
亡命でも逃亡でもない動き
スペイン・カタルーニャ州の独立宣言とそれを真っ向から否定したスペイン政府の動きを受けて、カタルーニャ州のカルレス・プチデモン首相が取った行動はめざましいものだった。
プチデモン州首相は10月30日、誰も予期しなかった形でスペイン・カタルーニャから陸路フランスに渡り、そこから空路ベルギーの首都ブリュッセルに入った。
強権的なスペイン・ラホイ政権の攻勢を“座して死を待つ”状況で受け入れるよりも、EU(欧州連合)の首都であるブリュッセルに身を寄せて難を避けたのである。
それは同時に、自由と民主主義と非暴力と平和主義を旗印にするEUに、カタルーニャ人民が同じ価値観を共有することを、EU首脳部に直に訴えかける手段でもあった。
駆け込み寺
カタルーニャ州は自由と民主主義に基づいて独立か否かを問う住民投票を実施し、賛成多数の実績を踏まえて州議会が独立を宣言した。
それに対してスペイン中央政府は同州への圧力を強め、投票時には警察が暴力を行使。一方、カタルーニャ州政府と人民は非暴力を貫き、中央政府との対話を持ちかけて平和的解決を模索した。
プチデモン州首相はそうした事実を盾に、ブリュッセルで記者会見を開いて国際世論、特にEU域内世論にカタルーニャ州の立場を支持するように強く求めた。
プチデモン州首相にとっては、自由と民主主義と平和を旗印にするEUの本部があるブリュッセルは、同じ価値観を共有する文字通りの駆け込み寺となったのである。
EUほかの反応
プチデモン州首相の訴えに対するEUの反応は、表向き冷淡そのものである。昨年のBrexit(英国のEU離脱)、米トランプ反動政権の樹立、仏大統領選に於ける極右政党の躍進など、EUは多くの難問に悩まされている。
また欧州各国には極右、極左勢力の台頭が目立ち、同地を含む世界中の至る所で分離・独立運動の火種がくすぶっている。世界を揺るがす政治の地殻変動が続き、EUの結束も乱れ勝ちになって勢力の弱体化は隠すべくもない。
そんな折に、EUのメンバー国であるスペインの分裂につながりかねないカタルーニャ州の独立の動きは、断じて容認しがたい事案である。トゥスクEU大統領やユンケル欧州委員会委員長をはじめとするEU指導部は、「スペインの内政問題」と決めつけて知らん振りを装った。
またメルケル独首相、マクロン仏大統領、メイ英国首相などの大国首脳も、プチデモン州首相には冷淡な態度でいる。それどころか批判さえも辞さない構えだ。加えて米トランプ大統領もカタルーニャ独立には反対の立場である。
EUの盟主ドイツのメルケル首相は連合の分断を懸念し、メイ英首相はスコットランド独立問題への影響を憂い、マクロン仏大統領の頭の片隅には、ブルゴ-ニュ独立問題等もひっかかっているに違いない。
他人事ではないイタリアの事情
ここイタリア政府の反応はさらに複雑である。去った10月22日には、ミラノが州都のロンバルディア州と、ベネチアが州都のヴェネト州で、強い自治権を求める住民投票が行われ、いずれも賛成派が勝利した。
それらは独立を求めるものではないが、国内有数の豊かな両州が、税制の不公平を主な焦点に中央政府に圧力をかけたものである。2州はカタルーニャ州と同じく、国からの交付金が彼らの納める税金よりも少ないことに、強い不満を抱いている。
それは一歩間違えば、カタルーニャ州のように独立運動にまで発展しかねない。今は沈静化しているが、イタリアは歴史的に南チロル地方の独立問題を抱えており、今この時も独立志向の強い北部同盟が自治権の大幅拡大を求めて何かと騒ぎを起こす。一触即発の状態が永続しているのである。
イタリアはもともと都市国家メンタリティーが色濃く残る国だ。統一国家よりも地方のわが街こそ祖国、と考える人々が多く住まう国である。いつどの州が分離独立を目指して立ち上がっても少しもおかしくないのである。
いきさつ
10月1日、カタルーニャ州が実施した独立の是非を問う住民投票では、有権者の43%が投票。賛成票が90%を超えた。これを受けて10月27日、カタルーニャ州議会が独立の動議を賛成多数で可決。共和国としてスペインからの独立を宣言した。
マリアーノ・ラホイ首相率いるスペイン中央政権は、憲法違反だとしてただちにカタルーニャの自治権を剥奪。またプチデモン州首相をはじめとする州幹部も解任。直接統治に乗り出して州議会も解散し、12月21日に新たに州議会選挙を行うと発表した。
さらに10月30日、スペイン司法当局は、プチデモン州首相ほかの幹部を国家反逆罪などの容疑で捜査すると宣言。有罪になれば最高で禁固30年の可能性がある重い罪状である。
この発表がなされた直後、前述したようにプチデモン州首相は密かにスペインを脱出。EU本部のあるブリュッセルに入り事実上の「亡命政権」を樹立して、国外から独立運動を指導するとした。
法の遵守という形の抵抗
プチデモン州首相はブリュッセルでの記者会見で、「私は自由と安全を確保するためにEUの首都であるブリュッセルにやってきた」と述べた。
スペイン政府は、カタルーニア州と民衆に対して暴力的な仕打ちをしたが、われわれの側は非暴力を貫いた。同時にスペイン司法の判断を尊重する、とも示唆。その代償にEUとの対話を求める、とした。
