夫婦ヨリ400pic
ディ・レッロ&ロベルタ夫妻


2016年7月1日夕刻、イタリア・アブルッツォ州ヴァストの交差点で、ヤマハのスクーターに乗った女性が、赤信号を無視して交差点に侵入してきたフィアット車に撥ねられ、単車ごと信号機に激突した。女性はすぐに病院に運ばれたが同日の夜死亡した。女性の名はロベルタ・スマルジャッシ(33歳)。加害者はイタロ・デリーザ(22歳)。

それからちょうど7ヶ月後の2017年2月1日、事故のあった同じ町のカフェ前の路上で、事故加害者のイタロ・デリーザは1人の男に至近距離から拳銃で撃たれて即死した。撃ったのはファビオ・ディ・レッロ(34歳)。デリーザの車に撥ねられて亡くなったロベルタ・スマルジャッシの夫である。彼は妻を殺された報復に4発の銃弾を若者に浴びせたのだった。

若者を殺害したディ・レッロ は、その足で墓地に向かい、妻の墓前に供え物でもするように拳銃を置いた。それから警察に自首した。ディ・レッロ は妻の死後、毎日亡き彼女の墓に参っては悲嘆に暮れていた。その行為の仕上げとして、彼は復讐を遂げたあと墓前に拳銃を安置したのである。

交通事故の加害者を被害者(の家族)が私刑で殺害する、という耳を疑うようなこの事件は、イタリア司法制度の最大の欠陥のひとつ、審理の遅滞と混乱が引き起こした悲劇である。同時に、イタリア司法制度の長所の一つである厳罰回避主義も関係しているのが皮肉だ。

加害者から一転して被害者になったイタロ・デリーザは、交差点で赤信号を無視して死亡事故を起こしたにもかかわらず、裁判所の審理を待つ間、ほとんど何の制約も受けずにヴァストの町を自由に動き回っていた。そこは人口3万8千人の町。住人の全てがお互いに顔見知りのような関係だった。

何事もなかったかのように振舞うデリーザの噂を聞くのは、ディ・レッロにとっては耐えがたい苦痛だった。彼は裁判の迅速化を主張し、人々に働きかけ、SNSでも同様の投稿を繰り返した。町の住民の多くも妻を殺されたディ・レッロに味方をした。

町には動きの遅い裁判所への批判が高まった。「早く裁判をしろ!ロベルタに正義を!」という抗議デモまで起こった。それは同時に、重大事故を起こしながら自由を謳歌しているデリーザへの問責でもあった。デリーザへの風当たりはそうやって日ごとに強くなった。

2017年2月21日には公判が予定されていたが、加害者のデリーザは恐らく刑務所に入ることもない軽い刑罰で済み、結審後もほぼ自由であろうことが予想された。なぜならイタリアの法律では、交通事故の犯人は酒気帯び、麻薬摂取、あるいは轢き逃げのような悪質なケースを除いて、刑罰が極めて軽くなるからである。

その観測が妻を殺されたディ・レッロの苦悩となっていた。事故のことを謝ろうともしないデリーザへの怒りも募った。そんな折、彼はデリーザと道で行き逢った。デリーザは、事故後に乗り回すようになったバイクのエンジンをこれ見よがしに噴かして、彼に挑むような態度に出た。

その出来事がディ・レッロに重大な決意をさせた。デリーザを殺害してしまおうと心に誓ったのだ。恐らくディ・レッロは、町の人々が彼に同情し、事故加害者のデリーザを非難する風潮にも触発されたのだろう。ディ・レッロはその時まで拳銃を扱ったことはなかったが、密かに一挺を手に入れて襲撃の準備を始めた。

彼は犯行に及ぶ直前、Facebookに映画グラディエーターの主人公マキシマス・デシマス・メレディウス の写真と共に、彼の有名なセリフ“~And I will have my vengeance...in this life or the next=~私は必ず復讐を果たす・・この世か、あるいはあの世で”と投稿した。そして事件は起きた。

この不幸な出来事には、いかにもイタリアらしいエピソードや、多くの偶然や必然や不運や誤解などが複雑に絡まっている。だが実はそれは、イタリアに限らずどこにでも起こり得る事件であり、真相は「藪の中」にしか存在しない人間劇だと僕には見える。

ここからはその人間劇について少し言及しておこうと思う。

ディ・レッロは妻の死後、毎日彼女の墓に参っては悲嘆に暮れていた。それは愛情の深さを物語るエピソードに違いないが、7ヶ月にも渡って連日墓に出向いては涙に暮れる、というのは少し異様で、彼の思い込みの強さを語るエピソードという感じがしないでもない。

