選挙キャンペーンEUフラッグに両手挙げるマクロン400


順当な結果

フランス大統領選挙は、ほぼ全ての世論調査の結果通りに、むしろそれよりも良い数字で、エマニュエル・マクロン候補が当選した。

BBCの生中継放送でそのことを確認し、喜び、ワインで乾杯した。その後、5月3日に行われたマクロンVSルペンのテレビ討論会の録画を見たリしながら、2日間を過ごしていた。

決戦投票前、米大統領選の苦い体験に懲りている各種メディアは、支持率で大きく引き離されている極右のルペン候補の大逆転劇を警戒して、選挙戦の最後まで緊張していた。

第一回目の投票で、米国とは違って世論調査の精度の高さが証明されていたにも拘わらず、アメリカでの「隠れトランプ票」に匹敵する棄権票が出るのではないか、と疑ったのだ。

僕も同じ不安を抱いて選挙戦を見守った。結局、有権者の25%強つまり4人に1人が投票を棄権し、投票総数の11%以上が白票や無効票などの「抗議票」だったものの、フランス国民の良心がポピュリズムを斥けた。

国民分断の証明

「抗議票」の抗議の内容は、両候補を「ペストとコレラ」と定義してどちらも拒否するというものや、極右のルペン候補を否定しつつ、しかしマクロン候補にも大差では勝たせたくない、という意思表示など。

有権者の複雑な心理は、決選投票史上2番目に低い投票率と共に、フランス国民の不満と不安と相互不信が深く進行していることを物語っている。

つまり仏大統領選では、昨年のBrexitや米大統領選、あるいはイタリア国民投票のように、トランプ主義またはポピュリズムが勝利を収めることはなかった。

しかし、既成政治や経済や権力に対する民衆の不満は根深く、米英伊と同様に国民の間の分断もまた深刻であることが露呈された。

ポピュリズムは死なない

フランスの極右ポピュリズムは阻止されたが、国民戦線のルペン候補は1000万票余りを獲得して、政党としては現在フランスで最も勢力が強いことを証明した。

国民戦線は2002年の大統領選で、党創始者のジャンマリー・ルペン候補が決選投票にまで進出したが、国民の激しい反発に遭って沈没した。

その後、党の実権を握った娘のマリーヌ・ルペン氏は、父親のジャンマリーを追放するなど、「脱悪魔化」と評価された国民戦線の刷新を進めて成功。今回の躍進につながった。

それはまだ彼女を大統領に押し上げるほどの強烈なマグマではなかったが、6月の下院選挙での国民戦線の成功や、2022年の大統領選での勝利も夢ではない地点に彼女が立っていることを、世界に知らしめた。

負のルペンVS楽観のマクロン

ルペン候補は、国民の不満と怒りと恐怖で構成された、負のエネルギーを盾に選挙戦を闘った。一方マクロン候補は、若さと希望とポジティブな理想主義を掲げて彼女の前に立ちはだかった。

彼は対抗者のルペン氏に、金融と既成権力を守るだけのエリート、などと断罪されてもひるまず「あなたは恐怖を操るだけの最高位女性聖職者だ」などと切り返し、飽くまでも明朗を旗印にして前進した。

弁舌に長けた、若々しく且つエネルギッシュなマクロン候補は、選挙運動期間中は常に、たとえ反対者であっても彼の言い分を立ち止まって聞かずにはいられない、コミュニケーションの達人だけが持つ魅力を発散し続けた。

5月3日の対ルペン討論会ではマクロン候補は、演説のうまい相手が怒りと嘲笑を投げつける戦法に出て自滅した感もあるものの、冷静且つ巧みな弁舌でルペン氏を貶めることに成功した。

マクロン氏の高いコミュニケーション能力は、単に舌の滑りが良いだけの無意味な武器として終わるか、あるいは優れた政治的能力の顕現であることが証明されて、大統領としての彼の成功の一助となるかが間もなく明らかになるだろう。

偉大なコミュニケーターの成長物語

39歳と若いマクロン候補は、彼の年代のフラン人の中では、明らかにずば抜けた頭脳と能力を持つ経済テクノクラートであることを、十全に示した後で大統領選に臨んだ。

そして選挙キャンペーンを通して、知性と教養と言語能力、また前述したようにコミュニケーション力にも極めて優れていることを証明した。そうした彼の能力はエリートと嫌悪され憎まれることにもなった。

