鏡絵の二人

オワコンvsトレンド

トランプ米次期大統領とイタリアのベルルスコーニ元首相の間には共通点が少なくない。前者はこれから昇り竜の勢いで恐らく世界を席巻し、後者は自らが前者に例えられることを喜んでいる事実からも察せられるように、すでに終わった人と見なしても構わないと思う。それでも、たとえば12月4日に行われたイタリア国民投票のように、紛糾する同国の政局に於いては、依然として影響力を行使政する治家である。事態の是非や好悪の念は別にして、何かと話題になる2人について少し考えてみたい。

ベルルスコーニ元首相への評価は、約20年に渡ってイタリア政界を牛耳り、4期計9年間も首相を務めた時間の重さの割には、極めて低いと言わざるを得ない。将来の歴史家がどこかで違う評価を下す可能性は常にあるが、彼が自らの刑事訴訟を回避する法律を作ったり、巧妙に所有企業への便宜を図るなど、私利私欲のために立ち回った政治スタンスと、裁判沙汰や未成年者買春疑惑などを始めとするスキャンダルの多さは、あまたの批判を喚起するのが普通だ。

一方のトランプ氏は、政治家としてしてはまだ何も成就しておらず、選挙キャンペーン中に彼が提示した政策は、政策と呼ぶには程遠い罵詈雑言やヘイトスピーチや誹謗中傷の類だった。従って2人は政治家としても、また政策上でも相似点や異なる点は今のところは何もない。彼らが似ているのは、政治の世界に乗り出したきっかけや背景や人となりや思想信条などである。それでも政治的にはほぼ終わったベルルスコーニ氏をつぶさに見ることで、トランプ氏の政治家としての未来を占うことはできるかもしれない。

2人の共通点:実業家

共に成功した実業家で大金持ち。どちらも政治家としては未知数、という状況でそれまでのビジネスでの成功を頼みに政治の世界に殴り込みをかけた。それでいながら、ベルルコーニ氏は政界入りから間もない速さで政権を奪取、また周知のようにトランプ氏は、不可能にも見えた共和党大統領候補の座を射止めるや否や、アメリカ大統領へと一気に駆け上っていった。

双方とも建設業を足がかりに、ベルルスコーニ氏はテレビ網や出版また新聞社などを所有してメディア王と呼ばれるようになり、トランプ氏は不動産王と称される事業家になると同時に、テレビタレントとしても成功した。前者はメディアの中でも特にテレビを重視。自らも頻繁にテレビに出演して、討論や演説で自説を開陳しまくった。2人共にテレビに深い縁を持ち、視聴者ひいては世論を味方につけるメディア操作術を得意とする。

艶福家&偏好発言

文学的(?)に言えば性愛好き。つまり好色家。女性蔑視と見られても仕方のない行状や暴言やジョークを連発して、顰シュクを買いつつも少しも悪びれず、むしろそれを特技に変えてしまうかのような悪運の強さがある。トランプ氏は3回結婚。ベルルスコーニ氏も2回の離婚歴があり、御ン年80歳の現在はほぼ50歳年下の婚約者と同棲している。

漁色が高じて、ベルルスコーニ氏は少女買春疑惑を始めとするセックススキャンダルにまみれ、私邸での「ブンガブンガ」乱交パーティーは流行語にもなった。またトランプ氏は選挙期間中に多くの女性への性的虐待疑惑が明るみに出るなど、両人とも女好きでありながら同時に女性の精神性や能力を蔑視するような、いわゆるミソジニストの側面を持っていると批判される。

2人とも反移民の立場を取り、人種差別主義者、また特にイスラム教徒への偏見が強い宗教差別者と見なされることも多い。しかしトランプ氏が、特に選挙期間中にあからさまな表現で人種差別や宗教差別、また移民への偏見や女性蔑視をあらわにしたのと比べて、ベルルスコーニ氏はおおっぴらにそうした主張をすることは少ない。それでいて、イスラム教徒は1400年代と同じメンタリティーに縛られていると口にしたり、オバマ大統領は日焼けしているなど、本人はジョークのつもりの人種差別まがいの失言にも事欠かない。

利害対立と政治手法

両者はビジネスを成功させた手腕をそのまま用いて、国家の経済をうまく機能させられると考え、そう主張する。しかし実際に権力を握ったベルルスコーニ氏は、首相の座に就いていた間もそうでない時も、国民を思って景気を良くしようと努力することはほとんどなかった。それどころか政権の最後には、自らの利益のために立ち回って国家経済を停滞させた責任を取らされ、辞任した。

