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今年もまた僕の住む地域で日本文化紹介イベントがある。昨年の催しは田舎のイベントとしては大成功と言ってもよいものだった。

気を良くした役場のスタッフは、金曜日~日曜日の開催期間をさらに延ばして、2週の週末に渡って開くと決定した。

金~日の3日間ではなく、2週末の土曜日と日曜日なので開催期間は1日延びただけだが、2週間続くので印象としては大幅延長と感じる。

田舎のイベントで、日本文化のみに絞った祭りを2週間も続けるのは少しやり過ぎではないか、と僕は主催者に疑問を呈した。

ミラノやトリノなどの大都市ならいざ知らず、ブドウ園の景観は美しいものの人口の少ない地方での祭りだ。1週目で観客が底をつくのではないか、と心配したのだ。

でもスタッフは自信満々。昨年も結構バラエティー豊かに日本文化を紹介したが、今年は昨年の内容に加えて秋田犬や錦鯉まで展示するという。

僕は今年も上映する日本映画の選択と紹介、また解説を頼まれた。黒澤明の「デルス・ウザーラ」と北野武の「座頭市」を選んだ。

実は「デルス・ウザーラ」と伊丹十三のラーメン・ウエスタン「タンポポ」にしたかったのだが、「タンポポ」はイタリア語版が存在しないため、紆余曲折を経て「座頭市」に決めた。

「タンポポ」はラーメンの奥深さを面白おかしく描いた作品。日本食ブームが続く中、イタリアでも急速に知名度を高めているラーメンにまつわる意外な物語が、昨年紹介した「おくりびと」同様に必ず受けると思ったのだけれど。

今年は僕がニューヨーク時代に作った30分のドキュメンタリー番組
「のりこの場合」も上映されることになった。その後、地域の学校などで紹介される予定もある。

作品は米公共放送局PBSの13本シリーズ「Faces of Japan(日本の素顔)」の一つ。僕は13本のうちの4本を監督した。「のりこの場合」はシリーズの巻頭放送作品。残る9本は数人の米国人監督が分担して撮った。

その作品は運よくも、ニューヨークのモニター賞ニュース/ドキュメンタリー部門の最優秀監督賞に選ばれた。日本祭りの開催スタッフはそのことを知っていて、上映したいと言ってくれたのだ。

僕は正直ちょっと戸惑った。それというのも番組は1986年に放送され、受賞は翌年の1987年。最近の話ならともかく、30年も前のささやかな栄光を蒸し返すのはちょっと気が引けた。

それよりもなによりも、30年前の番組が今、果たして観客に何かを伝えることができるのかどうか、という重要且つ最大の疑問があった。

昨年、僕は黒澤明監督の名作「用心棒」をイベントで紹介したが、あまり受けなかった。古臭いと観客に思われてしまったのだ。

偉大なクロサワの映画でさえ古くなる、と僕は寂しく思い、以後いろいろなところで話したり書いたりした。

それなのに今年、吹けば飛ぶようなテレビ屋に過ぎない自分の古い作品を持ち出すのはおこがましい、と僕は心底思い、気後れがした。

どうしても、という声に押されてホコリにまみれたテープを見直してみた。やはり古い。しかし、意外にもテーマは今もしっかり生きている、と感じた。

僕は「のりこの場合」を日本の女性問題、特にジェンダーギャップを意識において作った。日本はあれからずいぶん変わった。だが変わっていないところも多い。

つまりそのドキュメンタリーは、切り取られた街の様子や人々のあり方や景観や雰囲気、さらに制作技術や様式等々の古さはあるものの、テーマは今現在にも通じる常に新しいものなのだ。

そこを踏まえて僕は要請を受けることにした。そして新しくイタリア語バージョンを作った。技術的に難しいところも多々あったが何とかクリアした。

史上初の大がかりな「日米共同制作シリーズ番組」の一環だったその作品には、制作過程の困難やドタバタを筆頭に多くのエピソードがある。そのことはまたどこかで書こうと思うが、視聴者の反応について一点だけ面白いエピソードを紹介しておきたい。

放送された「のりこの場合」は、ニューヨークの日本人社会ではあまり評価されなかった。ところがそれが監督賞を受賞したとたんに、まさに手の平を返すように評価が一変して、素晴らしい出来栄えの作品という声が起こった。

外国人の評価に弱い、いかにも日本人らしい豹変ぶりだった。しかし、僕はそのことで人々を非難しようとは少しも思わなかった。

なぜなら「のりこの場合」には、日本人ができれば外国人に知られてほしくない、と思う要素も少なからず紹介されているからだ。日本が特殊な国であることがよく分かる仕組みになっている。

実はそれらの要素は、今ならむしろ多くの日本人が誇りに思うような、日本の伝統であり美であり形式である。だが30年前は違った。

当時はピークを過ぎつつあるものの、いわゆる「日本バッシング(叩き)」が盛んな頃だ。多くの日本人が肩身の狭い思いでいることも珍しくなかった。

またアメリカに同化し、アメリカ人と同じ生き方を目指している米国在の人々にとっては、そのドキュメンタリーは日本の「異質」ぶりを余すところなく紹介していて居心地が悪い、ということもあったと思う。

当時の日本人は、今日のように自らの文化や歴史や伝統に自信を持っていなかった。そのために作品の内容を、むしろ誇るべき日本の古い慣習や様式や哲学、と見なして胸を張る余裕がなかった。

だから「のりこの場合」の中に詰まっている「日本らしさ」から目を背けたかった。アメリカ(欧米)とは異質なものが恥ずかしかった。ところがアメリカ人がそれを高く評価した。うれしい。やっぱり良い番組だ、という風な心理変化があったのだと僕は考えている。

その作品を作った張本人の僕は、日本文化を恥ずかしいものだなどとは夢にも思わなかった。それはアメリカあるいは欧米ほかの文化とは違う文化なのであり、文化はまさに他とは違うことそのものの中にこそ価値がある。異質さは誇るべきものなのだ。

だが同時に僕は、日本社会に潜む固陋や偏見や課題を抉り出したいとも思い、そのつもりで取材をし番組を完成させた。アメリカの人々は、その片鱗を作品に見て評価してくれたのだと思う。

今回上映するにあたっては、イタリア人の反応はもちろんだが、日本人の反応も楽しみだ。おそらく日本人も今なら「“のりこの場合”の中の日本」を、イタリア人が楽しむであろう形とほぼ同じ形で楽しむだろう、と僕は信じている。

30年前の日本人ニューヨーカーたちが抱いたこだわりも疎外感も感じることなく、なによりも外国人の評価などとは無関係に「自主的」に、自らのルーツを見つめるだろうと思っているのである。