共和国



先日の皇太子さんに関する記事を踏まえて、早速議論を仕掛けてきた友がいる。「君は天皇制をどう見ているのか」という趣旨の、少し怒ったような内容の便りである。

彼は天皇制支持者で皇室尊崇派の男だ。それが理由だろうが、皇太子さん記事は彼にとっては、軽過ぎる内容だったらしい。

僕は彼の了解を得てブログ上に自分の見解を述べることにした。

ちなみに「君は天皇制をどう見ているのか」という友人の問いには、次のような趣旨の返事をしておいた。

天皇制については僕は懐疑的です。先の大戦の如く、制度を利用して、国を誤らせる輩が跋扈する可能性が決してなくならないからです。

しかし「天皇制」と「天皇家」は別物です。天皇制を悪用して私利私欲を満たす連中は天皇家のあずかり知らないことです。

天皇家とその家族は善なる存在ですが、天皇制はできればないほうが良いと考えます。しかし、(天皇制を悪用する)過去の亡霊が完全に払拭されるならば、もちろん今のままの形でも構わない、とも思います。


僕は今のところ、信条として「共和国主義が最善の政治体制」だと考える者である。「共和主義者」には独裁者や共産党独裁体制の首魁などもいる。僕はそれらを認めない。あくまでも民主的な「共和国主義」が理想である。

それはここイタリア、またフランスの共和制のことであり、ドイツ連邦やアメリカ合衆国などの制度のことである。それらは「全ての人間は平等に造られている」 という不磨の大典的思想、あるいは人間存在の真理の上に造られている。

民主主義を標榜するするそれらの共和(連邦,合衆)国では、主権は国民にあり、その国民によって選ばれた代表によって行使される政治制度が死守されている。多くの場合、大統領は元首も兼ねる。

僕は国家元首を含むあらゆる公職は、主権を有する国民の選挙によって選ばれ決定されるべき、と考える。つまり国のあらゆる権力や制度は米独仏伊などのように国民の選挙によって造られるべき、という立場だ。

世界には共和国と称し且つ民主主義を標榜しながら、実態は独裁主義にほかならない国々、例えば中華人民共和国、朝鮮民主主義人民共和国なども存在する。

共和国と民主国家は同じ概念ではない。そこを踏まえた上で、僕は「共和国」を飽くまでも「民主主義体制の共和国」という意味で論じたいのである。

僕が友人への便りに「天皇制はできればないほうが良い」と言いつつ「今のままの形でも構わない」と優柔不断な物言いをしたのは、実は僕が天皇制に関しては、自身がもっとも嫌いな「大勢順応・迎合主義」を信条としているからである。

大勢順応・迎合主義とは、何事につけ主体的な意見を持たず、「赤信号、皆で渡れば怖くない」とばかりに大勢の後ろに回って、これに付き従う態度でありそういう動きをする者のことである。

ではここではそれはどういう意味かというと、共和国(制)主義を信奉しながらも、日本国民の大勢が現状のように天皇制を支持していくなら、僕は躊躇することなくそれに従うということだ。

共和国(制)主義を支持するのだから、君主を否定することになり、従って天皇制には反対ということになる。それはそうなのだが、僕が天皇制を支持しないのは天皇家への反感が理由ではない。

友人への返信で示したように、天皇制を利用して国家を悪の方向に導く政治家が必ずいて、天皇制が存続する限りその可能性をゼロにすることは決してできない。だから天皇制には反対なのである。

しかしながら、繰り返しになるが、日本国民の大多数が天皇制を良しとしているのだから、僕もそれで良しとするのである。天皇家を存続させながら天皇制をなくす方法があれば、あるいはそれが適切かもしれない。

とはいうもののそのことに関しては、僕は飽くまでも大勢に従う気分が濃厚なのである。そこには日本国民が今さらまさか昔の過ちを忘れて、天皇制を歪曲濫用する輩に惑わされることはないだろう、という大きな信頼がある。