北斎展入り口
昨年9月からイタリア・ミラノで大きな北斎展が開かれている。12月の初めにそれを見に行った。
ミラノでは1999年に大規模な北斎展が行われて以来、かなり頻繁に江戸浮世絵版画展が開かれていて、浮世絵への理解と関心が高いとされている。
展覧会では葛飾北斎のほかに歌川(安藤)広重と喜多川歌麿の作品も展示されていた。合計の展示数は200余り。僕は3巨匠の作品がこれだけの規模で一堂に会した展覧会を見るのは初めてだった。
展示作品は全て素晴らしかったが、僕は今回は特に、北斎の風景画3シリーズ「富嶽三十六景」「諸国滝廻り」「諸国名橋奇覧」と、広重の「東海道五十三次」が並ぶように展示されているのがひどく面白かった。
北斎と広重をほぼ同時並行に鑑賞しながらあらためて感じたことがる。それは広重をはるかに凌駕する北斎の力量だ。北斎はドライで造形的、広重は叙情的で湿っぽい、とよく言われるが、僕は北斎は精密とダイナミズムで広重に勝り、人物造形でも広重より現代的だと感じた。
作品群の圧倒的な美しさに酔いしれながら、僕は人の顔の描写にも強く気を引かれた。北斎は遠くに見える小さな人物の顔の造作も丁寧に描いているが、広重はほとんどそこには興味を抱いていない。そのために描き方も雑で、まるで子供が描く「へのへのもへじ」と同じレベルにさえ見える。
多くの絵で確認できるが、特に人物が多数描かれているケースでそれは顕著である。例えば「嶋田・大井川」の川越人足の顔は、ほとんど全員が同じ造作で描かれている。子供の落書きじみた文字遊戯の顔のほうが、まだ個性的に見えるほどの、淡白な描き方なのである。
東海道五十三次は全て遠景、つまり引きの絵である。大写しあるいはクローズアップの絵は一枚もない。そこでは人物は常に景観の一部として描かれる。これは当たり前のようだが、実は少しも当たり前ではない。そこには日本的精神風土の真髄が塗り込まれているのだ。
つまり、人間は大いなる自然の一部に過ぎない、という日本人にとってはごく当たり前のコンセプトが、当たり前に提示されている。そこでは、個性や自我というものは、自然の中に溶け込んで形がなくなる。あるいは形がなくなると考えられるほどに自然と一体になる。
その流れで個性や自我の発現機能であるヒトの表情は無意味になり、その結果が広重の人物の表情の「どうでもよい」感満載の表現だと思う。のっぺらぼうより少しましなだけの、「へのへのもへじ」程度の顔の造作を「とりあえず」描き付けたのが、広重の遠景の人物の表情なのだ。
それらの顔の造作は「東海道五十三次画」全体の精密と緊張、考究され尽くされた構成、躍動感を捉えて描き付けた動きや構図、等々に比べると呆気ないほどに粗略で拙い。作品の隅々にまで用いられた精緻な技法は、人物の表情には適応されていないのだ。
厳密な意味では北斎の表情の描き方も広重と大差はない。が、北斎は恐らく画家としての高い力量からくる自恃と精密へのこだわりから、これを無視しないで表情を描き加えている。だがそれとて自我の反映としての表情、つまり感情の露出した顔としてではなく、単なる描画テクニック上の必要性から描き加えたもの、というふうに僕には見える。
従って、広重よりはましとはいうものの、北斎もやはり人物の顔の描写をそれほど重視してはいない。たとえば彼の漫画などの人物の表情の豊かさに比べたら、たとえ遠景の人物の表情とはいえ、どう見ても驚くほどにシンプルだ。表情の描写には、彼の作者としての熱意や思い入れ、といった精神性がほとんど見られないのである。僕はそこに近代精神の要である“自我”の欠落のようなものを発見して、一人でちょっと面白がった。
