2012年1月、地中海周遊の豪華客船「コスタ・コンコルディア」を、軽薄な動機でジリオ島に過度に寄せて座礁させた、イタリアメディアの言う「腰抜け船長」フランチェスコ・スケッティーノに、伊最高裁が禁錮16年を言い渡し刑が確定した。検察は26年の刑を要求していた。
日本人43人を含む3276人の乗客と1023人の乗組員を乗せた「コスタ・コンコルディ」は、ローマ近くのチビタヴェッキオ港を出発して地中海に乗り出した。イタリア沿岸部と地中海の島々、またフランス、スペインなどを7日間で巡るツアーだった。
出発から間もない夕食時、正確には夕餉が佳境に入っていた夜10時前、コスタ・コンコルディアはイタリア・トスカーナ州沖合いのジリオ島の浅瀬に座礁し、ほぼ1時間後に右舷側に70度傾き転覆した。
32人の犠牲者が出た大惨事に関しては、驚愕の事実が次々に明るみに出た。最大のものは、船長のスケッティーノが、船を無理に島に近づけて座礁・沈没させておきながら、乗客を船に残したまま逃げ出した事実だった。
事故当時、スケッティーノは若い愛人とワインを飲みながら食事をしていた。スケッティーノは東欧出身でダンサーのその女性を、誕生日祝いとして航海に招待し無断で乗船させていた。女性の名前が乗客名簿になかったことが、後日露見したのである。
その前にスケッティーノは、巨大客船を無理に島に近づける操船をした。イタリアの船乗りの間には、船から陸の友人知人に挨拶を行う習慣がある。スケッティーノは当初、島に住む元船乗りの知人を喜ばせるために船を島に寄せた、と考えられていた。
しかしそれは誤報で、彼は島出身の同船の給仕長を喜ばせるために、その無茶な舵取りをしたことが間もなく明らかになった。スケッティーノは給仕長をデッキに呼んで「見ろ、君のジリオ島だ」と得意気に言ったという。給仕長は驚愕して「船が島に近づき過ぎている」と返した。その直後に事故が起きた。
スケッティーノは船が沈みかけている間まともな行動を取るどころか、乗客よりも先にジリオ島に上陸避難していた。つまり船から逃げ出したのだ。そればかりではなく、沿岸警備隊員や港湾当局者に「船に戻って救助の指揮をとれ!」と繰り返し罵倒されてさえいた。
彼の行動はイタリア国内に怒りの嵐を巻き起こした。イタリアのメディアはスケッティーノを「腰抜け船長」「ふ抜け野郎」などと命名して激しく非難した。それに対してスケッティーノと彼の弁護人は、あれこれと言い訳がましいことを持ち出しては反論した。
いわく:スケッティーノ船長は最後に船を離れた。いわく:犠牲者の数は32人では済まなかった。座礁後にスケッティーノが、陸側に近づくように操船をしたり、いかりを下ろす措置などをしたおかげで、犠牲者の数が大幅に抑えられた、など。など。
しかしその後の捜査や多くの検証によって、スケッティーノの言い分が事実ではないことが明らかになると、彼はついに乗客を見捨てて船を離れたことを認めた。ところがそれについても「船の上で転んで、偶然に救命ボートの中に落ちた」と付け加えて、人々のさらなる不信と怒りと嘲笑を買った。
スケッティーノの行為と、にわかには信じがたい彼の反論の数々は、国際的な摩擦にまで発展した。ドイツの週刊誌が「スケッティーノは典型的なイタリア人」という趣旨の記事を掲載したのだ。これにイタリア中が猛反発。折からの欧州財政危機に伴う2国民の対立も重なって、外交問題にまで発展する騒ぎになった。
スケッティーノは裁判が進行する間、なんら拘束されることもなく自由の身だった。彼は2014年9月には、ローマ大学で「危機管理とはなんぞや」というテーマで講演までしている。僕はそのことを知ったとき、彼を講師に呼ぶほうも呼ぶほうだが、のこのこと出かけて行くスケッティーノも相当のKY・鉄面皮だ、と思った。
事故後一貫して世論の怒りを招くような言動を繰り返してきたスケッティーノは、禁固16年という最高裁判決が下された2017年5月12日、「違う結果を期待したが、私は司法を信頼し尊重している」と珍しく神妙な言葉を発して出頭し、直ちにローマの刑務所に収監された。
それは「腰抜け」「卑怯者」「恥知らず」などとさんざんマスコミに叩かれ、世論からも総スカンを食らい続けた「堕天使船長」フランチェスコ・スケッティーノが初めて見せた、賞賛に値すると言えば過言になるだろうが、少なくとも潔い言動であるように僕は感じた。
ところでコスタ・コンコルディア事故の2年後には 韓国でセウォル号事件が起きて、船長が真っ先に船から逃げ出して問題になった。船長が船と運命を共にする、という万人承知のコンセプトいわゆる「最後退船義務」は、実は飽くまでも慣例であって義務ではない。
しかし船の危険に際しては船長は「人命と船舶と積荷の救助に全力を尽くさなければならない」と規定されている。世界中の批判を浴びたスケッティーノの大失態を見て、世の中の船乗りは改めて襟を正したはずなのに、セウォル号の船長はそのことを知らなかったのだろうか、と僕はその時に考えたことをふと思い出したりもした。