2年前、アメリカの調査機関が世界44カ国で行った世論調査で、中国が嫌いな国民のトップ3が日本の91%、ベトナム78%、そして3位が意外にもイタリアの70%と出た。

それを見て僕は、われながら大人気ないと思いつつ「中国が嫌いなイタリアが好き」とあらためて感じ、その趣旨でブログ記事を書き出した。が、やはりひどく「大人気ない」と感じて途中でやめた。

ところが先日、中国政府が大都市住民を地方に移住させる計画を立てて、「市民の意思にはお構いなく家を壊しては人々を追い立てている」という事実を知り、忘れていた中国への不信感がよみがえった。

そこで2年前と同じ調査機関のリサーチを覗いてみた。すると中国が嫌いな国の1位は、2016年もやはり日本で86%。2位はフランスとイタリアの61%。続いてドイツの60%などとなっている。

イタリアの中国嫌い度は70%から下がったが、それでもかなり高い数字だ。フランスは2014年は53%で10位だったが、今年は中国嫌いの人が増えた。またドイツは、2014年時も中国が嫌いな人が64%にのぼっていた。

ところで今年は、中国を好きと答えた国々もギリシャやオーストラリアでは50%を越え、オランダ、カナダ、ハンガリーでも40%を越えたことは付け加えておきたい。

僕は中国という多くの優れた思想文化や実学・技術文明を生み出した国を尊敬している。同時に近年は、増長したのか覇権主義に走ったり、人権を踏みにじりつつ詭弁を弄して立ち回ったりする姿には失望も覚える。

そんな折の2年前、日本国民の91%とべトナム国民の78%に続いて、イタリア国民の70%が中国に嫌悪感を抱いているという数字に接し、胸中で「さもありなん」と呟いたものだ。

日本やベトナムは中国の覇権主義の直截あるいは潜在的な脅威にさらされている。従って両国の国民が中国への不信感を募らせるのは理解できることだ。だが中国から遠い欧州に位置しているイタリア国民の、強い「嫌中国」感情は一見奇妙だ。

イタリア国民が中国を疎ましく思うのは、実は中国移民への負の感情によるところが大きい。イタリアには国中に中国人移民が溢れている。ところが彼らは圧倒的な人数でこの国に押し寄せているにも関わらず、全くと言ってよいほどイタリア社会に溶け込まない。

たとえばミ ラノには華僑が集中するチャイナタウンがある。そこは中国人が固まって好き勝手に生きる無法地帯としてイタリア人の不評を買うことも多い。チャイナタウンをミラノ郊外に丸ごと移転さ せようとする計画さえあるぐらいだ。

イタリア政府は世界のあらゆる国々と同様に、中国の経済力を無視できずに彼の国に擦り寄る態度も時々見せる。しかし国民は、ミラノに限らずイタリアの多くの街や地域で増え続ける、中国人移民に恐れをなしているのも事実だ。

世界には中国人移民が多く進出している。イタリアも例外ではない。今言ったミラノを筆頭におびただしい数の中国人が流入して、合法・違法を問わずに住み着き、就労し、商売をしている。

ところが彼らは、前述したように、全くと言って良いほどイタリア社会に溶け込んでいない。その努力をしている気配さえあまり感じられない。彼らだけの閉鎖社会内で寄り添って群れている印象が強い。

中国人移民のほとんどは、社会参画あるいは市民相互の融合という意味では、たとえば僕もその一人である「日本人移民」と比べても分かりにくい存在だ、と多くのイタリア人知己や友人らが言うのも事実だ。

それはひとえに、日本人が多くの場合イタリア社会に溶け込んでいるのに比べ、彼らがそうしないことに由来している。日本人も同胞同士で固まることはもちろんある。だが同時にイタリア社会にも馴染んでいるのが普通だ。

現地社会とほぼ完全に没交渉でありながら彼らは、全ての移民がそうであるように、イタリア社会の恩恵にも浴して生きている。つまりこの国に住まい、商売をし仕事をして、社会保障の恩恵も享受する。それでいながら税金は払わないなどの不都合も目立つ、とも陰口される。

