トランプ宣誓400pic


トランプ新大統領の就任式の一部始終を衛星生中継で見た。多くの民主党議員が出席をボイコットした異変と、会場外で抗議デモが燃え盛った点などを別にすれば、式次第は通常のものだった

しかしながら、トランプ氏自身の就任演説は、彼の選挙キャンペーンと同じく、人々の分断を助長する可能性が高い、という意味で警戒しなければならない残念な内容だった。

彼は就任演説で「アメリカ・ファースト(第一)」と叫び、アメリカをアメリカ国民のために取り戻す、と宣言した。選挙公約を実行した形だ。自国の利益を優先させることは一国の指導者の当たり前の姿勢だ。それ自体は悪くない。

だがその宣言の真意は、彼の率いる米国が、世界のことは斟酌せずに自国の利益のみを追求し、且つ「他国には厳しい金持ち国家を目指す」というものである。世界に冠たるリーダー国にはふさわしくない寂しい主張だ。

トランプ氏は就任前からツイッターで個別の企業を名指しで脅した。結果、いくつかの企業が恐れをなして彼の思惑通りの「アメリカ・ファースト(第一)」を実践し、国内に雇用を生み出すための投資を行うと発表した。

世界最大・最強の権力、米大統領職の威光を利用しての恫喝が功を奏した形だ。彼の手法は一時的には好結果をもたらすように見える。が、長い目で見れば破滅だ。それは恐怖政治にほかならないからだ。

アメリカ国民がひたすら自国の経済効率ばかりを追い求め、自らの国と世界政治に望む「彼らの理想」と「建国の精神」を忘れて、新大統領に唯々諾々と従うならば、アメリカはもはやアメリカではない。

理念や哲学のない、従って品格のないアメリカなら、米国はただの成金国家であり戦争屋であり尊大で危険な帝国に過ぎない。換言すれば、トランプ大統領が目指す米国は尊敬するに値しない。

企業経営の論法で国家を運営しようとするのは間違いだ。特にその首謀者自身が優秀な企業家である場合はなおさらである。利益相反が生じるからだ。

首謀者らは決まってそのことを否定する。だが経済、つまり金の計算のみで国を操縦しようとする彼らの立場自体が、利益追求に狂奔するだけの事業家のものだから、ヒトと同じく理想や良心や品格も希求するまともな国家のあり様とは矛盾する。

新大統領の本性はただの商売人なのだ。商売人は商売だけをしている限り何も問題はない。また一国の経済をうまく動かすことももちろん重要である。国家経営の手腕を最も問われる能力の一つだ。だがそれだけではダメなのだ。経済力と共に理念や道心も示してこそ、理想的な国家の設計図が完成する。

トランプ大統領は、ここイタリアのベルルスコーニ元首相を反面教師とするべきだ。事業家の元首相はビジネスと同じやり方で国家の舵取りをしようとした。が、私利私欲に走って破綻した。トランプ大統領はその轍を踏まないようにするべきだ。

トランプ大統領には、選挙戦中に指摘され続けたように、品格がまるでないことが大統領就任式であらためて明らかになった。ここでいう品格とは、彼のような億万長者から貧しい者にまで等しく備わっているはずの、「他者を思いやる」心のことだ。

彼は選挙期間中から執拗に他者への攻撃を繰り返してきた。不寛容と憎しみと差別をあおってきた。だがそれは厳しい選挙戦を戦い抜くための方便ではないか、と多くの人が考えたがった。僕もその1人だ。

正直に言おう。トランプ次期大統領は、就任式でそれまでの無残な醜貌をかなぐり捨てて、世界から尊敬される米大統領の品格の片影をみせるのではないか、と僕はひそかに期待した。全ては裏切られた。トランプ氏はやはりトランプ氏でしかなかった。

彼は選挙戦の攻撃の仕上げとして、冒頭で述べた「アメリカ・ファースト(第一)」のスローガンを盾に、彼の政権は事業家である大統領個人がそうであり続けたように、アメリカの利益のみをひたすら追求する、と言い放ったのである。

それでも僕は、一点だけトランプ大統領の就任演説の内容に共感を覚えた。それはイスラム過激派を殲滅する、という彼の宣言だ。そのことについてもここに明記しておきたい。

彼がイスラム教徒ではなく、あくまでも「イスラム過激派」を目の敵にすることには賛成だ。しかし、それとて全面的に賛成できないのが、トランプ氏の異様な「トランプ主義」なのである。

というのも彼は、イスラム過激派の構成員と共に「彼らの家族」も殺害する、と公言してはばからない。それはトランプ氏の狂気振りを示して余りある、不気味な発想だ。テロリストと彼らの家族は別の存在だ。家族には何の罪もない。むしろ家族は被害者である可能性の方が高い。

トランプ氏が犯罪者と家族は同罪だと言い張るのなら、僕は彼にこう聞きたい。「あなたは女性を性的に虐待したと選挙期間中に糾弾されたが、もしもその告発が事実だと証明されてあなたが有罪になった場合、あなたは自身の妻や子供たちにも罪がある、と考えるのですか」と。

言うまでもなく、トランプ氏の罪と家族は関係がない。テロリストも同じだ。彼らの家族まで殲滅するというのは、狂気にも等しいおぞましい考えだ。だがその狂気をもたらす、彼の思想信条らしいものの正体は、もっとさらにおぞましいものだ。

なぜ彼は犯罪者の家族まで罪人に仕立て上げたいのか?それは例えば、敢えて日本の過去の歴史を遡って考えてみれば明らかになる。つまり、中国大陸から伝来して秀吉の統治法に組み込まれた5人組制度が、精神的呪縛となって国中に生き続け、やがて大戦中の隣組制度にまで受け継がれた「連帯責任」思想と同じものなのだ。

中国古代の人権無視、自由抑圧の野蛮な未開思想が、封建社会の日本に受け継がれて権力者に利用されたのは、世界各地でも同様なことが起こったことからも分かる通り、いわば歴史の必然だった。従ってそのこと自体はもちろん責められるべき事案ではない。

日本と世界は戦争や破壊を繰り返しながらも、その後は少しづつ進歩して暗黒の時代から抜け出した。未開思想を無くし克服しようとする意思に支えられて、今もさらに進化を続けている。トランプ氏はそのポジティブな歴史の流れに真っ向から逆らっている。

1人のあるいは一部の集団の責任を全体に押し付けて、これを抹殺しようとするのは未開人の発想だ。まさにISなどのイスラム過激派の思想とそっくり同じなのだ。第45代米国大統領は、そんな過激思想を隠そうともしないまま、超大国の舵取りを始めてしまった・・