イタリアは年初から騒がしい。昨年12月28日、マタレッラ大統領が議会を解散し、ことし3月4日に総選挙が行われることになった。以来、選挙運動が盛んなのだ。
街宣車ががなり立てる日本の選挙運動のような野蛮な光景はないが、集会や会合や演説会などが相次いで催され、テレビの討論番組も目白押し。
それらを当のテレビやWEBを含む各メディアが絶え間なく流し続ける、という賑やかさである。騒ぎは投票日近くまで続く。
もっとも話題にのぼるテーマの一つが81歳のベルルスコーニ元首相の政界復活劇。4期9年に渡って政権を担った元首相は2011年、イタリア財政危機の責任を取らされる形で辞任した。
その後2013年には脱税で有罪判決を受けた。そのため公職に就くことはできない。だがキングメーカーとして影響力を持つことになりそうな雲行きなのである。
選挙ではどの政党も単独で過半数を獲得することは不可能と見られ、少数派議会いわゆるハングパーラメントが誕生するのは確実だ。つまりイタリアの政情は相変わらず不安定なものになる。
頼りにならないそんな自国政府よりも、伊国民にとってはEU(欧州連合)の命運に大きくかかわるドイツの政治混迷の方がはるかに大きな命題ではないか、と僕などは思う。
ドイツでは昨年9月に総選挙が行われ、メルケル首相率いる同盟(キリスト教民主・社会同盟)は勝利したものの、大きく議席を減らした。また連立相手の社会民主党も同盟以上の大敗を喫した。
同盟と社会民主党の票を奪ったのは極右の「ドイツのための選択肢」。同党は難民・移民問題を主な争点にすえて、メルケル首相率いる同盟と社会民主党から多くの票を奪ったのである。
欧州で極右政党やポピュリズム政党が強い力を維持し、あまつさえそれを拡大しようとしているのは、英国のEU離脱やアメリカの大統領選で猛威を振るった排外ナショナリズムやポピュリズムのうねりの一環である。
ドイツの政治不安はそのままEU(欧州連合)の揺らぎにつながる。EUの揺らぎは、米トランプ主義に対抗する大きな力の一つの弱体化を意味する。
それはトランプ主義の強化を呼んでEU内の極右およびポピュリスト政党が雀躍し、自由と人権と民主主義と寛容を標榜するEUの理念がさらに後退、抹殺さえされかねない状況が生まれる。
ドイツではナチズムの跋扈を許した過去と第2次大戦への多大な責任感から、極右勢力へのアレルギーが強く議会では一席も確保できずにいた。
ところが彼らは昨年の総選挙で突如として94議席を獲得。一気に第3党に躍り出て世界を驚かせたのである。
同時に起きた社会民主党の地盤沈下は甚大だった。その原因は前述に加えて、社会民主党が同盟の影に隠れて独自の政策を前面に押し出せなかったことが原因、と考えられている。
社会民主党のシュルツ党首はそのことを踏まえて、将来の党の建て直しのためにもメルケル首相が統括する同盟との連立には応じない、と選挙後にいち早く表明した。
社会民主党の宣言を受けてメルケル首相は、自由民主党(FDP)および緑の党との連立を模索した。だがあえなく決裂。メルケル首相が政権を掌握できない異常な時間が始まった。
やがてドイツの政治混迷を危惧する声が国内外から噴出。シュタインマイアー・ドイツ大統領は、社会民主党のシュルツ党首に再びの連立参加を促すなどした。
紆余曲折を経て1月12日、メルケル首相率いる同盟と社会民主党は連立へ向けた主要政策で基本合意。これによって総選挙以降続いていたドイツの政治混迷は、沈静化へ向けて進む展望が開けた。
イタリアの 政情紛糾 はEUにとっても好ましいことではない。だが、欧州の大勢に影響を与えることは少ない。ドイツの政治のカオスは、イタリアのそれとは違う。
ドイツの政治不安はEUの結束、ひいてはその存続にさえ決定的な影響を与えかねない。ドイツの政治の安定は、いわばEUの命綱とも呼べるほど重要なものだ。
2005年から首班を務め、ドイツとEUを文字通り「率いて」きたメルケル首相は、その間ソブリン危機や難民危機、またBrexitに代表されるEUの難問を次々に乗り越えてきた。
さらに2016年の米大統領選挙であらわになったトランプ主義とそれを信奉するEU内の極右、ポピュリスト勢力とも毅然として対峙してきた。
メルケル政権が倒れればEUの力も弱体化して、世界はトランプ主義と同一語である不寛容と差別と排外主義が跋扈する状況に陥りかねない。
政治的にまとまった強いドイツによって率いられるEUは安定し、懐が深くなる。その中でならイタリアはいくらでもカオス世界を編み出して構わない。
イタリア国民にとっては、国の安定よりもEUの均衡と落ち着きがはるかに重要である。従って次期総選挙を経てベルルスコーニ元首相が再び世情を騒がせても、EUが静かである限り少しもあわてる必要はないのである。