私という個人の自我意識によって世界を見、判断して、人生を切り開いていく、という現代人の我々にとって当然過ぎるほど当然の価値観は、西洋近代哲学の巨人デカルトが“我思う、故に我あり”というシンプルな命題に託して、それまでの支配観念であった「スコラ哲学」の縛りを破壊した“近代的自我”の確立によって初めて可能になった。
スコラ哲学支配下の西洋社会では、「個人」と「個人の所属する集団と宗教」は『不可分のもの』であり、そこから独立した個人の存在はあり得なかった。デカルトが発見した“近代的自我”がそのくび木を外し、コペルニクス的転回ともいえる価値観の変化をもたらした。自我の確立によって、西洋は中世的価値観から抜け出し、近代に足を踏み入れたのである。
日本は明治維新以降の西洋文明習得に伴って、遅ればせながら「自我の意識」も学習し、封建社会の精神風土とムラ社会メンタリティーに執拗に悩まされながらも、どうにか西洋と同じ近代化の道を進んできた。欧米を手本にして進み始めて以降の精神世界の変化は、政治・経済はもとより国民の生活スタイルや行動様式など、あらゆる局面で日本と日本人を強く規定している。
しかし、西洋が自らの身を削り、苦悶し、過去の亡霊や因習と戦い続けてようやく獲得した“近代的自我”と、それを模倣した日本的自我の間には越えられない壁がある。模倣は所詮模倣に過ぎないのだ。それは自我と密接に結びついている、個人主義という語にまつわる次の一点を考察するだけでも十分に証明ができるように思う。
個人主義という言葉は日本では利己主義とほぼ同じ意味であり、それをポジティブな文脈の中で使う場合には、たとえば「いい意味での個人主義」のように枕詞を添えて説明しなければならない。その事実ひとつを見ても、日本的自我はデカルトの発見した西洋近代の自我とそっくり同じものではないことが分かる。デカルトの自我が確立した世界では、「個人主義」は徹頭徹尾ポジティブな概念である。「いい意味での~」などと枕詞を付ける必要はないのだ。
自我の確立を遅らせている、あるいは自我を別物に作り変えている日本的な大きな要素の一つが、多様性の欠落である。「単一民族」という極く最近認識された歴史の虚妄に支配されている日本的メンタリティーの中では、他者と違う考えや行動様式を取ることは、21世紀の現在でさえ依然として難しく、人々は右へ倣えの行動様式を取ることが多い。
それは集団での活動をし易くし、集団での活動がし易い故に人々は常にそうした動きを好み、結果、画一的な社会がより先鋭化してさらなる画一化が進む。そこでは「赤信号も皆で渡れば怖くなく」なり「ヘイトスピーチや行動もつるんで拡大」しやすくなる。その上に多様性が欠落しているためにそれらの流れに待ったをかける力が弱く、社会の排外志向と不寛容性がさらに拡大するという悪循環になる。
多様性の欠落は「集団の力」を醸成するが、力を得たその集団の暴走も誘発し、且つ、前述したように、まさに多様性の貧困故にそれを抑える反対勢力が発生し難く、暴走が暴走を呼ぶ事態に陥って一気に破滅にまで進む。その典型例が太平洋戦争に突き進んだ日本の過去の姿だ。
江戸時代の北斎や広重にはもちろん近代的な自我の確立はなかった。しかし、彼らは優れた芸術家だった。芸術家としての誇りや矜持や哲学や思想があったはずだ。つまり芸術家の「独創を生み出す個性」である。それは近代的自我に酷似した個人の自由意識であり、冒険心であり、独立心であり、批判精神である。
しかし、社会通念から乖離した個性、あるいは“近代的自我”に似た自由な精神を謳歌していた彼らでさえ、自らの作品の人物に「個性」を付与する顔の造作には無頓着だった。僕は日本を代表する2人の芸術家が提示した美の中に、“近代的自我”を夢見たことさえないかつての日本の天真爛漫の片鱗を垣間見て、くり返しため息をついたり面白がったりしたのである。