切り取り


政治家の厚顔ぶりを嘆いたり恥知らずな言動にあきれたりしても詮ないことだが、それでも、突然総選挙に打って出て、負けて、何事もなかったかのように政権にしがみついた英国のテリ-ザ・メイ首相にはおどろいた。

自らが所属する保守党が、ライバルの労働党に世論調査で大きく差をつけていることを見て小躍りした同首相は、EU離脱交渉をスムースに運ぶために選挙に大勝する、という思惑から解散総選挙に走って敗北。

しなくてもよい選挙を「勝手に」行って、過半数割れに陥ったことは、失った議席数は13と大きくはなかったものの、「惨敗」と形容してもいいのではないか。何しろ単独過半数を保持していた与党が一気に少数派になってしまったのだから。

メイ首相の失態は、しなくてもよい国民投票を行って、Brexitを実現させてしまったキャメロン前首相と同じ大ポカだ。さらにいえばここイタリアのレンツィ前首相が、憲法改正を問う国民投票で「私を取るか否か」と思い上がりもはなはだしい問いを国民に投げかけて、大敗したことと同じだ。

EU離脱を問う国民投票を実施したキャメロン氏にも、イタリアのレンツィ氏と同じように奢りがあった。メイ首相の「余計な」選挙実施にも似たような側面がある。おごれる者久しからず、という平家物語の箴言を彼らは知らないのだろう。

キャメロン氏もレンツィ氏も負けた責任を取って、その意味では潔く首相を辞任した。ところがメイ首相は厚顔と恥知らずを発揮して、自らの責任をほっかむりして首相を辞任するどころか居座りを決めた。議席数わずか10の地方政党
DUP(民主統一党)と連立を組んで。

メイ首相は選挙に負けたことで、少なくとも欧州統一市場からの脱退、といういわゆる「ハードブレグジッド」を和らげる方向に傾くだろうが、その実現は難しいのではないか。改造新内閣内には、ジョンソン外相を始め欧州懐疑主義者で喧嘩好きな閣僚も依然として多いからだ。

彼らの存在はEUとの離脱交渉を困難なものにして、合意なき離脱という最悪の結果にもなりかねない。EUがイギリスに妥協することはあまり考えられないからだ。誰よりも先に妥協を念頭におかなければならないのは英国なのである。

保守党と連立を組む北アイルランドの少数政党DUP(民主統一党・プロテスタント系) は、右寄りで強い反EUの傾向を持つ 。その存在もメイ首相のEU離脱交渉を難しくするだろう。

EUは総選挙の前にメイ首相をすでに「勝手な夢の中で生きている」とみなして、譲歩をしない方向性を示してきた。「英国との友好関係を維持する」という外交辞令とは裏腹に、離脱を決めた英国へのEUの厳しい姿勢は変わらない。

『EU離脱は損』、という不文律を確固たるものにしたいEUにとっては、英国を甘やかすことは自らの首を絞める行為にも等しい愚策だ。それは将来、英国を真似て離脱を決める国が出る可能性を高める。EUはその点では絶対に譲ることはできないのである。

現状では英国がEU残留に向かう可能性はないが、今後のなり行き次第ではBrexitをひっくり返して、EUに留まる決意をする可能性は依然としてゼロではないと思う。それは僕の希望的観測ではあるものの、いちがいにそれだけとは言い切れない。次のような動きもあるからだ。

総選挙後の6月13日、メイ首相はパリに飛んでマクロン仏大統領と会談した。その際マクロン大統領は「英国がEU残留を望むならドアは開かれている」と発言した。同大統領は「離脱手続きが開始されれば後戻りは難しいが」とも付け加えたが、発言は英国のEU残留の可能性がわずかながら残されていることの証ではないか。

英国のどんでん返しのEU残留が理想的だが、予定通りEU離脱を進めるならば、メイ首相は英国の未来のために必ずソフトブレグジットを目指すべきだ。そうすることで、Brexitによって最もひどい損害を蒙る英国の若い世代に、少しでも良い展望をプレゼントすることができる。

メイ首相と比較されることも少なくない英国初の女性宰相マーガレット・サッチャーは、かつて「小さな政府」と「自由主義経済」 を旗印にEU(当時はEC)とも強硬姿勢で臨んで成果を挙げた。だが今は時代が違い、状況が違い、2人の女性首相の手腕も器も違う。

サッチャー首相は「政治家の仕事は根回し(多数の意見の一致)に長けることではなく、己れの信念を打ち出すことだ」と言った。それは将来への明確な政策設計を持ち、さらにそれを国民に伝えるコミュニケーション能力に優れていたサッチャー首相にしてはじめて口にできる言葉だ。

テリーザ・メイは断じてマーガレット・サッチャーではない。メイ首相は妥協しない「鉄の女」を目指すのではなく、身の丈にあった「調整型の政治」を目指してEUとの交渉にあたり、せめて総選挙での不手際を埋めあわせるような、ソフトなEU離脱を目指してほしい。