それが事実ならイタリア市民が怒るのも無理はないだろう。もっともそうした悪口には、法に則って居住しビジネスを行い、納税などの義務もきちんと果たしている多くの中国人の存在が、すっぽり抜け落ちている、というのが定番だけれど。

ところで、アメリカの調査機関による分析でイタリア人の反中国感情が高いのは、イタリア国民が持つ日本への共感の裏返し或いは反映ではないか、という意見もよく聞く。しかし、それは見当違いな考え方だろうと思う。

イタリア人の大多数は日本人が好きだし、日本国とイタリア共和国も友誼に富む良好な関係にある。が、彼らの中国嫌いの心情は、飽くまでもイタリア人自身の中国への直接な思いであって、日本との関連はないと見るべきだ。

また、かつてのいわゆる日独伊三国同盟の名残からイタリア人が日本人の肩を持つ、という考えも的を射ているとは言い難い。そんな歴史にロマンを感じる風潮がイタリアに皆無とは言えないが、それは先の大戦を経験した極く少数の老人などが持つ稀な感情である。

イタリア人の日本への好感は、戦後の平和主義とそれに伴う経済成長と謙虚な国民性などによるものである。それがあるからイタリアファシズムという悪と日本軍国主義という悪が手を結んで戦った恥辱の歴史もほぼ帳消しになって、未来志向のポジティブな関係また感情が構築されてきた。

現在イタリア人が持つ日本へのネガティブなイメージは、他の多くの欧米諸国同様に、右カーブ一辺倒の政策を続ける安倍政権への危惧ぐらいのものだ。それとて安倍首相個人を極右に近いナショナリストと見なして監視している、というのが実情で日本国民への好感度は相変わらず高い。

閑話休題

アメリカの調査機関が導き出すイタリア国民の中国観には違和感もある、というのが実は僕の正直な思いである。イタリア人は古代ローマ帝国以来培ってきた自らの長い歴史文明に鑑みて、中国の持つさらに古い伝統文明に畏敬の念を抱いているのが普通だ。

言葉を換えれば彼らは、ローマ帝国の師とも言える古代エジプトにも匹敵する叡智を生んだ中国の歴史に親近感を抱いている。それが突然「嫌中国」感情一色に変わったように見えるのは不思議だ。にわかには信じ難い現象だと思った。だがそれが現実なのである。

イタリアの巷に溢れる中国人移民の動静に加えて、彼らの故国、「中国の国のあり方」もイタリア国民の眉をひそめさせる。つまり国際慣例や法令をないがしろにしたり、覇権主義に走って国際秩序を乱したりしがちな、今この時の中国の実態である。

放埓な共産主義国家と移民のイメージは残念ながら、偉大な世界文明の一つを紡いだ中国の長い輝かしい歴史を否定し、忘れさせるに十分な程のインパクトを持っている。しかもそれはイタリアに限らず欧州の殆どの国々にも当てはまる現実なのだ。

それらの嫌中国、反中国人感情はあってはならない残念なものだ。中国政府と中国国民は、人の良いイタリア人でさえ彼らを嫌悪するケースが多々ある、という深刻な事態にそろそろ気づくべきだ。気づいてそれを修正するべく適切な道を模索するべきだ。

これは決して偽善から言うのではない。そうすることが中国の為になることであり、ひいては日本の利益にもなり、イタリアそして世界全体にも資することになるのだ。中国が大国としての尊敬を集めたいのであれば、そんな当たり前の真実にしっかりと目を向けるべきだ。

このままだと中国は世界からそっぽを向かれかねない。あるいはそっぽを向かれ続ける。そして世界には、日本の極右陣営を始めとして、そうあることを強く望んでいる勢力が多々ある。中国が彼らを利することを潔しとしないなら、その旨しっかりと道を定めて進むべきだ。