
立ちションはイタリアではひどく高くつく。
先日(2018年3月13日)、フィレンツェのど真ん中のシニョリア広場の銅像脇で立ちションをしたアメリカ人の男が、警察につかまって130万円の罰金を科された。
また昨年は19歳の男子学生がジェノバで立ちションをして、同じ額の罰金を科された初めての違反者になり、大きなニュースになった。
かつては『街路または公園その他公衆の集合する場所での立ちション』はイタリアでも軽犯罪法で禁止されていた。
だが2016年初頭、立ちションは「犯罪(前科のつく)」の範疇ではなくなる代わりに、5000(約65万円)~10000ユーロ(約130万円)の罰金が科されることになった。
たかが立ちションごときになぜこんなにも重い罰金刑なのかというと、イタリアの観光地では歴史的建築物やアート作品などへのヴァンダリズムが後を絶たないからである。
ヴァンダリズムで最も多いのは壁や建物などへの落書き、そして破壊行為。イタリア人は広場などで飲み食いをする行為を含む、観光地での迷惑行為もヴァンダリズムと連動して捉える傾向が強い。
彼らは「立ちション」もヴァンダリズムの一種と考えているフシがある。
イタリアの街なかでの観光客による立ちションは後を絶たず、フィレンツェではアメリカ人の若い女性がタクシー乗り場で放尿して、その様子をビデオカメラで撮られたりもしている。
余談だが、イタリアの街なかでの放尿事件は、男女を問わずアメリカ人観光客によるものが多いような印象がある。
タクシー乗り場で(しゃがんで)立ちションをした米国人女性は、おそらく体調が悪いなどのやむにやまれぬ事情があったのだろう、と僕は同情と共に推測する。
同時に国が新しいアメリカ人はもしかすると、イタリアの古都の歴史的建築物や施設を目の当たりにすると、心に何かのスイッチが入って尿意を催す、なんてこともあるのだろうか、といぶかったりもする。
立ちションへのイタリア人のこだわりは、ローマ帝国にその起源があるのかもしれない。それというのも古代遺跡のコロッセオが、立ちションならぬ公衆トイレの小便のおかげもあって建設が可能になった、という歴史があるからである。
円形闘技場のコロッセオは、皇帝ウェスパシアヌス治世の(紀元)70年頃に工事が開始され、10年後に完成した。
ウェスパシアヌスが莫大な費用がかかるコロッセオの建設を決めたのは、市民(国民)を闘技場で遊ばせることで、彼らの支配者への不満をそらせようという意図があった。
当時のローマ帝国の財政は破産寸前だった。ウェスパシアヌス帝は財政逼迫を押してコロッセオ建設を進めると同時に、財政立て直しのための大胆な政策も次々に遂行した。
その一つがいわば「立ちション(小便)税」ともいうべき、尿取引に課した前代未聞の税金。ローマ市中に公衆便所を設置し、そこに溜まった尿を国家が売買し課税したのだ。
古代ローマ人は尿を貴重な資源として重宝した。尿にはアンモニアが含まれ衣服に付いた油やしつこい染みなどの汚れを 落とす効果がある。そこで洗濯用にそれを用いた。
また尿はなめし革製作にも使われ、果ては歯を白くするホワイトニング効力もあるとまでみなされて、人々の熱い視線がそそがれていた。
アイデアマンの皇帝ウェスパシアヌスは、そこに目をつけた。市中に公衆便所を施設して尿を集め汲み取り業者に売買させ課税したのである。
画期的なその事業はローマ帝国の苦しい財政の一助になった。だが国家がションベンの売り買いにたずさわるという行為を、下品だとして非難する政敵や官僚などの有力者も少なくなかった。
ウェスパシアヌスの息子ティトゥスもその一人だった。そこでウェスパシアヌスは、公衆便所事業で稼いだ金を息子の鼻先にかざして「これは臭いか?」、と聞いた。金はもちろん無臭である。ティトゥスはひと言も反論できなかった。
金銭には貴賎はない、と説いたウェスパシアヌスのその叡智はつまり、(金銭に)貴賎があらわれるのはそれを使う人の本性による、という真理の別表現である。
ウェスパシアヌスは、それを息子に語ったとされるが、実際にはローマの元老院や広場などで政敵や批判者を向こうに回して演説をしたのではないか、と僕は思う。だから史実として言い伝えられてきたのだ。
ウェスパシアヌスが息子のティトゥスに諭した、というのはおそらく後世の人々の作り話である。人生哲学は「父から子への贈り物」として語り継がれたほうが面白く重みもでる。
ティトゥスは父の後を継いでローマ皇帝になった人物だ。在位は2年間と短かったが彼の政治家としての評価は高い。偉大な父とその背中を見て育った偉大な子の物語の誕生である。
ともあれ、財政難の中で工事が始められた壮大な建造物コロッセオは、人々のションベンのおかげもあってそこに存在することができた、というめでたい話である。
たかが立ちションに130万円もの罰金を課すイタリア人のメンタリティーは、永遠の都ローマの歴史でもひもとかないと、僕のような外国人には中々理解できないのである。