中道右派連合の各党首、ベルルスコーニ、サルヴィーニ、メローニ
2017年11月5日、ベルルスコーニ元首相率いる「フォルツァイタリア」党が、イタリア・シチリア州知事選を極右の「北部同盟」また「イタリアの同胞」党との連携で制して、もはやオワコンと見られていた81歳の元首相が復活回帰しそうな勢いを見せている。
1994年以来、4期9年余に渡って政権を担った元首相は、2011年にイタリア財務危機の責任を負って政権の座を追われ、2013年には脱税の罪で有罪判決を受けて議員資格停止。2019年までの6年間公職に就くことも禁止された。
心臓病や離婚などの個人的わずらい、少女買春ほか多くの罪状容疑での裁判沙汰など、あまたの醜聞にまみれた同氏は、徐々に政治の表舞台から消えていくと見えた時期もある。ところがどっこい生きていた。
国民の間に依然として根強い人気があり且つ政局のゴタゴタにも顔は出すものの、政策や有事・大局の第一線で権力を振るうことは最早あり得ないと考えられていた元首相は、前述のシチリア州知事選挙を境に息を吹き返した感がある。
人口500万人余りのシチリア島は、慢性的な経済不振にあえいでいる。それは景気低迷、財政赤字、高い失業率などに始まるイタリア全国の問題がそのまま詰まっている、と言っても構わない現状である。島嶼州シチリアの州知事選は、早ければ来年3月に行われるイタリア総選挙の試金石と見られていた。
ベルルスコーニ元首相が主導する中道右派連合は、得票率39.8%でトップ。ポピュリズム政党の五つ星運動が34,7%で続いた。五つ星運動は相変わらずの強さを見せたが、支持率は頭打ちの格好。分裂また衰退の基調が著しい政権与党・民主党は、得票率19、7%に留まり、危機的な状況にあることが改めて浮き彫りになった。
元首相は「欧州人権裁判所」に公職失格処分の見直しを求めて提訴しており、裁判所は11月22日に審理を開始した。判決が総選挙前に出され且つ彼の訴えが認められれば、元首相は選挙に立候補する計画。また判決が間に合わず立候補できなくても、総選挙を戦って政権奪取を図り、その黒幕に納まる腹積もり、というのが大方の見解である。
元首相の悪運の強さを示す事態が州知事選勝利とほぼ同時に起こった。ミラノ高裁が「月々140万ユーロ(約1億8千万円)の離婚慰謝料は過剰すぎる」と元首相が訴えた、離婚訴訟を巡る彼の主張を認めて、離婚慰謝料の支払い停止を宣告。そればかりではなく、元妻のヴェロニカさんは、2014年3月から支払われてきた6千万ユーロ(約80億円)をベルルスコーニさんに返還するように、と言い渡したのだ。
そのように最近のベルルスコーニさんはついている。50歳も年下の恋人との関係も上々だ。勢いを駆って、再びイタリアの政局のみならず政策も大局も支配しよう、と蠢(うごめ)きだしたようだ。いや蠢くという小さな目立たない動きではない。鳴動を開始した、というほうが正確かもしれない騒々し動きなのだ。
そんな折に、少し不思議に見えるでき事があった。北イタリアのトリノ地検が11月24日、ベルルスコーニ元首相が未成年者買春容疑で起訴された際、彼に不利な証言をする可能性のある証人を買収した、として突然トリノ地裁に告訴したのである。
元首相は同じ未成年者買春にまつわる様々の容疑で、これまでにイタリア各地の6裁判所に起訴されている。トリノ検察の告発は同じ事案の7つ目の訴えということになる。醜聞まみれの元首相は、ほかにも多くの告発を受けている。トリノ検察の動きもそうした流れの一環ということになる。
しかし、どうもタイミングが怪しい。あるいはタイミングが良すぎる。僕はベルルスコーニ元首相の復活を強い違和感や不安とともに見ている者の1人である。それにも関わらず絶妙のタイミングで成された告訴は、あるいは「出過ぎるほどに出た巨大な杭」ベルルスコーニ元首相を撃とうとする槌、という気がしないでもないのだ。
元首相とイタリア司法は犬猿の仲である。ベルルスコーニさんは、イタリア司法は左派に支配されていて保守派の自分を目の敵にしている、と事あるごとに非難するような人でもある。時の権力や世論に左右されない司法というものは存在しない。従って元首相の主張は完璧な言いがかり、とばかりは断定できない。
同時に4期9年余に渡って権力者であった時代も、またその後も、司法に目をつけられ続けたベルルスコーニさんも奇怪な存在だ。司法はもしかすると政治的な忖度など全くしないで、純粋に元首相を「悪い奴」と見做してきたのではないか、と揶揄したくもなる。
そうは言うものの僕は、トリノ検察の動きを胡散臭いという思いで眺めている。ベルルスコーニ元首相の肩を持つ気など毛頭ない。それどころか僕は、前述の如くむしろ元首相の批判者である。それでも腑に落ちないものは腑に落ちない。
元首相は総選挙に向けてEU重視のポーズを取ってはいるものの、それはあくまでも見せかけである。彼はEU懐疑派の極右と手を組むことにより、イタリアにおけるトランプ主義の再びの台頭を容認しようとしている。それはとても不快なことだが、司法がいわれなく彼を貶めようとしているのならば、それもまた許しがたいことだと思うのである。