
学歴詐称の真相
連立政権樹立を目指すイタリアの五つ星運動と同盟は、首相候補として弁護士で大学教授のジュゼッペ・コンテ氏(Giuseppe Conte54歳)を推薦した。
ところがコンテ氏が学歴を詐称しているのではないか、という疑問がとつぜん飛びだして騒然となり、マタレッラ大統領が彼を首班に指名するというシナリオも白紙に戻りそうな状況にった。
しかしマタレッラ大統領は、コンテ首相候補との長い会談を経て、彼に組閣要請を出した。学歴詐称問題はメディアが騒ぐほどの問題ではない、との判断が下されたのである。
学歴詐称問題は、コンテ氏が短期に学んだというニューヨーク大学の記録にその記述がない、という報道から火が点いて一気に燃え上がった。
コンテ氏の学歴にはニューヨーク大学のほかに英ケンブリッジ大学、仏ソルボンヌ大学、米イェール大学でそれぞれ短期に学び、オーストリアやマルタの大学での短期受講なども含まれている。
結局それらは、勉強熱心だった若かりし頃のコンテ氏が、休暇や空き時間を利用してせっせと世界中の大学に通い、交流し、体験を積み重ねた過去を書き連ねたもの、という程度のことらしい。
陰謀説
ニューヨーク大学の反応の速さと、直後の騒ぎの広がり方の激しさに驚いた人々は、五つ星運動と同盟の連立政権構想に恐怖感を抱く「体制」側の陰謀ではないか、との疑問も呈していた。
そこでいう体制側とは、まず誰もが思い浮かべるのがベルルスコーニ元首相とその周辺だろう。元首相は五つ星運動とほとんど「陰惨な」と形容してもよいような政治衝突を続けている。
そこに朋友だった同盟が五つ星運動と連立を組み、元首相と同盟党首のサルヴィーニ氏との間にも齟齬が生まれ始めた。元首相はいま「恨み骨髄に徹する」心境であろうことは容易に推察できる。
また元首相は、彼に科されていた公職追放処分をミラノ地裁が破棄したことを受けて、選挙に立候補し再び首相職を目指すこともあり得る、と公言している。
元首相は、2013年に脱税容疑で有罪判決を受け、議員資格を剥奪された。同時に6年間の公職追放処分も科された。が、ミラノ地裁は彼の行動が模範的であるとして先日、刑期を前倒しして免責処分とした。
それに気を良くしたベルルスコーニ元首相は、五つ星運動と同盟が共に推薦する首相が誰になるのか一切わからなかった数日前には、「我こそ首相にふさわしい」と臆面もなく発言したほどだ。
そんな元首相が、自らが所有するメディア王国の情報収集力を縦横に使って、「どこの馬の骨ともしれない」コンテ氏の首相昇格を阻むために動いた、と想像するのは荒唐無稽とは言えない。
もっともその意味では、五つ星運動および同盟と犬猿の仲にあるレンツィ元首相と、彼が支配する民主党主流派にも、同じ嫌疑がかかって然るべきである。
元妻の証言
突然脚光を浴びたジュゼッペ・コンテ氏は、人柄の良い生真面目な人物であるらしい。風貌にもそれが現れているように思うが、僕は一つのエピソードを知ってさらにその感を強くした。
コンテ氏は10歳の男児の父親だが妻とは離婚している。その別れた妻、ヴァレンティーナさんが次のように発言したのだ。
“私の元夫に対する誹謗中傷は馬鹿げている。ジュセッペはすばらしいイタリア首相になるでしょう。彼の履歴には嘘はありません”と。
離婚は世の中のありふれた不運だ。だが別れた相手を尊敬し、また尊敬される関係でいるのは、決して「ありふれた」ことではない。
僕はコンテ氏の元妻の発言に、彼の人柄の良さがにじみ出ていると感じて、少し心が温かくなったような気がした。
日本人vsイタリア人
コンテ氏の学歴詐称は、世界中の各大学での短期の受講や研究や交流などをこれでもかと、とばかりに書き連ねたことにある。
また休暇などを利用して授業に出る外部の学生の記録が、大学に残らないことは珍しくない。ニューヨーク大学の受講生記録にコンテ氏の名がなかったのは、そういういきさつなのだろう。
それにしても、有能な弁護士であり大学教授でもあるコンテ氏は、多くの「どうでもよい」学歴など無視して「フィレンツェ大学法学部卒業」と記せば済むことだった。
実をいえば学歴や履歴を必要以上にごちゃごちゃ書き込んだり、時には誇張とさえ見られかねない書き方をするのはイタリア人の特徴なのである。
