ミラノ中央駅
イタリアにある膨大な数の歴史的建築物の中で、最も新しいものの一つがミラノの中央駅舎である。1931年にオープンしたミラノ中央駅は、イタリアの国鉄駅の中ではずば抜けて威厳のある外観を持つ建物。世界で一番美しい駅舎と呼ぶ建築評論家もいる。
駅舎は1925年に工事が始まって6年後に完成。イタリアの国家的大プロジェクトは、かつては何百年も工事が続くことも多く、その伝統は今も残っていて進捗が遅い。大事業だった駅舎がわずか6年で完成したのは、マッチョで厳しいファシズム政権が関係者の尻をたたき続けたからである。
駅舎を規定する正式な建築様式名はない。リバティやアールデコの混合様式とされるが、「リットリア様式」とも呼ばれる。リットリアとはムッソリーニが権力を握っていた時代の建築群の総称。つまりファシスト様式。古代ローマ帝国に倣って質実剛健を目指したと言われる。
僕が知る限り、ミラノを訪れる多くの日本人も駅の堂々としたたたずまいには感動する。僕も嫌いではない。ところが、実は、この駅の建物を多くのイタリア人は嫌う。理由はただひと言「威張っている」、である。要するに洗練されていない、ということだ。
僕はイタリア人のそのセンスや見識に感嘆する。例えばベニスの中心、大運河沿いに立ち並ぶ建築群は、その一つひとつが洗練を極めた美しいものばかりである。それに比較するとミラノ駅舎のシンプルな力強さは、硬い印象があり繊細とは言えないかもしれない。
ベニスでは当時の貴族や大商人が、東方貿易で得た莫大な富を惜しみなく注ぎ込んで、優美な建築物を作った。大運河沿いに家を持つことは名誉なことだと考えられたから、彼らは競ってより美しいものを創ろうとした。そのために建築群はさらに洗練を極めることになった。彼らにはそんな家が必要だったのである。
一方独裁者のムッソリーニは、自らの威厳を示そうとして大上段に構えた威圧的、高圧的な印象を持つ建物を創る必要があった。要するに彼もまた彼なりの必要に迫られたのである。「建物とは人」のことなのだ。そうやってムッソリーニの時代には、ファシズムを象徴するリットリア様式の建築物が多く造られ、中でも目立つものがミラノ中央駅舎である。
目の肥えたイタリア人は、駅舎の威風にムッソリーニの野心やごう慢や民主主義への冒涜などをかぎ取ってまゆをひそめる。それは洗練を極めた建物群で街を埋め尽くして、ついには全体が芸術作品と言っても過言ではないベニスのような都市を造ってきた、イタリア人ならではの厳しい批評だと僕には見える。
建築が彼らに受け入れられるためには、ムッソリーニの負の記憶がなくなって、駅舎が建物自体の生命を宿し始める、恐らく何世紀もの時間が必要に違いない。長い時を経ても駅舎がなおそこに立っているなら、それはつまり人々が、存続させるに値する建物、と考えたからである。
誰かが必要としたために生まれた建物は、その後の人々の要求に支えられて生き続け、時代の要望やニーズによってさらに長生きをし、短い命しか与えられていない我々人間から見れば、ほとんど永遠にも見える年月をさえ生き抜く。
駅舎が将来そんな運命をたどったまさにその時こそ、人々は建物を美しいと感じるだろう。長い時間を生き延びてきた建築物に宿る独自の生命、つまり建物を必要とした古人の意図と、時間と、建物そのものが分かちがたく融合した美に心を撃たれて、人々は恍惚としてそこに立ち尽くすはずである。