しかし彼は、選挙戦中に出会ったさまざまの厳しい批判や反論によって、エリートの反対側にいる世の中の不運な若者や、落ちこぼれや、数奇な生活者などの社会的弱者の存在にも気づかされたに違いない。

マクロン氏は第一回目の投票で勝利したとき、パリの高級ビストロで祝賀パーティーを催して、贅沢だ、やはり俗物のエリートだ、などと厳しい批判を浴びた。それはサルコジ元大統領の悪名高い選挙勝利祝賀会を彷彿とさせるものだったのだ。

2007年、サルコジ元大統領は、有名人や大金持ちなどのセレブを高級レストランに招いて、選挙戦の勝利を祝った。それが世論の総スカンを食らい、以後彼は大統領としての信頼を取り戻すことができないままに終わった。

決選投票を制したマクロン氏は、第一回投票後の失敗を肝に銘じて勝利祝賀会に臨んだ。彼は集まった支持者を前に飽くまでも謙虚に、生真面目な態度で勝利宣言をし、演説を行った。

彼はそこで第一回目のように「自らを誇る」のではなく、「フランスには私と違う意見の人々が多くいる。私は彼らの主張にも耳を傾けて国民全ての大統領になる努力をする」という趣旨のスピーチをして、高く評価された。

弁舌家マクロンとレンツィ

マクロン氏は厳しい選挙キャンペーンを経て、人間的に成長したと考えられるフシが多々ある。謙虚な勝利宣言演説もその一つだ。僕はマクロン新大統領を、ここイタリアのレンツィ前首相と比べてみる誘惑を禁じえない。

レンツィ氏はイタリア政界に颯爽と登場して、「壊し屋」とも呼ばれる他者を強引に押しのけ猛進する手法で、あっという間に首相の座に駆け上った。マクロン氏と同じ39歳の若さだった。だが多くの反感を買ってたちまちその地位から陥落した。

先日イタリア民主党の書記長に再選出されたレンツィ氏は、マクロン氏に似た弁舌の巧みさでも知られている。同時に、権謀術数を巡らしながら舌鋒鋭く政敵を攻める策士であることが、時と共に明らかになってきた。

つまり彼の弁舌の巧みさは、論語にいう「巧言令色鮮し仁」のうち、巧言にして仁の少ない男、つまり言葉だけが優れていて徳のない人、という本性の現われにも見えるのだ。

片やマクロン氏はこれまでのところ、言行一致の実直な男という印象を僕は持つ。そこには15歳の時に40歳の女教師に指導を受けて成長したという、マクロン少年に重なる何かがあるようにも思う。

ゴシップにさらされるマクロン夫人は公的存在

40歳の女教師とは、現在のマクロン氏の妻ブリジットさんのことである。彼は29歳の時にその女教師と結婚し、今でも彼女に師事しながら支え合って暮らし、生き、そして選挙戦も闘い抜いた。

15歳の少年のままとは言わないが、自らの母親ほどの年齢の女性を伴侶に持って、彼女の助言や意見に師事する心を捨てずにいる男の素直な精神は、前述したように反対者に耳を傾けることの重要性なども必ず学んだに違いない、と僕は思うのだ。

39歳の若き大統領と64歳の妻の在りようは、かすかな女性蔑視と、少しの老年者差別と、若い夫への賞賛などが複雑に入り混じった大衆の「覗き趣味」を刺激して、フランス内外のメディアの話題をさらっている。

25歳も年上の女性を妻に持つマクロン新大統領は、例えば24歳若い妻を持つトランプ米大統領や、50歳若い婚約者を持つイタリアのベルルスコーニ元首相などの、古い退屈なマッチョ権力者とは違う、新タイプのリーダーになるのかもしれない。

多難な前途

言うまでもなく、さしあたってのマクロン大統領の課題は、いつのどの国の選挙でもそうであるように、分断した国民の融和を図ることと、選挙公約を守ることだ。その中でも最大の課題は雇用の拡大であり格差の解消である。そして何よりもBrexitによって傷ついたEUを、その主要国としていかに立て直して行くかを模索することでもある。

それらの政策を実現するために、新大統領は来月のフランス下院選挙で自ら立ち上げた政治運動「En Marche!(前進!)」と共に選挙を戦い、過半数の獲得を目指す。それが叶わない場合には連立政権を目標にすることになるが、それでは安定した政権運営は保障されず、前途は多難になる。新大統領の先行きが、安穏とはほど遠いものであることは、火を見るよりも明らかである。