
4月になって、暖かいというよりも暑いくらいの陽気になった北イタリアは、このまま夏に突入かとさえ見えた。
ところが4月半ばの復活祭(伊語:パスクア 英語:イースター)直後から冬が舞い戻ったような寒さがやってきた。
今日5月4日も、気温が下がった当初から数日前までの、本気モードの寒さほどではないものの、けっこう冷える。
イタリア語には春から夏に向かう時期を的確に言い表すことわざがある。すなわち:
Aprile non ti scoprire ; maggio va adagio ; giugno apri il pugno, Luglio poi fai quel che vuoi.
イタリア語を知らない人でも、アルファベットを「ローマ字」と呼ぶことを思い出して、ローマ字風にそのまま読んでみてほしい。そうすればほぼ完全にイタリア語の発音になる。イタリア語は日本語に優しい言語なのである(笑)。
そこで前述のイタリア語を敢えてカタカナで表記してみると:
『アプリィレ ノン ティ スコプリィレ; マッジョ ヴァ アダァジョ; ジューニョ アプリ
イル プーニョ, ルーりィョ ファイ クエル ケ ヴォイ』
直訳すると: 4月には覆いを外すな。5月はゆっくり行け。6月に拳をひらけ。そして7月は好きなようにしろ。
意訳をすると:4月に早まって冬着を仕舞うな。5月も油断はできない。6月にようやく少し信用して拳を緩めるように衣替えの準備をしろ。7月は好きなように薄着をして夏を楽しみなさい。
4月から6月を表現するのに《アプ“リィレ” スコプ“リィレ”; マ“ッジョ” アダ“ァジョ”; ジュー“ニョ” プー“ニョ”》と 韻を踏みつつ、予測の難しい季節の装いを提案しているのがこの格言である。
他にAprile non ti scoprire ; maggio adagio adagio ; giugno allarga il pugno, ossia ti puoi liberare dei vestiti pesanti.
という言い方など、地域や人によって言い方が多少違う。だが4月~6月までの不安定な天候(気温)に気をつけろ、と戒めているところは皆同じ。冒頭の箴言は7月まで言及し後者は6月でまとめているが。
イタリアの季節の変わり目は男性的で荒々しい。暑くなったり寒くなったり荒れたり吹き付けたり不機嫌になったりと予測ができない。
春から夏に移行する時季を言いあらわす上記のことわざは、そんなイタリアの自然の気まぐれと躍動をうまく言い当てたものだと思う。
イタリアを含む欧米のメンタリティーには、季節を細やかに観察し、楽しみ、詩心を研ぎ澄まして表現したりする文化はない。
いや、あることはあるが、日本人ほどの強いこだわりはない。何事につけ季節、つまり自然よりも人間に関心の比重があるのが、欧米のメンタリティーだ。
そんな中にあって、季節の移り変わりを気にしているイタリアの格言は珍しいものである。「珍しい」とは、くどいようだが「日本語の豊富な季節感」と比較して、という意味である。
イタリア語にはここで言及している金言以外にも季節表現があることは言うまでもない。それは英語などの他の欧州の言語も同じである。
話は変わるが、
先日、厚切りジェイソンというアメリカ人お笑いタレントが「4季は日本だけじゃなくどこにでもあるよ」と騒いでいたというネット記事を見つけて僕は笑った。
日本には4季があるのがすごいのではなく、「日本人が4季を敏感に悟りそれを徹底して愛(め)でるのがすごい」のである。4季があるだけではもちろんすごいとは言わない。
厚切りジェイソンに4季を語ったという日本人もうっかりだが、彼の言葉の意味を解しなかったお笑い芸人自身も似たり寄ったりだ。
お笑い芸人が日本人の説明をうまく理解しなかったのは、前述したように欧米人が日本人ほどには季節のあれこれを繊細に感じるメンタリティーを持たないからだ。
欧米人である厚切りジェイソン(それにしても面白い芸名だなぁ)は、「4季があるのがすごい」は「4季に感動しまくる日本人はすごい」のことだと気づけなかったのだろうと思う。
それは優劣や良い悪いの問題ではなく、単に文化が違う、ということである。文化には優劣はなく、文化間の「違い」があるだけだ。
春の桜や秋の紅葉に熱狂したり感服したりして、テレビが連日桜前線や紅葉前線を追いかける文化は、日本好きの外国人には素敵に見えるが、そうでない場合は首を傾げる類の不思議だ。
同時に日本人にとっては、なぜ四季の美しさにもっと思い入れを持たないのか、春の花や秋のもみじに激しく心を乱されないのか、と外国人が不思議に見えるわけだが。
で、日本で生まれ住んだ時間よりももはや外国住まいが長くなってしまった僕は、桜や紅葉を愛寵しながらも、例えば衛星を介して見るNHKが、毎年、連日、桜また紅葉前線をニュースで語るのを見ると、少し首を傾げたくなることがないでもない。それってそんなにニュースバリューがあることなの?と。
それでいながら、特に4月から6月の間や、晩夏から晩秋にかけてのイタリアの活発な気温の振幅を目の当たりにすると、退屈な番組も多いイタリアのNHK、つまりRAI放送局は、なぜ少しぐらいこの面白い季節変化に目を向けた番組を制作しないのか、と首を傾げたりもするのである。