
写真:デンマーク、ハイネ氏配信
皇太子(徳仁親王)さんがデンマークでゆきずりの人と自撮りをしたことを、僕はゆるりとひそかにうれしく思った。
そのことを書きたいが、さて皇太子さんの呼び方をどうするかで少し迷った。
「皇太子殿下」「徳仁親王殿下」「東宮さま」など、堅苦しい伝統に縛られた言い方をするのがはばかられた。
それというのも皇太子さんが、一般人と街中の路上で、気さくに自撮りに応じたのは、まさにそれらの堅苦しい呼称に代表される「伝統」に挑む行為にほかならないからだ。
大時代なそれらは伝統という名の、だがもしかすると陋習かもしれないコンセプトである。だから皇太子さんはあえてそれらに挑んでいるのだろう。
皇太子さんのその「勇気」を賞賛するのがこの稿の目的である。それなのに僕が、伝統ならまだしも、陋習かもしれないものに縛られた言い方をしては自己撞着だ。
あれこれと迷う間に京都の人々が天皇陛下を(親しみをこめて)天皇さん、と呼ぶことを思い出して、試しに「皇太子さん」と口にしてみた。すると、それが一番しっくりくることがわかった。
先に進む前に保守派の皆さんが眉をひそめそうなので断りを入れておきたい。
皇太子さんを、さん付けで呼ぶのは決して侮辱する意味ではない。皇室典範には皇太子さんを「皇太子殿下」と呼ぶと明記されているが、皇太子は天皇と同じようにその呼称自体がすでに尊称だとも考えられるから、実は陛下や殿下をつけなくても恭しい言葉だ。
だから「皇太子は」と書いても問題はない。むしろ正確と実を重んじるジャーナリズムの書き方はそうあって然るべきだ。
だが僕のこの文章はジャーナリズムのコンセプトで書くものではない。あくまでも僕の意見また心情を吐露するエッセイやコラムや随筆の意味合いで書く。
いわばオフィシャルな呼称ではなく、個人的、人間的な親しみをこめて僕は皇太子殿下を「皇太子さん」と呼ぶのである。
この際なのでさらに付け加えておけば、今こうして僕があれこれと説明したり言い訳をしたりしていること自体が日本の、そして皇室の、つまり宮内庁の時代錯誤と封建制がもたらす弊害以外の何物でもない。
そしてそれは、世界の中で日本が生きていく際に、日本国と日本国民の後進性あるいは閉鎖性を象徴する概念や事象やファクトや思念と見られかねないものであり、日本のイメージの低下をもたらすことはあっても、イメージの向上に資することは決してない。
皇太子さんが自撮りに気軽に応え、大きな笑顔を世界中に披露したのはすばらしいことだ。それは皇室が開けたものになる未来を垣間見させる象徴的な出来事だ。
それはまた今上天皇が、皇太子さんほかの子供たちを手元において、皇后陛下ともどもに「家庭で」育てた「皇室の近代化」の動きの結実でもある。
宮内庁は皇太子さんの前例のない行動におどろき、おそれたという。僕はそれとは逆に、宮内庁の反応そのものにこそおどろき、おそれたものだ。
おどろいたのは、皇太子さんの徹頭徹尾ポジティブな行動をポジティブと理解しない愚昧な守旧性への驚嘆。
またおそれは、宮内庁の考えに似た姿勢でいる日本国内の民族主義者と、それに唯々諾々と取り込まれるであろう一部の、無思考の国民への不安。
彼らの非難の声が起こって、皇太子さんが目指している皇室の行く末と、従って日本の行く方向に暗雲が垂れ込める可能性をおそれ憂いたのだ。
皇太子さんが自撮りを披露した直後に、偶然にも、英国ではヘンリー王子が
「王室の家族の中ですすんで王や女王になりたい者などいない」と」発言して話題になった。
それは王や女王であることの重い責任と、不自由と、非人間的な規制生活の諸々を喜んで引き受ける者などいない。
それでも
王になり女王になるのは、要するに国民に対する王族としての責任感と義務感があるからだ、という意味を行間に込めた人間味あふれる宣言だった。
ヘンリー王子は同時に、彼の母親のダイアナ妃の葬儀の際、幼かった自分が母親の棺の横で行列に従って歩いた苦痛を「あってはならないこと」と、これまた聞く者の涙と共感を呼ばずにはおかない心情も吐露した。
それは伝統やしきたりや慣習の秘める残酷を指弾した宣告だ。だが決して伝統やしきたりや慣習を否定するものではなく、それらは変革し作り変えられるべきものでもある、という開明的な考えの披瀝でもあったのだ。
僕はヘンリー王子の真摯な気持ち表明と、皇太子さんのニコヤカな自撮りに同じルーツを見たのである。
今上天皇から皇太子さんに確実に受け継がれている、人間的な皇室を目指す彼らの摯実な行状は、日本の未来を象徴する明るいものだ。
皇太子さんが妻の雅子妃を妻として「普通に」守り、かばう言動を繰り返すことと共に、実に喜ばしいことだと腹から思うのである。