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トト・リイナの秘密 by Kenjiandrea nakasone



リイナ死す、の報にゆれるイタリア

2017年17日未明、イタリア・マフィアの首魁トト・リイナが獄死した。87歳だった。

猛獣、ボスの中のボス、死刑執行人、大ボス、チビの殺し屋(リイナは小男だった)、などのあだ名で呼ばれて恐れられ憎まれたリイナの死は、イタリア中にあらためて衝撃波を送った。

彼の悪行の総括に始まり、巨大犯罪組織マフィアの行く末、リイナの後継者の有無、最後に彼が要求した受刑者の「尊厳死」への賛否両論、国家とマフィアの取引の有無如何、などなど、古くて新しい問題も含めた議論が活発に交わされているのだ。

台頭

リイナはライバルや目上の悪漢や仲間を容赦なく倒して、1970年代にシチリアマフィアの頂点に立った。その後も自らの力を磐石にするために、司法関係者や果てはタブーとされていた「女性や子供の殺害」さえもためらわずに決行した。

1981年に始まって3年間続いたマフィアの血の闘争、いわゆる「第2次マフィア戦争」では1000人余りの犠牲者が出たが、リイナはそのほぼ全ての殺害に関わったと目されている。また生涯では約150人の抹殺を彼自身が直接に指示したとも見られている。

リイナは女子供まで手にかけたり、殺害した遺体を硫酸で溶かして海に遺棄するなど、犯罪組織の攻撃手法のみならず、その意識もより非情残虐な方向へと改悪した、世紀の大凶漢だった。

憎まれ者

リイナの犯罪の被害者の一人は、彼の訃報を聞いてこう言った。「神が彼を許しますように。なぜなら私たちは彼を永遠に許さないから」。それはキリスト教の最大の教義の一つである「赦し」の心を解する善人が、リイナへの憎しみを消せない自らの苦しい胸のうちを語った、意義深い表現であるように思う。

またカトリック教会は、リイナの葬儀を取り行わないと正式に表明した。2015年、フランシスコ教皇がマフィアの構成員を全員破門にする、と決めたことを受けての動きである。これも極めて異例の処置。リイナの存在の奇怪を示して余りがある。

国家権力に挑む

リイナは国家権力にまで戦いを挑むことで、不気味な犯罪者としての地位を不動のものにしていった。彼は敵対する司法関係者を次々に血祭りに挙げたが、中でも人々を驚愕させたのが、反マフィアの旗手・ジョヴァンニ・ファルコーネ判事の殺害だった。

リイナに率いられたマフィアの男たちは1992年、パレルモの自動車道を高速で走行していたファルコーネ判事の車を、遠隔操作の爆破装置を使って破壊した。半トンもの爆薬が正確無比な操作によって炸裂し、判事の体は車ごと飛散した。

凶行を指揮したリィナはその夜、部下を集めてフランスから取り寄せたシャンパンで判事の死を祝った。リイナは当時、イタリア共和国そのものを相手にテロを繰り返して、「勝利を収めつつある」とさえ恐れられていた。

得意の絶頂にいた大ボスは、イタリア司法がマフィア捜査に手心を加えるなど、犯罪組織の要求を受け入れるならば、爆弾テロに始まる大量殺戮攻撃を停止してもいい、と国家に迫ったと言われている。

陰謀説

同時にファルコーネ判事の殺害には、国家権力そのものが関わったとの見方もある。つまり当時のイタリア共和国首相ジュリオ・アンドレオッティが、保身のためにシチリア人の判事の謀殺を指示した、という説である。

ファルコーネ判事殺害のちょうど1ヶ月前、1992年4月24日、3回7期に渡ってイタリア首相を務めたジュリオ・アンドレオッティの最後の内閣が倒れた。アンドレオッティ首相自身と側近が、マフィアとの癒着や汚職疑惑を糾弾されて、政権が立ち行かなくなったのである。

