの、無力な代物だ。
それでも僕はネットというすばらしい表現手段を大切にして、発信を続けようと思う。
理由は簡単だ。僕はその表現手段がたまらなく好きなのだ。
好きこそ物の上手なれ、という言葉もある。ずっと発信し続けていれば表現がうまくなり、なにかいいことも起こるかもしれない。
閑話休題
閲覧者にならって僕も「ヤラ・ガンビラジオ」と打ち込んで検索した。
しかし、僕のブログ記事以外にはこれといったものは見つからなかった。
アスマ・アサド夫人の時は日本の友人知己に問い合わせてNHKのニュースに行き着いたのだが、今回はそういう作業はしなかった。
ヤラ事件に関しては、ブログで数行触れただけできちんとしたものを書いていなかったからだ。
結局なぜ訪問者が増えたかは今もって分からない。
だけど、その不思議な出来事に触発されて「ヤラ・ガンビラジオ」事件について書きたくなった。
なにかと批判もされ反発も受ける政治絡みの記事を書くことに疲れたので、次のエントリーからはできればもっとも自分らしい「政治抜き」の話でいきたい。
でも、なにかと理不尽なことが多い政治については、やっぱりひとこと言いたくなる。
これは悪い癖だろうか、でももしかして、良い癖だろうか。。。。。