しょんべん小僧


「オーストリアの緑の党が女性の立ちションを推奨」という英文記事の見出しが目に入ったとき、僕は少しウンザリした。緑の党がたまにやらかす「やり過ぎ」事案だと直感したのだ。昨年の今ごろのことだ。

「緑の党→フェミニズム→女性差別に怒り→男は立ちション当たり前→ならば女も立ちションするべき」というような流れが僕の脳裏で一瞬にして起きた。女と男の「違い」を「優劣」と勘違い、あるいは曲解することから来る「おバカ」な主張なのだろうと思ったのだ。

すぐにサイトを閉じかけたが思い直して読んでみた。「勘違い」しているのは緑の党ではなく自分の方だとたちまち気づいた。

緑の党の主張は「日本以外の世界中のほぼ全ての国」に見られる、「不潔な公衆便所」への対抗手段としての「女性の立ちション」のすすめだったのだ。

専門家を招いて立ちションがしやすくなるように女性を訓練する。どうやって?⇒運動によって骨盤を進化させる、という論理である。なるほどと思った。

イタリアを含む欧州の公衆便所は汚い。国によって多少の違いはあるものの、例えば清潔な国というイメージがあるスイスの公衆便所でさえ、「日本に比べると」汚い、と僕は実際に体験して思う。

それは男性用トイレの話である。女性用は知らない。知らないがガサツな男どもが使う側と違って、女性用トイレは清潔なのではないかと漠然と考えていた。記事を読むとそうではないことがわかる。そこもやっぱり不潔なのだ。

そんな汚い公衆トイレだから、座って用を足す女性にとってはきっと悪夢のような場所なのだろう。だからせめて小用ぐらいは男のように立って済まそう、というわけだ。まっとうな話である。

ところがその記事に対しては誹謗中傷するコメントが殺到した。醜い、ばかばかしい、恥知らず、女を貶めるな、など、など。

それらのコメントはもしかすると、僕が冒頭で勘違いしたのと同じことを思った人々が発しているのではないか、と感じた。

女子の立ちションは、エログロナンセンス並みのコンセプト、と見なしているのだ。つまり彼らの多くは記事を読まずに見出しだけを見て怒っているのだ。また実際に読んだ者であっても、「女性はこうあるべき」という思い込みの強い人々なのだろう。

その人が男である場合、彼の脳裏には男性用小便器に向かって排尿する女性の姿があるに違いない。それは下半身をさらけ出して用を足している女性像である。滑稽でグロテスクでさらにエロい要素もあるそのイメージを、男は糾弾しているのだろう。

だが、そこで考察されているのは、女性用トイレにおける、つまり密室の中での女性の立ちションである。密室の便器も汚いからそこに腰を下ろしたくない。だから立ったままで用を足そう、という議論だ。

男性用小便器の前で女性が並んで用を足していれば、それは確かに異様な光景だろう。だがそうではなく、あくまでも個室の中での女性の立ちションなのだから、誰の目にも触れない。そのどこが悪い?とも僕は思うのだけれど。

記事を読み終わって僕はすぐにこうも思った。骨盤を鍛えたり変容させるなどのつらい作業をするぐらいなら、なにかの道具を用いればいいのではないか、と。つまりロート状の用具・・と思いついたので試しにインターネットであたったら何のことはない、既にそういう用具は存在する。

女性の立ちションを推奨する女性たち(多分女性だろうと思う)が、そのことを知らないはずはない。なのにあえて骨盤体操などの体の矯正を持ち出すのは、便利な用具の「不便」が頭にあるからなのだろう。つまり不潔な物を持ち歩く憂鬱、かさ張る、携帯忘れの可能性、など、などの。

骨盤体操も用具の携帯も大いに面倒くさそうだ。それらを避けるには結局トイレを清潔にすることだが、それが難しいから珍奇なアイデアが出てきた。なかなか難しいものだ。

ところで一つ不思議なことがある。女性読者が非難コメントにこう反論しているのだ。「尿で便座が濡れまくっている女性トイレを知らない男には、女性の立ちションを非難する資格はない」と。

上から散水してそこら中を濡らす危険がある男の立ちションと違って、座って小用を足す女性がどうやって便座を濡らすのだろう?

考えられるのは、腰を下ろさず立ったままで排尿をする女性がすでにいる、ということではないだろうか。その人はきっとトイレが不潔だから立ちションをしたのだ。不潔の悪循環。

もしかすると女子トイレって、男の想像を絶する悲惨な場所なのではないか、と僕は少しこわくなったりもしたのだった・・お・わ・り・