50歳のバッジョ
50歳になったイタリア最強の「ファンタジスタ」Rバッジョ


イタリアサッカーが面白くないのは、「違い」を演出できる優れた選手がいないからだ。それらの選手はイタリアではファンタジスタと呼ばれる。ファンタジスタとはイタリア語のファンタジア(英語:ファンタジー)、つまり想像力とか独創性から来た言葉で、オリジナリティーに富むトップ下のストライカーなどを指す場合が多い。

サッカー選手のレベルを表す言葉としてイタリア語にはfuoriclasse(フゥオリクラッセ)、つまり「並外れの」とか「規格外の」あるいは「超一流の」というようなニュアンスの表現があるが、ファンタジスタはそのfuoriclasse(フゥオリクラッセ)の中でも特に優れた選手を形容する、最大級の尊称である。

ファンタジスタには規定や条件はなく、ファンやメディアが自然にそれと見なして呼びかける言葉で、極めて少数の選りすぐりの選手だけに与えられる称号。それがいかに特別な意味を持つ呼び方であるかは、次に示すファンタジスタたちの名前を見るだけでも十分ではないか。

最近のイタリア選手で言えば、ロベルト・バッジョ、アレッサンドロ・デルピエロ、フランチェスコ・トッティ、またFWではないがアンドレア・ピルロもそのうちの一人だ。さらに言えばバルセロナのメッシとスアレス、PSGのネイマール。もっと付け加えれば、マラドーナやジダンもイタリア的な感覚ではファンタジスタだ。

イタリアのファンタジスタの中ではバッジョが史上最強だと思うが、彼以外にも見ていて胸を躍らされる「違いを作り出す」選手たちが、近年だけでもイタリアには多く輩出した。だからイタリアサッカーは面白く強かった。強いサッカーとは面白いサッカーのことで、その逆もまた真なのだが、今は誰もいない。

彼らの仲間入りを果たしそうな選手は2人いた。アントニオ・カッサーノとマリオ・バロテッリである。しかし優れた能力を有しながら、2人は性格の不安定と頭の中身がぶっ飛んでいることが災いして、ついに大成しなかった。

カッサーノはカッサーノらしく先日、引き際でも混乱し物議を醸した後に正式引退。カッサーノに似た問題児のバロテッリは、まだ若いながら絶頂期は過ぎてあとは落ちるばかり、という風である。精神的に大きく成長しない限り、その傾向は逆転しないだろう。

2人はどちらも感情的あるいは衝動的になりやすい性格である。子供精神丸出しですぐに他者とぶつかり迷走する。成長し頭の中身を修正して、ピッチでも私生活でもイタリア代表チームのリーダーになることを期待され続けたのだが、うまくいかなかった。

カッサーノとバロテッリに続く才能は今のところ見当たらない。つまり、イタリアサッカーがかつての栄光を取り戻す道筋は見えない。ディフェンダーはイタリアらしく強い選手がひしめいている。だが守備だけではサッカーは勝てない。たとえ勝てても見ていて面白くない。

直近のビッグイベント、2016年の欧州選手権・イタリア代表の選手を引き合いに出してみよう。代表に選ばれたのは次の選手たちだった。

攻撃:エデル、ペッレ ザザ ジャッケリーニなど、いずれ劣らぬ凡手でどんぐりの背比べ。フゥオリクラセやファンタジスタとは逆立ちしても呼べない。

中盤:デ・ロッシ ティアゴ・モッタ モントリーボら。いずれもワールドクラスの選手だが、彼らは3人束になっても、イタリア最後のファンタジスタ、アンドレア・ピルロには及ばない。違いを演出するなど夢のまた夢だ。3人の中ではデロッシが格上だが、ピルロの天才は備えていない。

2016年のサッカー欧州選手権に際しては、イタリア代表チームを語るときには先ずGKのブッフォンの偉大さを語り、ボヌッチ、バルザッリ、キェリーニのいわゆるBBC守備ラインの堅固さを強調して、それがイタリアの強みだと結論付けるのが当たり前だった。

だが2012年の欧州選手権でも同じBBCラインは健在だった。しかし誰もそのことを口にしなかった。当時は違いを演出できるピルロが健在で、同時に彼の後継者のフゥオリクラッセと見られていたバロテッリがいたからだ。またGKのブッフォンもいた。だがブッフォンを特に強調するメデァもなかった。もう一度言う。ピルロがいてバロテッリがいたからだ。

イタリアサッカーはマルチェロ・リッピ監督が目指した、守備堅牢のカテナッチョ(閂:かんぬき)からの脱却はできていない。いや、おそらく永久にできない。なぜならイタリアの強みが強靭なディフェンスであり続けているからだ。それは中盤が突出して攻撃に優れた選手がいる限り問題ではない。問題どころか強みだ。

そこが問題になるのは、中盤や攻撃陣に“違い”を演出できる突出した選手がいないときだ。過去のイタリアチームにはそういう選手が必ずいた。前述のバッジョやデルピエロやトッティがそうだし、ピルロがそうだった。またヴィエリやマンチーニなどもいた。

若いバロテッリも2012年の欧州選手権でその片鱗を見せて将来が期待された。しかし性格や人間性の問題があってあっけなく消えた。彼の前のカッサーノも同じだった。今のイタリアチームには中盤と攻撃に優れた選手がいない。どんぐりの背比べを繰り返している。イタリアチームの魅力のなさの第一の戦犯はそれだ。

ナショナルチームの不振と退屈を象徴するように、イタリア一部リーグのセリエAもつまらない。欧州一、ということはおそらく今の段階では世界一の守備陣を擁するユベントスが、6連覇を果たした。一つのチームが6連覇するなど、かつてのセリアAでは考えられない。それもこれも、ファンタジスタどころかフゥオリクラッセさえ見当たらない、イタリアサッカー全体の凋落がもたらした停滞だ。

ユベントスの強烈なディフェンスは、そのままナショナルチーム守備陣も形成する。すなわちボヌッチ、バルザッリ、キェリーニのBBCラインに、やはりユベントスの守護神・ブッフォンが鎮座する陣容だ。強力な守備陣に凡庸退屈な中盤と攻撃陣が合体する形。

凡庸な中盤のフォーメーションではゲーム構築もおぼつかず、加えてひ弱な攻撃陣の得点能力は最悪。2016年欧州選手権では、イタリアはなんとか決勝トーナメントまでは進んだものの、それ自体がまぐれ当たりのような頼りない行進だった。

2018年のワールドカップもあまり期待できそうもない。本大会出場権はさすがに逃がさないだろうが、違いを演出できる中盤から上のポジションの選手はいない。頼りになるのは相変わらず守備陣。繰り返すが守備だけではサッカーは勝てない。たとえ勝ち進んでも、見ていてやっぱりあまり面白くない。