また彼は、再び暴力を避ける意味合いと、カタルーニア州政府の仕組みを維持する目的から、スペイン中央政府がカタルーニア州を直接統治することには抵抗しない、とも表明した。
プチデモン氏はさらに、12月21日に行われる州議会選挙も、結果がどうであれ尊重する。スペイン中央政府もわれわれと同じようにすることを期待する、という趣旨の発言も行った
州首相は最後に、われわれは欧州の価値観である自由、非暴力、平和主義を共有している。それらの価値観を尊重し、そのように行動する、と国際世論に約束し世論の後押しを請いたい、などとも述べた。
独立運動の歴史
カタルーニャ州での出来事は、政治的な立ち居地や見方によっていろいろと変わるだろうが、「強者に対抗する弱者の行動様式」としては、プチデモン氏の言動は理解できるものである。
スペイン国内におけるカタルーニャ州の立場は、経済力を別にすれば弱者のそれである。「多数派対少数派」というくくりで見た場合には、それはさらに鮮明になる。
独自の歴史、文化、伝統、言語などを持つカタルーニャ州は、スペイン国内で抑圧され数世紀にわたって独立志向の精神を育んできた。それは1939年~75年のフランコ独裁政権下で、カタルーニャ語の使用を禁止されたことでさらに強まった。
1979年に自治州となってからは、カタールニャ州は中央政府と折り合いをつけながら徐々に自治権を拡大させてきた。だが2000年に転機がきた。
スペイン民族主義を標榜する国民党のアスナール政権が、総選挙で絶対過半数を獲得して中央集権化を推し進め、カタールニャ州の自治権が縮小されて対立が深まって行くのである。
カタールニャ州は2005年、独自の自治憲章を制定してスペインを連邦国家的な仕組みに作り変えることを目指した。これには中央政府や他の自治州が反発した。
スペイン憲法裁判所は2010年、カタルーニャの自治憲章は「スペインの揺るぎなき統一」に反する、として違憲判決を下した。このことがカタルーニャの独立運動の火に油をそそぐこととなった。
窮鼠猫を噛む
テロリズムは、テロリストの反対勢力から見た「抵抗運動の一形式」である。テロリズムを行う側から見れば、彼らの暴力は自らの自由と解放を目指す手段であり闘争である。
テロリズムは断じて許されるべきことではない。だがテロリズムには、切羽詰まった弱者が巨大な権力に歯向かう手段、という側面もあることは誰にも否定できない。
例えばイスラム過激派が欧米に仕掛けているテロは本を正せば、権力者の欧米が中東などで犯した過去の罪の因果応報、という見方もできる。強者の横暴に対する弱者の反発がテロリズムなのである。
スペイン中央政権に対抗するカタルーニャ州の戦いにもテロに似た側面がある。もっともカタルーニャ州側は、無抵抗と非暴力を押し通しているのでその呼称は言葉の矛盾だが、事態の成り行きは「強者対弱者の戦い」そのものである。
抑圧また差別の正体
強者あるいは多数派による弱者や少数派への抑圧や差別は、能動側の強者や多数派には分かり辛い側面もある。しかし抑圧され差別される弱者や少数派が、「抑圧され差別されていると感じたり、あるいは違和感を持っている」限り、そこには何かがある。その何かの正体が抑圧であり差別なのである。
差別や抑圧が無ければ、差別され抑圧されている側は、差別し抑圧している側と同じように「何も感じない」はずなのである。そう考えてみれば、差別し抑圧する側がよく口にしたがる「被害者意識」という言葉も、差別し抑圧する側の思い違いである可能性がある。
抑圧や差別には憎悪と痛みが伴うが、そのうちの痛みは差別や抑圧を「受ける側だけ」が感じるものである。抑圧者や差別を「する側」の人間には痛みはない。だから抑圧も差別もそれを「する側」の感情は関係がない。「される側」の感情だけが問題である。
なぜなら痛みがあるのは異常事態であり、痛みがない状態が人間のあるべき姿だ。従って抑圧や差別を「される側」のその痛みは取り除かれなければならない。カタルーニャ州の人々が感じている痛みももちろん同じである。
暴力ではなく対話で問題解決を
カタルーニャ州と人民の言い分には理がある。同時に統一と秩序を優先するラホイ政権側にもまた理があるのだ。双方に理がありながら対立しているのだから、残された道はさらなる力による抑圧か、逆に対話による解決かである。
ラホイ首相はこれまで強権的な手法でカタルーニヤ州側に対応し、住民投票にあたっては警察の暴力沙汰まで引き起こしてしまった。また、対話を希求するプチデモン州首相の要求を無視して専横的に動いた。
ラホイ首相はそれらの間違いを2度と繰り返してはならない。対話によってお互いの言い分を吟味し妥協して合意に至るべきである。それが民主主義であり文明社会の進むべき道であり開明である。暴力による解決は必ず避けるべきと考える。
鍵を握るのはEU(欧州連合)と、EU内で強い力を持つ独仏英などの動きである。彼らは庇護を求めてEUの胸中、つまりブリュッセルに飛び込んできた小鳥・プチデモン州首相をないがしろにしてはならない。これを保護すると共に、スペイン中央政権に働きかけて、両者の対話を促すべきだ。