公益のために身を粉にして活動するには、元首相は余りにも多くの個人資産や事業を抱え込んでいたのだ。いわゆる(公私の)利害衝突だ。元首相と同じビジネス大君のトランプ氏は、同じ轍を踏まない努力をするべきだが、ここまでの動きを見る限りでは、元首相と似た手法を用いて国家経済を牽引できないか、と模索しているふしがある。危ういことこの上もない。

また両氏は正統主義とはほぼ逆の政治手法、つまり体制に反旗を翻すと見せかけた動きで民衆の支持を取り付けるのがうまい。いわゆるポピュリズムの扇動者。彼らが使う言葉が往々にして野卑であり、挑戦的であり、かつ怒りに満ちているように見えるのは、民衆の不満の受け皿としての政治的スタンスを最大限に利用するためである。その場合彼らは具体的な政策や解決法を示さないことも多く、時には嘘も厭うことなく織り込んで、主流派と呼ばれる社会層を声高に批判し、民衆の喝采を受けることに長けている。

子供の放言~元首相を擁護する訳ではないが

2人には巨大かつ根本的な違いもある、というのが僕の意見である。つまりベルルスコーニ氏は、トランプ氏のように剥き出しで、露骨で無残な人種偏見や、宗教差別やイスラムフォビア(嫌悪)や移民排斥、また女性やマイノリティー蔑視の思想を執拗に開陳したりすることはなかった。或いはひたすら人々の憎悪を煽り不寛容を助長する声高なヘイト言論も決してやらなかった。また今後もやらないであろうということだ。

言うまでもなく彼には、オバマ大統領を日焼けしている、と評した前述の言葉を始めとする愚劣で鈍感で粗悪なジョークや、数々の失言や放言も多い。また元首相は日本を含む世界の国々で、欧州の国々では特に、強く批判され嫌悪される存在である。僕はそのことをよく承知している。それでいながら僕は、彼がトランプ米次期大統領に比べると良心的であり、知的(!)でさえあり、背中に歴史の重みが張り付いているのが見える存在、つまり「トランプ主義のあまりの露骨を潔しとはしない欧州人」の一人、であることを微塵も疑わない。

言葉をさらに押し進めて表現を探れば、ベルルスコーニ氏にはいわば欧州の
“慎み”とも呼ぶべき抑制的な行動原理が備わっている、と僕には見える。再び言うが彼のバカげたジョークは、人種差別や宗教偏見や女性蔑視やデリカシーの欠落などの負の要素に満ち満ちている。だが、そこには本物の憎しみはなく、いわば子供っぽい無知や無神経に基づく放言、といった類の他愛のないものであるように僕は感じる。誤解を恐れずに敢えて言い替えれば、それらは実に「イタリア人的」な放言や失言なのだ。

あるいはイタリア人的な「悪ノリし過ぎ」から来る発言といっても良い。元首相は基本的にはコミュニケーション能力に優れた楽しい面白い人だ。彼は自分のその能力を知っていて、時々調子に乗ってトンデモ発言や問題発言に走る。しかしそれらは深刻な根を持たない、いわば子供メンタリティーからほとばしる軽はずみな言葉の数々だ。いつまでたってもマンマ(おっかさん)に見守られ、抱かれていたいイタリアの「コドモ大人」の一人である「シルビオ(元首相の名前)ちゃん」ならではの、おバカ発言なのである。

似て非なる2人

トランプ氏にはベルルスコーニ氏にあるそうした抑制がまるで無く、憎しみや差別や不寛容が直截に、容赦なく、剥き出しのまま体から飛び出して対象を攻撃する、というふうに見える。トランプ氏の咆哮と扇動に似たアクションを見せた歴史上の人物は、ヒトラーと彼に類する独裁者や専制君主や圧制者などの、人道に対する大罪を犯した指導者とその取り巻きの連中だけである。トランプ氏の怖さと危険と醜悪はまさにそこにある。

最後にベルルスコーニ氏は、大国とはいえ世界への影響力が小さいイタリア共和国のトップに過ぎなかったが、トランプ次期大統領は世界最強国のリーダーである。拠って立つ位置や意味が全く異なる。世界への影響力も、イタリア首相のそれとは比べるのが空しいほどに計り知れない。その観点からは、繰り返すが、トランプ氏のほうがずっと危険な要素を持っている。

トランプ氏が大統領の座に就けば、これまでの暴言や危険思想やヘイト言動が軌道修正されて「まとも」な方向に進む、という考えは楽観的に過ぎると思う。またたとえそうなったとしても、それは彼が変わったのではなく、政権の周囲がそうさせるに過ぎない。彼の本質は永久に変わらない、と見るのが妥当だ。その変わらない本質を秘めたまま、トランプ次期大統領は地上最大・最強の権力者の座に就こうとしている。


イラストby kenji A nakasone