北イタリアのガルダ湖畔はドイツ人が愛してやまないリゾート地である。5月から10月にかけて多くのドイツ人バカンス客が訪れる。同地に住まいを得て移り住むドイツ人も少なくない。
7月から9月半ばの間はイタリア人バカンス客も押し寄せる。その他の国々からの旅人もけっこういる。その時期のドイツ人は多数派だが、決して「彼らのみ」の存在ではなく、言わば「他国民との共存」状態である。
ところが9月半ば頃を境に、イタリア人やその他の国からのバカンス客が一気に姿を消して、あたりはドイツ人だらけになる。彼らは時間差休暇を利用して
10月頃にも多くやって来るのだ。
たまたま湖畔に家がある関係で僕はよくそこに行く。すると一帯のホテルやレストランやカフェなどにドイツ人客だけがあふれている状況に出会う。
普通彼らは礼儀正しく、静かで、友好的でさえある。観光産業で生きている地元の人々にも大いに歓迎されている。
ところがドイツ人同士が集まると、彼らは少し人が変わったようになる場合がある。例えばドイツ人バカンス客のほぼ貸切り状態になった夜のバールなどで、声高に話し始める。
ビールの大ジョッキを頻繁に空にしながらうるさく議論をする。果ては酔って放歌高吟し騒ぎ出すようなことも起こったりする。
そこでは他国民と混じりあっているときのドイツ人の文化文明的な雰囲気が失せて、彼らは少々粗野になり時として傍若無人と形容してもいいような動きを見せることさえある。
ドイツ人とは違って普段から少し騒々しく、友好的だが礼儀を欠くこともなくはないイタリア人たちは、ドイツ人の「突然の」変貌を醒めた目で見つめる。
彼らはドイツ人が集団になると、傲岸で危険な存在になる要素を秘めていることを知っている。歴史がそれを物語っている。
ドイツ人自身もそのことを知っている。だから彼らは抑制し羽目を外し過ぎないようにしようとしている。周りの目も気にしている。それでも時としてある種のドイツ人はその性癖の露見を止めることができないようだ。
酒が入ったりすると、つい彼らの本性が出てしまう。そのような変化はどの国民にでも起こることだが、素面の時は物静かで大人しいドイツ人の場合は、普段との落差が大きいと人々は感じる。
全てのドイツ人バカンス客が野放図であるわけでは無論ない。むしろ威儀を保ち続ける者のほうが多数派だ。その多数派が今のドイツ人の実相である。群れて騒ぐ人々はドイツ人のうちの少数派だ。
その少数派の行動が、大多数の「良いイメージのドイツ人」を悪く見せてしまい、「群れると崩れかねない危うさを内包しているドイツ人」という過去の亡霊を人々に思い起こさせる。
酒に浮かれて放歌高吟するのは、日本人とドイツ人、とよく言われる。また両国民は1人では何もできないが集団になると手ごわく、野卑で不遜で攻撃的になる、とも言われる。
あるいは2国民は「かつて」はそう言われた。だが少なくとも日本人は、敗戦を境にたとえ集団になっても昔日の傲岸不遜の傾向は失くしたように見える。優越意識のようなものもちらつかせない。
むろん、中韓やアジアなどを蔑視するネトウヨヘイト系の日本人は少なからず存在する。だがまともな日本人は、戦前の愚かな心根からは開放されたように見えなくもない。
敗戦でボロボロになったドイツ人も日本人と同じ道筋をたどった。だが白人種ではない日本人が、真の意味での謙虚を学んだようにはいかなかった。
ドイツ人の中には、語弊を恐れずに言えば、白人種の優越意識があり、さらに白人種の中でも彼らこそもっと優越だ、という秘めた自負がある。
そうした秘密の心根は、ナチスの巨大な負の遺産を“ほぼ”帳消しにして世界の信頼を勝ち取り、自らの手でドイツ国家の大いなる繁栄を築いた、という自信に基づいている。
だが彼らは一歩間違えばそれが尊大な物腰になり、荒い声音に変わり、攻撃的な振る舞いに変容して「かつてのドイツ」の再来を彷彿とさせる事態になる可能性を知っている。
危険を自覚し、決してそこに向かわないように自制しているドイツ人は、欧米の人々の尊敬も集めている。それは疑いようがない。だが人々の中の一抹の不信感は断じて消えていないのだ。
ドイツ人が彼ら同士で固まって盛り上がる様子を見ながら、バールのイタリア人従業員や客の心中にかかすかな警戒感が頭をもたげる。
それはイタリアだけに見られる特殊な状況ではない。ドイツを除くヨーロッパ中のリゾート地や行楽地や観光地で、飽きもせずに毎年繰り返されている光景なのである。
今年はそこにさらなる負の要素が加わった。先のドイツの総選挙で極右の「ドイツのための選択肢」党が飛躍した事実だ。
欧州に台頭する極右勢力は、EU(欧州連合)の弱体化と相まって世界に暗い影を投げかけている。中でもドイツのそれがもっとも人々に恐れられている。
ナチスと、極右党の「ドイツのための選択肢」と、リゾート地のバールで騒ぐ「一部のドイツ人」が人々の心の中でぴたりと重なり合って、それらを真っ向から否定する「大方のドイツ人」にまで偏見が及びかねない状況が出来上がる。
人々の偏見は、ドイツ人が戦後一貫して続けてきた反省と謝罪と贖罪の努力を今後も怠らないことで必ず消えていくだろう。だが極右の台頭をドイツ国民が許し続けるなら、人々の偏見は偏見ではなくなって、ドイツ人への敵愾心をあおる結果にもなるだろう。
僕はバールの片隅で、騒ぐドイツ人バカンス客をイタリア人の友人らとともに眺めながら、密かに彼らに同情したり心配したりする。やがてその心は、もしかすると日本人も近隣のアジアなどでドイツ人と同じ轍を踏んではいないか、という忘れかけた不安に心を奪われたりもするのである。