教会と最高塔縦800pic
高さ54mのグロッサの塔とサンジミニャーノ大聖堂



丘陵に展開される田園風景が美しいイタリア・トスカーナ州のサンジミニャーノを久しぶりに訪ねた。

正確に言えば、トスカーナ州のキャンティ・ワインの里に招かれて、近くの街サンジミニャーノにも足を伸ばした。

パリオで知られたシエナ県にあるサンジミニャーノには、街が大きく発展した
10世紀以降に建てられた高塔が林立している。

「中世のマンハッタン」あるいは「中世の摩天楼都市」などと呼ぶ人々がいるゆえんだ。

マンハッタンの街を歩いても実は聳え立つ摩天楼は見えない。あたりの建物もみな背が高いために視界が制限されるからだ。

ところが塔以外の建物の背が低く、街もひどく狭いサンジミニャーノでは、ほぼ全ての通りから聳え立つ塔が威圧し迫ってくる。

サンジミニャーノの最も感慨深いポイントは、どこにいても見える古色蒼然とした塔の圧倒的な存在感だ。

塔は初め戦闘の見張りが目的で建設された。街が発展するにつれて戦への備えの意味が薄くなり、貴族や豪族が勢力の誇示を競ってより高いものを目指して乱立した。

エトルリアが起源の小さな古代都市には、最盛期には72本もの塔が聳えた。現在残っているのは14本だが、それらの威圧感は並大抵ではない。

72本が空から見下ろしていた時代には、あるいはサンジミニャーノの街は、息苦しさを覚えるような不快な場所だったかのもしれない。

中世に塔が林立したのはサンジミニャーノに特異の現象ではない。フィレンツェやシエナなどを始めとする多くの都市に共通の出来事だった。いわゆる教皇派と皇帝派が血で血を洗う争いを続けた期間中に特に数が増えた。

その後塔は、戦争や天災によって破壊されたり、また多くが都市の再開発目的で解体されたりして、ほぼ全てが姿を消した。

サンジミニャーノ以外で残っている有名なものは、フィレンツェの隣、ボローニャ市の2本の斜塔、アジネッリとガリゼンダくらいのものである。

14本もの塔がサンジミニャーノに残ったのは、皮肉にも街が発展から取り残されたからだった。

権力争いに加えて、ペストの流行で街は徐々に衰退した。加えてフィレンツェとシエナという2大勢力に挟まれて翻弄され、16世紀半ばにはすっかり世間から取り残された。

他のほぼ全ての街では、前述の理由で塔は次々に解体されていったが、サンジミニャーノには解体をする理由も、経済的余裕も、またその意思もないまま
14塔が残った。

さびれた街のさびれた塔は、歴史の遺物あるいは「異物」として、利用価値もないままそこに立ち続けた。

ところが現代になって、観光が世界的な産業に発展するのに伴い、サンジミニャーノの異物は異物であるがゆえに大きな関心を集め、観光の目玉として大復活した。

塔のみならず、ロマネスク様式とそれに続くゴシック様式の建物に埋め尽くされている街は、12世紀から14世紀にかけての雰囲気を多く残し、集落の周りにある城壁とともに世界遺産に登録された。

僕は過去にこの街を4度訪れている。2度はリサーチのため、その後中継番組とドキュメンタリー制作で数日滞在した。今回が5回目である。

今回は仕事ではないのでのんびりと街を散策した。塔の威容を間近に見るカフェで、よく冷えた白ワイン「ヴェルナッチャ・ディ・サンジミニャーノ」を味わった。

過去にも飲んだと思うが、仕事で頭が一杯の中での行為であり、また赤ワインが好みという自分の性癖もあるのだろう、ほとんど覚えていない。

「ヴェルナッチャ・ディ・サンジミニャーノ」はイタリアの白ワインの代表的なブランドの一つ。サンジミニャーノ周辺に広がる丘陵地帯で栽培される葡萄、ヴェルナッチャ種を用いて作られる。

辛口のよく冷えたワインは懐かしい味がした。しかしそれは、どこかで一度飲んで忘れていた味がよみがえった、という風な感覚ではなかった。

やわらかい酸味と、ふわりとした苦味がからまった果実の深い風味が、体中に眠る根源的な心緒に触れる、とでもいうような愉悦だった。

その不思議な感覚は、あるいはダンテが「神曲」の煉獄編で美味なるものとして描いた、「うなぎのヴェルナッチャ・ディ・サン・ジミニャーノ煮」の記憶が呼び起こしたものかもしれない。

それともまた、同ワインを語るミケランジェロゆかりという有名な表現「Bacia, lecca, morde, picca e punge(口づける、なめる、噛む、(すると)舌を刺し、ぴりっとくる」に由来するのかもしれない。

ワインの心地よい作用で、ゆらりと揺れる視界を上方に引き上げると、そこには相変わらず古い荘重な塔が聳えている。美しい、の一言につきる光景だった。

古い建築物が人の心を揺さぶるのは、それが古いとか壮大であるとか豪華であるとか堅牢であるetc,etc・・が理由ではない。その建物を「誰かが必要とした」という点が眼目なのである。

それを必要とした者は、彼のあるいは彼らの必要に応じて建物を構築する。つまり建物とは人の思いや心が詰まったものだ。それはつまり「建物は人」ということと同義である。

誰かが必要としたおかげで誕生した建造物は、その後も人々のニーズに応じて修復され、はたまた拡張され縮小されて、いつまでもそこに立ち続ける。逆に必要でなくなればたちまち壊される。

人にとって必要なものとは、多くの場合は機能的であり、便利であり、役立つものであり、かつ丈夫なものである。それらの要件を満たした建物は使い続けられる。

建物は使い続けられるうちに単なる物ではなくなって、人の精神の何かがこもった「もの」になっていく。

そして人の精神の何か、とは文化であり歴史であり伝統である。それがわれわれに何かを訴え掛ける。

無用の長物に見えた14の塔も、「使い続けられた街」の一部としてそこに立ち続けていたために、他の建物と同化して人の精神がこもった。

そうやって塔は塔としても、また街並みと渾然一体となった「精神体」としても完成することになり、美しい歴史絵巻として激しくわれわれの胸を撃つ存在になったのである。