先日、僕の住む地域で日本紹介の文化祭りがあった。古武道に始まり、茶道に花、盆栽、楽焼、漫画、映画紹介など、など、多岐にわたるにぎやかな催し物だった。

そこはミラノにほど近い、日本で言うなら大き目の村だが、文化的な催し物への関心が割と高く、日本関係を含むイベントもよく開く。イベントを観光産業に結びつけたい狙いもあるようだ。

僕は今回は、イベントで上映する日本映画の選択と紹介、および解説を頼まれた。祭りの主役は古武道なので、それに掛けて時代劇のうちの黒澤映画“用心棒”と、日本文化紹介に因(ちな)んで“おくりびと”を選んで上映解説した。

用心棒は1961年作。黒澤はそれ以前に、ベニス映画祭で金獅子賞(最高賞)に輝いた「羅生門」や「七人の侍」を発表していて、既に世界的に知られた監督だった。

用心棒は、黒澤を含む全ての映画監督の優れた作品がそうであるように、そこかしこに新しい発見、あるいは独創をちりばめた楽しい映画だが、それ以外の要素でも世界の注目を集めた。

映画公開から3年後の1964年、用心棒はイタリアのセルジョ・レオーネ監督によって「荒野の用心棒(伊タイトル:per un pugno di dollari)」というタイトルでリメイクされた。主役はクリント・イーストウッドである。

僕は今リメイクと表現したが、実はそれはセルジョ・レオーネによる盗作だった。黒澤に無断で模造されたのだ。事件は裁判沙汰になってレオーネ側は全面敗訴。10万ドルの賠償金と日本での興行権、さらに全世界での興行利益の15%を黒澤側に支払う、という結論になった。

盗作騒ぎでも話題になった「荒野の用心棒」は、いわゆるマカロニウエスタンである。黒澤のオリジナルにも勝るほど大ヒットし、レオーネ監督自身と、そして何よりもクリント・イーストウッドを大スターに押し上げた。そうやって同作は映画史上に残る名品になった。

映画はさらに続編として「夕陽のガンマン」、「続・夕陽のガンマン」が同じクリント・イーストウッド主演で制作され、第一作の「荒野の用心棒」と合わせて「ドル箱三部作」とさえ呼ばれた。

大スターの仲間入りを果たしたクリント・イーストウッドは、後年カンヌ映画祭で黒澤に会った際、「ミス ター・クロサワ。あなたなしでは今日の私はなかった」と挨拶して黒澤を称え、これまた映画史上に残る名エピソードになった。

名作の用心棒だが、なにしろ古い映画だ。僕が解説を入れて上映はされたものの、お世辞にも大入り満員というわけには行かなかった。用心棒の新しさは、その後の多くの活劇で繰り返し真似をされて現在に至っている。

その事実を知らない現代の映画ファンにとっては、オリジナルの黒澤映画は展開の遅い退屈な古典、という風にも感じられがちだ。その夜の上映会場にも同じ空気が漂っていた。しかし、嘆いても仕方がない。それが映画のみならず、あらゆるエンターテイメントや芸術の宿命だ。

斬新な作品は、斬新であればあるほど後世の人々に取り入れられ、模倣され、リメイクされ、改善さえされて、時代時代に即応した作品として生まれ変わっていく。だがオリジナル自体は時代に生き血を吸われて衰退し、古びていく。そうやって古くなった傑作はやがて古典と呼ばれるようになる。

「古典は永遠(に面白い)」というのは真実だが、それは古典の良さを知るいわば“通”の人々の真実であり、今を生きる人々の全てに当てはまるコンセプトではない。古典は優れた作品だが、その名の通り“古い”定式なのだ。あるいは手本にもなり得る傑作だが、やはり“古い”のである。

“通”ではない大衆にとっては、“古い”とは退屈以外の何ものでもない。が、“通”や専門家は逆にそれを有り難がる傾向がある。僕はそのことを知りつつ、敢えて用心棒を上映作品に選んだ。上映会が「日本文化祭」の一部だったからだ。

かつて大衆が愛した娯楽作品の用心棒は、今を生きる人々にとってはもはや古く、退屈なものかもしれないが、同時にそれは日本文化の一角を担う古典芸術なのだから、そこで上映される価値がある、と僕は考えたのである。

用心棒とは違って“おくりびと”は多くの観客の感動を呼んだ。黒澤の用心棒からほぼ50年後の作品という「新しさ」もさることながら、葬儀という普遍的な事案に対する普遍的な「偏見」を正面から見据えたその作品は、日陰の生業に光を当てた、日本文化の繊細を人々に知らしめて強力なインパクトを与えた。その意味では僕の狙いは当たった。

それでも黒澤映画への感動がダイレクトに沸き起こらなかった事実は、いまだに僕の心に少しの、しかしけっこう重いしこりとなって残っている。なぜなら黒澤の偉大な娯楽傑作が「もはや人々に受けない」という冷徹な事実は、古典の宿命であると同時に映画の衰退を露骨に示す現象以外の何ものでもない、とも、またいまさらながら思い知るからである。