そして実は、これが一番言いたいことなのだが、日本人も同じ性癖を持っている、と諸外国では見なされているのだ。
欧米の大学などでは、イタリアと日本からの留学生が携えてくる彼らの大学や担当教授の推薦文はよく似ている、という評価がある。どちらも言わずもがなのことをごちゃごちゃ記載しているというのだ。
学生に対する大学の推薦文は、普通は卒業証明と成績を簡潔に述べるだけだが、イタリアと日本からの推薦文は卒業証明と成績に加えて、身体頑健で活動的で明るいとか、外交的で思いやりがあり協調的などなど、「余計なこと」を書き連ねたものが多い、とされる。
イタリア人はほめまくることが好きである。人々が顔を合わせるとお互いに相手の様子を賞賛し、装いの趣味の良さに言及し、学業や仕事や遊びで相手がいかにガンバッテいるかと元気づけ合う。
続いて家族や恋人に言及して持ち上げ、誰かれの噂話をした後には再びお互いの話に戻って、これでもかこれでもか、とばかりに相手の美点を言いつづける。それが対人関係の全般にわたって見られるイタリア人の基本的な態度だ。
その流れで、大学や大学の恩師は学生をほめあげる推薦文を書き、一般的な履歴書や学歴紹介書でも、人々はこまごまと「自らと他人をほめる」 言葉を連ねるのである。コンテ氏の学歴紹介もそうした習慣によるものだろうと思う。
さて、ほめたり自慢することよりも、謙遜や慎み や韜晦が好きな日本人は、そうした態度が世界ではあまり理解されないことを知って、「外国向け」の履歴書や推薦文などを書くときに「正直」を期そうと懸命に意識する。
意識し過ぎるあまり、日本人は常軌を逸して思わず余計なことまで記載するのではないか、と思う。そうやっていわば明と暗、動と静、顕示と韜晦、のように違うイタリア人と日本人の文章が似たものになるのだ。
実体験
実は僕はそのことを体感する経験をしている。日本で大学を終えて英国の映画学校に入学しようとするとき、僕も東京の大学の卒業証明書と恩師の手書きの推薦書を持っていた。
映画制作の実践を教えるその学校は、入学の条件として学生が大学卒業資格を持っているか2年以上の映画実作の助監督経験があること、としていた。その上でオリジナルの英文のシナリオを提出させて考査する。
僕の恩師の推薦文には、まさしく日本人の性癖・慣習が顕著にあらわれていて「彼(仲宗根)は成績優秀で、健康で社交的でかつ協調性も強く云々」という趣旨のことがえんえんと書かれていた。
僕は全く優秀な生徒ではなかったので、「成績優秀で」のくだりはあからさまな嘘と言っても構わないが、それに続く健康で社交的で云々、という記述は、ま、あたらずとも遠からずというところだったろうと思う。
そうした感傷的な推薦文は、何度も言うように日本人とイタリア人に特徴的なものなのだが、僕はそのときはそれが当たり前だと考えて何の感慨も抱かなかった。
それがちょっと普通ではない推薦文だと知ったのは、何年か後にアメリカでドキュメンタリー制作の仕事しているときだった。ある大学関係者が笑いながらそういう事情を話してくれたのだ。
あれからずいぶん時間が経って今の状況は知らない。知らないが、ある意味でメンタリティーが水と油ほども違う日本人とイタリア人の、外国向けの履歴書や推薦文が良く似ているというのは面白い。
極論者は皆似ている
それぞれの国内向けの履歴書や推薦文は、イタリアと日本では違う部分もきっとあるのだろうが、いずれにしても双方共にあまり合理的ではなく、どちらかといえばやはり情に訴えたい気持ちがあらわな、感傷的で大げさなものである場合が多いのではないか。
履歴書や推薦文の世界でイタリアと日本が似ているのは、あるいは例えが突然かもしれないが、本来は違う道を行くはずの左翼と右翼が、過激に走って
「極左」と「極右」になったとたんに瓜二つになる、ということにも似ている。
嘘ではないものの、本来は書くべきではない些細な勉学の体験をいちいち書き連ねたために、まるで世界のトップ大学を幾つも卒業したのでもあるかのような印象を与えてしまった、未来のイタリア首相ジュセッペ・コンテ氏の学歴詐称にはそんないきさつがあったのである。
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