アンドレオッティ首相は権力の座から引きずり降ろされた後は、いかにイタリア政界を圧する実力者とはいえ、彼の政治的な影響力が低下して、司法や政界からの反撃が強まるであろうことが予想された。
 
そこで彼は将来の禍根を除こうとして、マフィアの大ボス、トト・リイナと謀って、マフィア捜査の強力なリーダーであり、反マフィア運動のシンボル的存在でもあった、ジョヴァンニ・ファルコーネ判事を爆殺したというのである。

リイナの驕り

ジュリオ・アンドレオッティ元首相は、マフィアとの癒着が強かったことで知られている。彼はボスのリイナと親しく抱擁する姿を目撃されたり、リイナが逃亡潜伏中も彼と接触し便宜を図ったことなどが明らかになっている

2017年現在も執拗にささやかれる元首相とマフィアの癒着疑惑は、僕などの目には調べるほどに真実味を帯びていくようにも写る。しかし、25年前のもう一つの事件は、その逆の真実を語るようにもまた見えてしまうのである。

ファルコーネ判事の暗殺から2ヵ月後の1992年7月19日、判事の同僚で親友のパオロ・ボルセリーノ判事が惨殺された。判事の動きを正確に察知していたマフィアが、道路脇の車中に仕掛けた爆弾を炸裂させて、彼を中空に吹き飛ばしたのである。
 
その事件もアンドレオッティとリイナの共謀によるもの、という見方はもちろんできる。が、僕の目にはファルコーネ判事殺害の成功に気をよくしたリイナが、いわば図に乗って強行した犯罪のように見えて仕方がない。彼は「やり過ぎた」と思うのである。

司法の反撃

その頃のリイナは2人の判事を爆殺して自慢 の極みにいた。が、実はそこが彼の転落の始まりだった。ファルコーネ、ボルセリーノ両判事の殺害は民衆の強い怒りを呼んだのだ。イタリア中に反マフィアの空気がみなぎった。その世論に押される形で司法は犯罪組織への反撃を開始した。

翌1993年1月、イタリア警察はほぼ四半世紀に渡って逃亡を繰り返していたリイナをついに捕縛した。するとリイナは獄中からマフィアを指揮してすぐに報復を開始した。 ローマ、ミラノ、フィレンツェの3都市に爆弾攻撃を仕掛けたのだ。

だがテロは長くは続かなかった。リイナの逮捕をきっかけにしたイタリア司法の激しい攻勢は止まず、官憲はマフィアの一斉検挙を行いつつ組織の幹部を次々に捕らえていった。当局はマフィアの壊滅を目指してひたすら突き進んだ 。

日本円で約180億円にのぼるリイナの個人資産が押収され、裁判所は彼に
26件の終身刑を科した。イタリアには死刑制度はなく、終身刑が最大刑罰である。つまりリイナは、もしもイタリアに死刑制度があったならば、飽くまでも象徴的な例えだが、26回も極刑を執行されなければならない猛悪凶徒だった。

不遜な引かれ者

リイナは逮捕から獄死までの24年間、不遜な態度を貫いた。謝罪はおろか反省や自白をほとんどしないまま司法への協力も拒み続けた。彼がたった一つ口を割ったのは、犯罪組織との関わりを認めたことだけだった。

死期が迫った今年2月、リイナは獄内に設置された盗聴器に気づかないまま、面会に来た妻との会話の中で「俺は絶対に司法に屈しない。謝罪も告白もしない。奴らが俺の刑期を30年から3000年に切り換えてもだ」という趣旨の発言をした。

リイナのその発言は、元反マフィア検事で現上院議長のピエトロ・グラッソ氏が昨年、もう一人の凶悪犯ベルナルド・プロヴェンツァーノの死に際して、「彼は多くの秘密を抱えたまま長い血糊の帯を引きずって墓場に行った」 という言葉を思い起こさせる。

