サクランボ800
フランコ家のサクランボ(4月8日)


《書こうと思いつつ優先順位が理由でまだ書けず、あるいは他の事案で忙しくて執筆そのものができずに後回しにしている時事ネタは多い。僕にとってはそれらは「書きそびれた」過去形のテーマではなく、現在進行形の事柄である。過去形のトピックも現在進行形の話題もできれば将来どこかで掘り下げて言及したいと思う。その意味合いで例によってここに箇条書きにしておくことにした》

桜桃 (サクランボ)
ことしは3月17日、友人宅での花見の誘いを受けた。ところが予想に反して、その日の段階では北イタリアの桜はまったく咲かず。寒さに震える桜の堅い蕾たちを家の中から眺めつつ馳走にあずかった。10日後の3月27日、友人で大酒飲みのフランコと、ことし初のわが家でのガーデン飲み会。春爛漫とばかりに日差しはまぶしかったが、同時に「春は名のみの」で気温は低い。ビールを飲みつつサクランボまた桜の話に「花咲かせ」た。フランコの家の庭にはサクランボの木があって、毎年開花し実もつける。サクランボは白い花なので、ソメイヨシノに代表されるいわゆる桜の花の華やかさはない。僕は3年前に桜を庭に植えて、翌年に見事な花が咲いたが、夏の手入れが行き届かずあっという間に枯れてしまった。再び桜を植えたいが、また失敗するのもいやだし、桜のつもりでサクランボ(桜桃)を植えようかな、などとフランコに伝えた。桜の花の華やかさにはかなわないかもしれないが、サクランボの白い花も可憐で悪くはない。実のサクランボも収穫できて一石二鳥だし。。。などと考えている。それにしても桜の実が「桜桃」というのはどうも変だ。たとえば「桜実」などと書いてサクランボと読みたい気がしないでもない。もっともサクランボは桜ではないのだから、桜桃がよし、というとらえ方もあるのだろうけれど。

大相撲 春場所 
鶴竜優勝のつまらなさ。横綱の強いイメージがゼロ。しかし優勝インタビューの日本語の流暢さは相変わらずすばらしかった。引退した日馬富士が、現役横綱でありながら大学に通うものの、日本語のレベルが「昨日来日したばかりか?」と思わせるほどの拙さだったのと対照的。鶴竜も日馬富士も奥さんはモンゴル人。したがって2人が奥さんから日本語のレッスンを受けられない点は同じ。なのにひどい差が出る。もしかして日馬富士って頭が悪かったのかな・・?春場所最高の取り組みは9勝5敗同士で千秋楽にぶつかった栃ノ心VS逸ノ城戦。好調で強く重い逸ノ城をがっぷり四つから寄り切った栃ノ心。見ごたえがあった。栃ノ芯は10勝して初場所の14勝優勝と合わせて24勝。大関昇進の可能性が出てきた。大関昇進の基準は、直前3場所の合計勝利数が33勝以上。従って来場所9勝でも到達。しかし、9勝では心細い。せめて11勝ぐらいはしてほしい。そうなれば文句なしだろうが、10勝でも34勝になるから、相撲協会は昇進か否かをめぐって苦心するだろう。

習近平 永久独裁主席
ロシアのプーチン大統領が再選され、終身国家主席になりかねない習近平さんに並んで、さらなる強大独裁者に。2者択一(民主党VS共和党)の勝負で大統領になったトランプさんにも似ている。エジプトのシシさんも再選。また将来、総裁3選なら日本の安倍さんも同じ穴のムジナ。独裁の茶番劇が続く。

佐川証人喚問
佐川氏が「刑事訴追を受ける可能性がある」一辺倒の答弁で逃げおおせたのは、喚問をかわすことができる規定そのものの問題とともに、安倍一強がロシア・プーチン、中国・習近平独裁政権にも似た権力だから。中露の場合は国家がつまり秘密警察が上から押さえるが、日本の場合はそれと同時に下からの抑え、つまり国民による「忖度という名の警察」があるために不正の隠蔽はより強力なものになる。証人喚問は「刑事訴追を受ける可能性がある」の条項を外して、「司法は証人の証言に囚われずに独自に捜査をすすめなければならない」とした上で、証人にすべてを話すように決め付けるべきだ。それを利用して検察が証人を追及する危険は無くならないが、それは証人が「刑事訴追を受ける可能性がある」という伝家の宝刀の文言を盾にして逃げる危険と同じ程度の危険である。同じ危険ならば、国民により多くの利益を生む危険のほうを採用するべき。自民党の丸川珠代さんの「総理、総理夫人、麻生財務大臣の関与はなかったんですね」という出来合いの質問をすることに、微塵も羞恥を覚えない醜悪。いまさらながら、「TVタックル」時代の可愛さの化けの皮がはがれている、と感じた。仮面の凄味。

パスクア(復活祭)コヒツジ料理
子羊また子ヤギ食いにからませて、動物虐待やら菜食主義に移行しろやらの極論がよく聞かれる。動物を家畜にして量産できる態勢が確立しているのなら、それを食べても非難されるいわれはないのかもしれない。動物虐待(肉食)はNGだが生物虐待(菜食・ヴェジタリアン)はOKでは筋が通らない。食の対象としては、野生動物は基本的にNGだが家畜は基本的にOKとなるべきではないか。動物愛護家も菜食主義者もヌーディストもフェミニストも誰も彼も、主義主張を尊重しろと大いに叫ぶべきだが、菜食主義者が肉食者を、あるいはヌーディストが水着姿の人を糾弾するのは余計なお世話であり、あまり賛同してもらえないのではないだろうか。。。