本積みややヨリ600
帰国の度に文庫本と即席ラーメンを大量にイタリアに持ち込む


2、3年前、海外居住者だけに提供されるサービスを利用して、生まれて初めてインターネットで雑誌を買った。文藝春秋と週刊文春。

一つ一つの記事の「魅力のなさ」と、その割には値段がべらぼうに高いのにおどろいた。雑誌の場合には、読者が読みたい1本1本の記事を選んで買える仕組みを作るべき、と強く感じた。

読み物や報道などのWEB上の有料サイトは基本的にそういう仕組みになっている。課金されないサイトも僕が知る限りはそういう形式が多いように思う。

その後帰国した際、いつものように両誌を買って読んだが、「普通に」面白い記事もあると思った。WEB上で購入して読んだとき、あれほど魅力がないと感じたのは、おそらく有料だったからだろう。

僕は今のところは有料の報道や雑誌のサイトを利用していない。利用する必要を感じない。無料で読める多くの優れたサイトで情報を収集している。 WEBの文藝春秋と週刊文春はそれらを凌駕するものではなかった。

それでも高い金を払わされた、という違和感が影響していたのだと思う。また購入した雑誌が「自分の物」になってPCなどに保存できず、読むときはいちいち「保存庫」ともいうべき別のサイトにログインして読むわずらわしさにもあきれた。

購入したモノが自分の手元にない、という現実の心理的な影響はかなり大きいのではないか。買った週刊誌はほとんどの場合は読み終わったあとに捨ててしまう。それでもその気になれば一冊を丸ごと取っておいたり、記事を切り抜くなどして「手元」においておくことができる。

WEB版ではそういうことができない。金を出したのに「自分のモノ」感が皆無なのである。購入後、自分のPCなりの機器に保存していつでも閲覧できれば少しは気分が晴れるかもしれない。

それでも無料サイトがあふれているネットの世界では、文藝春秋と週刊文春またその他の雑誌が大きく値引きをして販売しても、生き残るのは難しいように思う。内容や体裁や製本や文体などなどの総体が、いかにも「古色蒼然」としているのだ。

手にとって読む紙の雑誌の場合には、その「古色蒼然」感がうれしい。ネット上では感覚がまるで違う。ずっと紙の雑誌に親しんできた「オヤジ」の僕でさえそうなのだから、ネット世代の若者たちに受け入れられるには革命的な変化が必要だろう。

僕は電子書籍の全面的な到来を心待ちにしている者のひとりである。電子書籍は今でもネットで買えるが、サイトをのぞいてみると買える本の種類が圧倒的に少ない上に、購入して読むためには新たに端末が必要だとか、うるさくて全く魅力を感じない。

紙の本はなくならないだろうし、またなくなってほしくない。が、海外にいてもあらゆる本がインターネットで買えるようになる日がくれば、日本国内でのメリットも多くあるはずである。それは特に若者に顕著という本(読書)離れに歯止めをかける切り札になる可能性もある。

今ある物足りないサービスではなく、新刊の小説やベストセラー本や新説や見解が満載の新書等々を含む、一切の書籍が電子書籍になってWEB上で手に入る日が待ち遠しい。1年に1~2度帰国する度に大量に本を買い込む、という古くから続いている習慣はまだ捨てられない。

今年2月の帰国の際も、いつものように文庫本を大量に買ってイタリアに戻った。最近はハードカバーや新刊本はよほどのことがない限り買わない。かさ張り、値段が高い、という理由のほかに、僕の読書が文庫本になった多くの本に追いついていない、という現実がある。それは電子書籍になってもおそらく変わらないだろう。読みたい本や読むべき本が無数にある。。。
 
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