その行為はFacebookにグラディエーターの一場面の模様を投稿したことや、復讐を果たした後にピストルを妻の墓前に手向けた事実などと共に、少し芝居がかっていて、やはり違和感を覚えずにはいられない。犯罪心理の専門家などが分析を試みたがる案件のようでもある。

銃撃犯のディ・レッロは、前述したように、彼にとっては妻を殺した憎むべき犯人であるデリーザが、まるで挑発するように町で行き逢った彼に対してバイクのエンジンを吹かした、と主張している。それは事実らしいがそこに至るまでには伏線がある。

デリーザの家族の言い分によると、彼は死亡事故を起こした後、強いトラウマに襲われて苦しんでいた。そこに彼を非難する町の住民の声が重なって、当人の心的苦痛はいよいよ高まった。そうした異常な精神状態にあったため、デリーザはディ・レッロと遭遇した際、思わず反抗的な態度に出たのだという。

つまりふてぶてしく生きているように見えたデリーザは実は、「普通に」死亡事故を起こした責任感に苛まれていた。罪悪感で押しつぶされそうになっていた彼に世論のバッシングが重なって、彼はますます追い詰められていった、というある意味で尋常な加害者の心理劇がそこにはあったのである。

また、デリーザは事故後に、共通の友人を介して亡くなったロベルタ・スマルジャッシの家族に謝罪をしたいと申し出たが、彼女の家族は「今はとても謝罪を受けられる心理状態ではない。時間がほしい」と拒否したとされる。

ところがこの点に関しても、前述したようにディ・レッロは逆に、デリーザから一言の謝罪の言葉もなかったと憤っている。ということはもしかすると、彼と亡くなった妻の家族との間には何らかの行き違いがあって、情報が共有されていなかったのだろうか。又は何らかの確執でもあったのだろうか。

ディ・レッロと妻の家族との関係がどうあろうとこの際は関係のない事案かもしれない。しかし、デリーザが彼に謝罪をしなかったことも、ディ・レッロが凶行に走った動機の一つになっているのだから、被害者が実は謝罪を申し出ていたというのは、無視できないエピソードのように見える。

デリーザ側の主張には、普通の感覚では中々受け入れがたいものも幾つかある。たとえば彼らは、「交差点での事故の際、ヤマハのスクーターに乗っていたロベルタ・スマルジャッシはヘルメットを被っていなかった。これは彼女の過失である」と言い張った。

また「責任を取れ。反省しろ」という街の人々の非難に対しても「デリーザは事故時には一滴の酒も飲んでいなかったし、麻薬常習者でもない。また事故後は逃げも隠れもしないで被害者の救護にも当たった。いったい何を反省し何の責任を取るのか」と開き直ったりもしている。

それらの主張は、少なくとも僕にとっては、首を傾げたくなるような強弁にしか聞こえない。加害者が信号を無視して交差点に突っ込み被害者を死亡させた厳然たる事実は、被害者のヘルメットの有無によってキャンセルしたり矮小化したりできるものでは断じてない。

飲酒や麻薬使用の有無、また事故後に救護活動をしたか否か、などの主張もやはり強弁の類であり本末転倒の議論のように思う。自らの立場を明確にしてそれを主張することが善とされる西洋的メンタリティーではOKなのだろうが、少なくとも日本人の僕には分かりづらい、というのが正直な感想だ。

しかし、だからといって、ディ・レッロはもちろん個人的なあだ討ちなどをするべきではなかった。彼は犯行に至る前には一貫して「ロベルタの悲劇は2度とあってはならない」と亡き妻の写真と共にSNSに繰り返し投稿していた。ところが彼は、不幸にも妻の悲劇を繰り返してしまった。被害者の名前が妻ロベルタからデリーザと変わりはしたものの。

僕には亡くなった2人の男はいずれもイタリアの司法制度の被害者に見える。厳罰主義を否定するイタリアの司法の精神はすばらしい。そこにはキリスト教最大の教義の一つ「赦(ゆる)し」の哲学が込められている。

「人は間違いを起こす弱い存在」である。だから、厳罰よりも赦しが優先される。飲酒運転や麻薬摂取や轢き逃げに当たらない、「普通の」死亡事故の加害者を許そうとするベクトルが働くのも、その考え方故だ。

しかし、司法の遅滞は重大問題だ。デリーザが死亡事故を起こした時点で司法による素早い介入があったならば、彼は被害者の家族も住む小さな街で自由に動くことはなく、従って加害者のディ・レッロと行き逢うこともなかった。

精神つまりソフトは優秀だが、時として実体つまりハードが稚拙な「イタリア的な仕組み」の一端がここでも発揮されたのだと思う。ハードの遅れた司法の鈍感と無神経と無能のせいで、事故の加害者と被害者が日常的に顔を合わせるという苦しくも残酷な状態が生まれ、やがて悲惨な結末が訪れたのである。