僕のPCのブログフォルダには、ある程度書き進んだネタや、ほぼ書き上げて後は推敲するだけのテーマ、などというものも結構ある。それらは時事ネタである場合がほとんどである。時事ネタだから腐ってしまっている。しかし、書き進んだテーマにはその時々の自分の思いが既にきっちりと現れている。そこで、《過ぎた時事ネタを今振り返る》みたいなコンセプトで「掲載し遅れたこと」あるいは「投稿し忘れたこと」というカテゴリにまとめてそうした事案も公表してみようと考え付いた。つまらなければさっさとやめるつもりで。
韓国の特別検察官チームは2017年2月17日、サムスングループのトップ、サムスン電子副会長のイ・ジェヨン容疑者を贈賄容疑などで逮捕、2月28日に起訴した。同チームはサムスンが贈賄、パク・クネ統領と友人のチェ・スンシル被告が収賄側に当たり、2人が「利益を共有していた」とみている。
「名声が地に落ちた」どころか、地獄にまで崩落したとさえ言えそうなパク・クネ韓国大統領には、「功などは無く、ただ罪があるのみ」と考える人もきっと多いだろう。今となってはその主張を否定することは難しい。
しかし彼女には、日中韓の「3大東アジア女性蔑視国」にあって、大統領にまで上り詰めた実績がある。それは、米国で黒人初のオバマ大統領が誕生したことにも似た、歴史的に大きな意味のある出来事だ。その思いから僕はこの記事のタイトルを「パク・クネ大統領の功罪」とした。
【2014年9月28日付け・投稿し忘れ稿】
ここのところ政治や国際関係やグローバル経済等にまつわる事案について、大げさに言えば大上段に構えて自分の主張を展開するような気分になれない。それは何よりも先ず自らの能力の低さによるものだが、一つの問題が起こると多くの論者や自称記者やライターや主張者などが、寄ってたかってそれについての論評を言い募る風潮にうんざりしているからでもある。
たとえば慰安婦問題。アジア人、特に韓国人蔑視の暗い情念を持て余す一部の日本人は、強制連行の有無にこだわって、軍の強制を証明する資料はなく、従って韓国の主張はおかしい、という結論にたどり着く。そこまではいいのだが、彼らは鬼の首でも取ったようにそのことを言い募るうちに自らの論弁に酔ってしまって、ついには慰安婦は存在しなかった。存在していてもそれは戦時中世界各国に同様に存在していたことであり、日本だけが悪いのではない。いや日本は少しも悪くない、と主張がエスカレートして、やすやすと問題のすり替えが成される。
韓国と中国を除く世界の多くの人々は、従軍慰安婦(という言い方を敢えてする)を旧日本軍が強制的に徴用したかどうか、などには誰も関心を抱いていない。従軍慰安婦はそれがどこで起こった事案であっても、現代の感覚・価値観では「悪」なのであり、その悪を犯した日本軍は糾弾されなければならない。それなのに日本は今になって慰安婦の存在を否定しようとしている。それは安倍首相を始めとするナショナリスト(世界のジャーナリスムの感覚では極右)が台頭して、過去の日本(軍)のおぞましい顔を化粧してごまかそうとしている、まやかしの一端である、というのがグローバル世論の真の論点である。
もう少し分かりやすく言う。例えばドイツとポーランドとの間に従軍慰安婦問題があったとする。ナチスドイツは従軍慰安婦を雇い実際にこれを管理営業していたが、たまたまそこに強制的に、あるいは騙されて、あるいは仕事として割り切って慰安婦になった女性がいて、彼女が戦後、私はナチスに強制徴用されて慰安婦になった。だからドイツは私に謝れ、と申し立てたときは一蹴されるのが落ちである。韓国人慰安婦の主張もそれと同じだ、などとも歴史修正主義者は強弁する。しかし繰り返すが、論点はそこではなく、慰安婦の存在が現代の感覚や価値観では悪である、というのが問題の核心なのだ。
