姪っ子二人にキスされる400pic
117歳の誕生日を祝福されるエンマ・モラーノさん

2017年4月15日、イタリア北部マッジョーレ湖畔のヴェルバニア町で、世界最高齢者のエンマ・モラーノさんが亡くなった。117歳だった。

モラーノさんの誕生年は1899年。世界でただ一人の19世紀生まれの人物で
「3世紀にまたがって生きた女性」とメディアにもてはやされた。

昨年のモラーノさんの117歳の誕生日と、先日の彼女の大往生のニュースに接した時、僕は今年で91歳になる義母・ロゼッタ・Pの名言「いつまでも死なない老人」を思い出していた。

義母のロゼッタ・Pは先年、日本の敬老の日を評価して「最近の老人はもう誰も死ななくなった。いつまでも死なない老人を敬う必要はない」、と喝破した荒武者である。

その言葉は、自身が紛れもない老人である義母の口から言われた分だけ、僕にとっては目からウロコ的な名言に聞こえた。以来僕は、その言葉と高齢化社会について、頻繁に考えるようになった。

義母の言う「いつまでも死なない老人」とは、「ムダに長生きをし過ぎて世の中に嫌われながらも、なお生存しつづけている厄介な高齢者」という意味である。

そして再び義母の規定に従えば、世の中に嫌われる老人とは「愚痴が多く自立心が希薄で面倒くさい」人々のことである。僕は彼女の見立てに結構共感している。

同時にこうも思う。「いつまでも死なない老人」の中には、いつまでも生きていてほしい、と願いたくなる高齢者もいる、と。それは例えば、愚痴を言わず穏やかで優しかった僕の死んだ母のような老人だ。

エンマ・モラーノさんの場合もそういう風だ。モラーニノさんの生涯はつましいものだったが、彼女はそれに満足して生きてきた。少々の病気では医者にかかることさえせずに自然体で過ごした。

それは逆に考えれば、彼女が大病を患わない健康な人だった、ということだろうが、何かというとすぐに大げさに騒ぎ立てて、医者に駆け込む無体な老人ではなかった、ということでもあるのだろう。

またモラーノさんは100歳を過ぎてもカクシャクとしていて周りに迷惑をかけず、明るくひっそりと生きた。そんな女性がやがて世界一の長寿者とギネスブックに認定されたのだから、僕を含めた多くの人々が「いつまでも生きてほしい」と願っても不思議ではないだろう。

モラーノさんは今からほぼ80年前の1938年、暴力的な夫と決別した。それは彼女の幼い息子が亡くなった直後のことだった。以来彼女は、ジュート(黄麻) の袋を生産する会社で75歳まで働きつつ独身を貫いた。

2016年11月29日、117歳の誕生日を迎えるに際して、モラーノさんは長生きの秘訣は「毎日卵を2個食べること」と話した。

それと同時に「独身でいることも大事」と示唆した。欧州の中でも暴君気味の夫が多いとされる、イタリアの女性らしいコメントだと僕はそのとき感じた。

イタリアでは先ごろ、夫に先立たれた女性は、そうでない女性よりも長生き、という調査結果が発表されたばかり。暴君から解放された女性たちは、ストレスがなくなって元気になり、長生きする傾向があるという。

その調査結果が真実なら、恐らく日本の女性たちにも当てはまる現象に違いない。僕が知る限り、日伊両国のうち暴君気味の夫の割合は圧倒的に日本が多いように思う。

暴君気味の夫とは、男尊女卑の因習に影響されている男、という言い方もできる。そのコンセプトで見れば、イタリアの男性が日本の男性よりも陋習からより解放されているのは明らかではないか。

イタリアはまがりなにりにも欧州の一員だ。欧州は男尊女卑の悪習を切り捨てる努力を続けてある程度成功している。前述したようにイタリアは、その方面では欧州内の遅れた国群に属してはいるけれど。

モラーノさんは116歳になった頃に、寝たきりではないがベッドからあまり離れられない状態になって、フルタイムの介護が必要になった。耳もひどく遠くなった。視力も落ちてテレビ鑑賞もままならなくなった。

しかし、頭脳は明晰でおしゃべりが大好き。食事も小食ながらよく食べた。前述の卵2個とクッキーが定番。加えてベッド上でのスナックの間食も大いに楽しんだ。

モラーノさんが亡くなった今、世界最高齢者の栄誉はジャマイカのヴァイオレット・ブラウン(Violet Brown)さんに引き継がれた。ブラウンさんはモラーノさんより約4ヶ月若い1900年3月10日生まれである。

ブラウンさんについては僕は何も知らないが、モラーノさんの跡継ぎの彼女は、その事実だけでも「いつまでも死なないでいてほしい老人」の一人であることは、最早火を見るよりも明らかな成り行きではないか。