書斎から見下ろすブドウ園400pic
書斎からブドウ園を望む。奥に高い壁があるが全く見えない


2017年2月22日朝、ミラノからほど近いわが家の周りは深い霧に包まれた。翌23日はさらに濃い霧が立ち込めた。

12月ごろから2月ごろのミラノと周辺は、ひんぱんに深い霧に閉ざされる。霧は冬の、特に晴れた日に発生する、いわゆる放射霧。

若いころ住んでいたロンドンにもよく霧がかかった。「霧の街ロンドン」と昔から言われる。が、ミラノの霧に比較するとロンドンの霧は、僕のイメージの中では子供だましに等しい

それでも霧は、ミラノ市内では幽玄に見えないこともない。いくら深くても街の灯りに淡いベールのようにからんで、霞みとなって闇の中にぼうと浮かび上がっていうにいわれぬ風情がある。

しかし郊外に出ると霧はたちまち怖い障害物になる。車の運転に支障をきたして、時には死の恐怖さえもたらすとんでもない代物になる。

僕は自分の事務所のあるミラノでは車ざんまいの暮らしをしてきた。郊外にある自宅との行き来も常に車だが、運転の大敵である霧には大分悩まされた。

霧は街なかよりも、人家や明かりの少ない郊外ではさらに濃くなって、行く手を阻む。

ひどい時は前後左右がまったく見えず、車のドアを開けて路上のセンターラインを確認しながらそろそろと走ることさえある。

霧中での運転にあまり自信がない僕は20数年前、霧が発生して車での帰宅が覚束なくなるときのために、ミラノ市内に小さな古いマンションを一軒確保したほどである。

年月とともに霧の中での運転にも少しは慣れていったが、霧の夜の運転は依然として不安だ。仕事柄、僕は夜遅い帰宅が多い。番組編集などがあるとなおさらだ。

高速道路で霧に出くわすと、一般道よりもさらに運転の危険が増す。

視界を遮られた霧の中では、恐怖から車を止めたくなるが、「死にたくなければ絶対に停車するな」というのが鉄則である。

みだりに停止すると視界のきかない後方車がたちまち激突しかねない。

だからといって高速で走ればもっと危ない。

霧の怖さやそれに対する心構えは当然イアタリア人は良く知っている。それにもかかわらずに彼らは、濃霧の中でも高速走行をしたがる。

運転に自信があるのだ。事実、イタリア人は一般的に運転がうまい。もっと正確にいえば、高速走行時の運転がうまい。言葉を替えれば乱暴である。

すべての車が止まらずに走り続ければ玉突き事故は起こらない、というのが彼らの言い分だが、そんなばかな話はあるはずもなく、霧中の高速運転は容易に事故を呼ぶ。

結果、数十台、時には何百台もの車が巻き込まれる玉突き事故さえ起きる。

事故の原因はいつも同じ。スピードの出し過ぎである。今さらのような言い方だが、イタリア人はスピード狂が多いのだ。

視界が閉ざされた高速道路で一台が玉突き事故を起こすと、玉突きはドミノ式に次々に起こって、結果多くの車を巻き込む壮大な事故になる。

そんな現実を見ると僕はイタリア人が分からなくなり、この国に住んでいること自体が怖くなったりすることさえある。

同時に、学生時代のロンドンの霧がひたすらロマンチックに見えたのは、車を持つ余裕などない貧しさのおかげだったのだ、とこれまた今さらながら気づいたりもするのである。