世界の論調とは大きくずれる「軍隊による強制性があったかどうか」を問題視する見解は、遺憾なことに日本国内に多い「世界から目を逸らしたまま民族主義を声高に強弁する<引き籠りの暴力愛好家>」たちに支持されて、小さな閉じたサークルの中で熱気を帯びて行き、膨張し、増長してやがて熱狂となる。それがネット上の従軍慰安婦問題にまつわるネトウヨや「中道を騙る隠れネトウヨ」論者らの正体だ。
誤解なきようにここで強調しておきたい。日本による韓国併合は侵略であり悪であり指弾されるべきである。それは直接には関与していない戦後世代の我われ自身にも責任がある。繰り返す。「罪はないが責任はある」のだ。過去なくしては現在の我われは存在しないからだ。
また朝日新聞は、従軍慰安婦問題に関して誤報と捏造(今となってはそうとしか考えられない「誤報」が多過ぎる)を繰り返してきた責任を十分に取って、最終的には世界の主要メデァ(例えばNYタイムズ)にそのことを認める論文を発表するべきである。なぜなら同紙の誤報が国際世論に与えた影響は無視できないものだからだ。
論文が認められない(ボツになる)ようなら、誤報の事実と謝罪広告を「金を払って」掲載するべきである。この場合の謝罪とは韓国国民に向けて、彼らをミスリードしたことを詫びる、という趣旨であり日本国民や世界に向けての謝罪という意味ではない。
なぜなら同紙は世界に向けては謝罪をする理由はなく、同紙が誤報を流し続けたという事実が世界に向けて発信されれば良い。また日本国民への謝罪とは、同紙購読者への謝罪という意味だから、それは日本語で成されるべきであり、実際に木村社長の謝罪、という形で実行されていて解決済みである。
その上で主張したい。韓国、特にパク・クネ大統領が、頑なに日本政府との対話を拒んでいるのは愚かであり醜悪である。対話拒否は蛮人の態度だ。自由と民主主義を信奉する韓国の姿勢にそぐわない。
頑な過ぎるパク・クネ大統領の態度は、もはや私怨としか見なせない域にまで落ちた、と批判されても仕方がない。彼女の態度は、国粋主義的な思想信条を隠して、米国を始めとする世界世論の顔色をうかがっては右顧左眄する、安倍晋三首相の態度と何も違わない。
パク・クネ氏は過去の日本を糾弾する姿勢を捨てないならば捨てないなりに、そのことを懐に抱え込んだままで、とにかく日本との対話を始めるべきだ。そうすることによって、彼女は自らの主張を日本に認めさせる道を開くことができるだろう。
また安倍首相は、頭隠して尻隠さずの滑稽な似非保守の演技を捨てて、潔く「右翼思想」を前面に出して己のスタンスを明らかにし、日本国内と国際世論に訴えてその審判を受けるべきだ。そうすることによってしか彼は日韓、日中関係の進展を図り、国際世論の賛同を得ることはできないのではないか、と考える。
僕は過去には、パク・クネ大統領が女性であることを特別に賞賛し敬仰 しつつも、日本との対話を拒否する彼女の頑なな姿勢には批判を禁じ得なかった。その後大統領は少し軟化して、日本との対話を模索する方向に動き出したが、醜聞に見舞われて沈んだ。彼女が収賄をしていたのなら全く同情の余地はない。が、残念な出来事だと思う。
パク・クネさんが女性でありながら、日本と同じ男尊女卑社会の韓国で大統領にまでなった事実を、僕はどうしても評価しないではいられない。アジアの国が世界で真の先進国になれないのは、女性の地位の低さが障害の一つになっているからだ。世界の国々の「文明度」は、女性の地位の高さに正比例する。あるいは世界の文明国のランクは、女性差別の重さに反比例する。
その意味では女性差別の撤廃に向かって積極的に歩み、且つ成就させている欧米の国々が、日本や韓国あるいは中国などよりもはるか上位にランク付けされるのは必然である。女性差別を無くさない限り真の民主主義はあり得ず、人間性の解放もない。パク・クネ大統領は東アジアに於ける女性解放気運の象徴的な存在だった。挫折したことを返す返すも遺憾に思う。