グラッソ氏の言葉を借りれば、プロヴェンツァーノのさらに上にいたボスの中のボス・リイナは、彼だけが知る巨大な秘密のベールを身にまとったまま、プロヴェンツァーノが引きずって逝った長い血糊の帯をさらに圧する、いわば長大な血の川にまみれて死んでいった、とも言えるのではないか。

リイナの功績

極悪人のリイナは一つだけ良いことをした。すなわち彼は、司法への爆弾攻撃や大量殺戮などの派手な犯罪を犯すことで、それまで地下に潜んで見えにくかったマフィアとその悪行を、「良く見える存在」に変えた。

リイナは独特の手法によって組織内でのし上がっていったが、同時にそれはマフィアの衰退も呼び込む諸刃の剣でもあった。なぜならイタリア司法は、可視部分が増えて的が大きくなったマフィアを、執拗に追撃することができるようになったからだ。

25年前、反マフィアのシンボル・ファルコーネ判事を排除して、さらに力を誇示するかに見えたマフィアは、そこを頂点に実は確かに崩壊し始めた。2大ボスのリイナ、プロヴェンツァーノ以外の組織の大物も90年代以降次々に逮捕され、彼らの資産もあらかたが没収されてマフィアの弱体化が加速した。

それに伴って彼らによる大量虐殺はなくなり、殺人事件も減り、その他の凶悪犯罪も目に見えて減少している。司法の働きに加えて、故ファルコーネ判事に代表される反マフィア活動家たちの「マフィア殲滅」運動が、じわじわと効果をあげつつあるのだ。

イタリアがEU(欧州連合)に加盟している現実も、マフィアの衰勢に貢献していると考えられる。欧州の人々はイタリア人ほど「何事につけゆるい」思考法を持たない。例えばマフィアが得意のマネーロンダリングに手を染めたくても、緊密に連携し合っているEU内の銀行がこれを許さない、というような事態がそこかしこで起きているであろうことが、容易に想像できるのである。

ライバルか見せかけか

弱体化したマフィアは、イタリアの別の犯罪組織であるカモラやンドランゲッタに、「最強者」の地位を奪われているようにさえ見える。が、実態はまだ分からない。マフィアは地下に潜り、ライバルの2組織が「マフィアの黙認の元に」派手に動いているだけ、という可能性もある。

マフィアはより目立たないやり方で財界や政界に食い込みつつ、地下で組織を立て直し力を温存して再生を図っている、と考える司法関係者も多いのだ。犯罪集団の目論見が成功すれば、イタリアは元の木阿弥になって、マフィアのさらなる脅威にさらされる危険がある。

第二次マフィア戦争で排撃されたと言われるマフィアの一部が先鋭化し拡大して、La Stidda(ラ・スティッダ) という凶暴なグループを形成していることも、司法関係者の注意を引いている。マフィアの主流派と対立する彼らが暴走する可能性も高い、と考えられているのである。

後継者と未来図

リイナ亡き後のマフィア主流派を率いるのは、逃亡潜伏中のボス、マッテオ・メッシーナ・デナーロだというのが大方の見方である。しかし彼はリイナ逮捕時の1993年から地下に潜り続けている。そんな状況下では組織をまとめ経営するのは無理ではないか、という懐疑論もある。

だが昨年獄死したマフィアNO2のプロヴェンツァーノは、獄中のリイナに代わって逃亡先から犯罪組織を牛耳った。つまり1993年から2006年に逮捕されるまでの13年間、プロヴェンツァーノは地下からマフィアを動かしたのだ。メッシーナ・デナーロにその力量がないとは誰にも言えない。

マフィアはリイナの逮捕による組織の崩落開始から四半世紀が過ぎた今も、相変わらず隠然とした勢力を保っている。リイナの死によって時代の大きな節目がやっては来たが、その勢力が完全死滅することはあり得ない。順応力に優れているマフィアは、死滅するどころか、自らDNAを組み替えてあらたな組織に生まれ変わりつつある、と考えるほうがむしろ無難なのかもしれない。