2006年W杯チャンピオン600pic
2006年W杯優勝時のイタリア この日にイタリアサッカーの没落が始まった


イタリア不出場はW杯の大損失

イタリアが2018年ロシアW杯への出場を逃した。60年振りのことだ。

「イタリアが出場しないW杯は、ブラジルが出ないW杯と同じくらいにがっかりだ」と言えば、イタリアファンの男のポジショントークだ、ナンセンスだ、と叩かれそうである。

攻撃的で面白いブラジルサッカーと、守備堅固だが退屈なイタリアサッカーとを同列に置くな、ふざけるな、と怒り出すサッカー通も多そうだ。

でも僕は本気で、「イタリアの欠場はブラジルの不参加と同程度のW杯の一大損失」だと思う。これを疑う人は、試しに「イタリアVSブラジル」の決勝戦を想像してみてほしい。

歴史的決戦は昔話に

その組み合わせは、ほぼ常にブラジルが有利と予想され、でも実戦では守り抜くイタリアが突然目覚ましいカウンターアタックを仕掛けて、全く予測不可能で、エクサイティングな試合展開になる可能性が高い。

それはまさに、華麗な攻撃が主体のブラジルと、カテナッチョ(かんぬき)とさえ呼ばれる堅固なイタリアの守備のせめぎあいが生み出す奥深い戦い。サッカーの醍醐味が詰まった組み合わせなのだ。

ブラジルは攻撃の集団だが守備も一流だ。一方守備堅牢のイタリアは、守り抜いてふいに反撃に転じる一流のアタック陣を持つ。そこにはバッジョがいてデルピエロがいてトッティがいる。

というのが、これまでのイタリアの強力なサッカーの魅力だった。堅い守備陣を上回るファンタジスタ(創造的攻撃者)が、ブラジルの華麗なアタックを凌ぐ襲撃で相手布陣を慌てさせるのである。

だがそんなイタリアはもはや過去の話だ。2017年現在のイタリアナショナルチームは、岩盤のように堅い守備陣を保持しながら、前述の、(現役を退いた)バッジョやデルピエロやトッティに代表されるファンタジスタを作り上げられずにいる。それがイタリアサッカーの凋落傾向の最大の原因だ。

没落開始と加速

今回イタリアがW杯出場権を逃したのは、イタリアサッカーの 傾廃 が底を突いた証である。それは起こるべくして起こったのだ。

イタリアサッカーの衰退は2006年のドイツW杯優勝時に始まった。そこにはイタリアが誇る超一流選手がごろごろいた。

すなわち、前述のデルピエロ、トッティのファンタジスタに加えて、技量抜群のもう一人のファンタジスタあるいはゲームメーカーのピルロがいて、トーニやネスタやカンナヴァーロなどもいた。

他の選手も皆「普通以上」の選手ばかりだった。イタリアサッカーはその後、
2010年、2014年のW杯で 衰勢 に「みがき」がかかり、今回ついにどん底に落ちたのである。

