リーナどUP薄笑い400
トト・リイナ


イタリア最高裁判所は2017年6月5日、マフィア史上最大最悪のボスとも形容される、トト・リイナを釈放するべきか否か吟味するよう、拘留再審裁判所に命じた。

獄中のリイナは86歳の高齢に加えて、癌と複数の病に侵されているとされる。彼の弁護人はそれを理由に1年前、自宅拘禁または終身刑の軽減を要請した。何度目かの申請だった。

最高裁は直近の訴えを認め「あらゆる末期患者と同じようにリイナにも尊厳死が認められるべき」として、要請を却下していた拘留再審裁判所に差し戻し審理を言い渡したのである。

「凶悪犯のリイナにも尊厳死を」という最高裁の裁定に、イタリア中が蜂の巣をつついたような騒ぎになった。人々の驚きの実相は、次に記すマフィア構成員以外の被害者家族の心情に集約されていると思う。

25年前、リイナによって爆殺された反マフィアの旗手、ファルコーネ判事の姉マリア・ファルコーネさんは、「私にはもはやリイナに対する格別の怨みはない。しかしリイナは依然として危険な犯罪者のままでいるのだから、社会の安全のために刑務所内に留まるべき」とコメントした。

第2次マフィア戦争中の1982年、マフィア捜査のトップだった父親ダッラ・キエザ将軍を殺害された娘のリタさんは、「私の父は母と護衛の警察官ともどもマフィアに惨殺された。だがマフィアは遺体にシーツを被せるなどの最小限の気遣いさえしなかった。彼らの死は尊厳死とは程遠いものだった。なのになぜリイナには尊厳死が認められるのか」と怒りをあらわにした。

「反マフィア国会委員会」委員長のロージー・ビンディ氏は、「リイナが収監されているパルマ刑務所内には高度な医療設備を持つクリニックがある。リイナはそこで治療を受ければ済むこと」とした。この意見には多くの国会議員らも賛成している。

またマフィアによる連続爆破事件の一つである1993年の「フィレンツェ・ウフィッツィ博物館爆破事件被害者の会」も、最高裁の裁定に深い衝撃を受けた、信じられない、として判決を強く批判している。

一方、「全国受刑者支援の会」のマウロ・パルマ氏は、「最高裁が何よりも人間の尊厳を重視する原則を披瀝したのは極めて喜ばしい」と表明した。また「イタリア刑事弁護士会」は「刑罰のゴールは復讐であってはならない」として、最高裁の仁慈裁定を支持する旨のコメントを出した。

その残忍凶暴さから“野獣”とも呼ばれるリイナは、マフィアの頂点に君臨して1000人余りの殺害に関わったとされる。この数字の根拠は、1981年から83年にかけてのマフィア間の血の闘争、いわゆる第2次マフィア戦争で1000人余が殺害されたが、当時マフィアのトップにいたリイナが、NO2のプロヴェンツァーノとともに命令を下したことにある。

リイナ自身は100人余の殺害を実際に行ったと見られている。また1996年に逮捕されて司法協力者になった元マフィアNO3のジョヴァンニ・ブルスカは、「自分は100人~200人を殺害したが正確な数字は分からない」と自白した。それも全てリイナの指示によっていた。

リイナは情け容赦のない手段でライバルのマフィアや司法関係者、一般市民などを殺害していった。また彼以前のマフィアのボスがタブーと見なしていた「女性や子供の殺害」もためらわずに指示した。リイナは犯罪組織の攻撃手法のみならず、その意識もより非情残虐な方向へと改悪していったのである。

1992年には、シチリアマフィア事件の象徴とも言える「カパーチの悲劇」が起こった。反マフィアの中心人物ファルコーネ判事が高速走行中の車ともども爆破されたのだ。この事件の実行犯はブルスカだが、殺害指示を出して主導したのはやはりトップのリイナだったことが、実行犯のブルスカ自身を始めとする多くの証言で裏付けられている。

彼自身も残虐な殺人鬼だったブルスカは、1996年に逮捕された後に寝返って司法協力者となり、多くの貴重な情報をもたらした。彼はその功績によって、終身刑の身でありながら、2004年以降は45日ごとに刑務所を出て家族とともに一週間を過ごすことを認められている。

彼の獄中での模範的な行動と、なによりも司法への情報提供に対する褒賞である。そのことを知った被害者家族からは警察への非難の声が上がった。が、犯罪者が司法に協力することで利を得る司法取引とはそういうものだから、納得のいく顛末ではないかと思う。

リイナの弁護士は、あるいはブルスカの例なども考慮してリイナの釈放を要請したのかもしれない。しかし、リイナは逮捕後も秘密を明かさず口も割らず、むろん司法への協力も拒み続けている。彼もまた-元反マフィア検事で現上院議長のピエトロ・グラッソ氏がいみじくも指摘したように-プロヴェンツァーノと同じく「多くの秘密を抱えたまま長い血糊の帯を引きずって墓場に行く」ことが確実だ。

イタリアの司法制度は厳罰主義を取らない。そこにはキリスト教の「赦し」の教義が強く反映している。「人は間違いを犯すものであり、間違いは許されるべきである」という寛容と慈愛に満ちたその哲学を、僕は深く敬仰し支持する。しかし、リイナの赦免に対しては違和感を覚えざるを得ない。

リイナ並みの重罪犯であるプロヴェンツァーノは、昨年83歳で獄死したが、死の直前の彼の健康状態は今のリイナよりも重篤だった。だが彼は終身刑を解かれることはなく獄中で死んだ。リイナだけがなぜ放免されなければならないのか、僕はやはり強い不審を抱かずにはいられない。

リイナには26件の終身刑が科されている。つまりもしもイタリアに死刑制度があったならば、飽くまでも象徴的な例えだが、26回も刑死を執行されなければならない猛悪凶徒なのである。司法に協力をせず、反省も謝罪もなく、秘密も明かさない言わば「悪の確信犯」の彼は、プロヴェンツァーノ同様に刑務所内で生を全うするべき、と断ずるのは酷だろうか。