運命共同体のセリエA

イタリアサッカーあるいはイタリアナショナルチームの没落は、イタリアのプロサッカーリーグ「セリエA」の 挫折 と軌を一にしてきた。

「セリエA」は90年代から2000年初めにかけて欧州サッカーを席巻した。当時「セリエA」は世界のトップリーグの、さらにその上に位置するとさえ見られていた。

欧州のサッカーの頂点、つまり世界のサッカーの頂点にいたイタリア「セリエA」が、なぜ落魄 の一途をたどったかについては多くの分析考察がなされてきた。

凋落のいわれなき理由の数々

主に次のようなことなどが言われる。

イタリアが最後にW杯を制した2006年に同国を揺るがしたセリエAの大スキャンダル「八百長問題」。これによってファンのサッカー離れが進んだ。

八百長問題では、セリエAの雄ユベントスが優勝を取り消されてセリエBに降格。またミランなども勝ち点没収でチャンピオンズリーグの出場権をはく奪された。

それはクラブに大きな収入減をもたらし、各チームの財政難のきっかけになっていった。多くのスター選手がイタリアを見限って外国に移籍を始めたのもその頃である。

追い討ちをかけるようにスタジアムでの暴力沙汰が増えて、サポーターの足が遠のいた。そこには人種差別主義者らのヘイト言動が重なって事態が悪化した。

近年はイタリアに押し寄せる難民・移民への悪感情も人種差別意識を強め、セリエAに多く在籍する移民系の選手との間に溝ができた。それはサッカー界全体に暗い影を落として雰囲気がひたすら盛り下がっていった。

そうした原因のほかにも、イタリアサッカーの 頽廃 をもたらした現象が多々取りざたされてきた。

いわく、新スタジアムの建設などインフラ設備を後回しにし続けたためにプレー環境が悪化。

いわく、各クラブの資金不足が顕著になり、巨額マネーが動く国際競争の場で他国のライバに敗れ続けた。

またいわく、カテナッチョのしがらみ、つまり守備重視のプレースタイルからの脱却が遅れてライバル国に置き去りにされた、など、など。

排外主義は常にあやしい

その中でももっとも声高に言われるのが「外国人選手」の存在である。つまり、セリエAでプレーする外国人選手が多過ぎるために、イタリアサッカーがダメになったという主張だ。

外国人選手によってイタリア人選手が脇にやられ、試合に出場できないためにプレーの質が落ちた。特に若い選手がそのとばっちりを多く受けている、というのである。

だが、そんな主張はナンセンスだ。スペインにもイギリスにもフランスにも、欧州のどこのリーグにも外国人選手は多い。

そしてスペインもイギリスもフランスも、全て2018年ロシア・ワールドカップへの出場権を勝ち取った。サッカーの主要国の中ではイタリアだけが出場権を逃したのだ。

それは断じてイタリアリーグでプレーする外国人選手のせいではない。イタリアサッカー自体が弱いから出場できなくなったに過ぎない。

イタリアサッカー不振の真の理由

ならばイタリアサッカーが弱くなった真の原因は何か。それはひたすらに、一にも二にも、違いを演出できるファンタジスタが存在しないことである。

言葉を替えれば、新しいバッジョやデルピエロやトッティやピルロが育っていないことである。人材の多いイタリアサッカー界だ。それらしきプレーヤーは実はいたのだ。

それがカッサーノでありバロッテッリである。ところが才能豊かな2人は大成しないまま沈んだ。以後、イタリア人プレーヤーでカリスマ的な力を持つ選手は出ていない。

イタリアサッカーの零落の原因は前述したように数多くある。だが実はそれらの原因は、一人の優れたプレーヤーがいれば跡形もなく消える主張なのだ。

例えばポルトガルのロナウドやアルゼンチンのメッシ、あるいはブラジルのネイマールやウルグアイのスアレスがイタリアに存在するならば、イタリアサッカーはすぐにでも2006年時の強さを取り戻すと思う。

イタリアの底力は変わらずそこにある

サッカーは一人ではできない。11人のプレーヤーが必要だ。従って一人の選手によってイタリアサッカーが豹変すると考えるのはナンセンスだ、という声が聞こえてきそうだ。

ならば言おう。イタリアにはポルトガルやアルゼンチンやブラジルやウルグアイ、さらにはドイツにさえも匹敵する「10人の選手」は健在なのだ。

ディフェンスに限って言えば、イタリアはむしろそれらの強豪チームをさえ上回る布陣を持つ。また中盤も攻撃陣も世界のトップチームと互角の力量がある。

足りないのは、繰り返しになるが、優れた一人のファンタジスタだ。それさえ手に入れれば、巨大な裾野とサッカー人口の中から選ばれた優秀な「10人の選手」は、彼を活かして又彼に活かされて躍動するに違いないのだ。

早く出てきてくれ、新バッジョよ新デルピエロよ!!!