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2018年6月、20年ぶりに再訪したイタリア・サルデーニャ島では見たいもの、聞きたいこと、確認事項、食べたいもの、知りたい事案など、などが僕の中で目白押しになっていた。

島には世界遺産のヌラーゲ(古代巨石遺跡)やイタリア随一のリゾート地「ポルトチェルヴォ」あるいはスティンティーのラ・ペローザビーチ、マダレーナ諸島、手付かずの各地の自然など、見るべきものが数多くある。

その中でも最も見たいものが、島のほぼ中央部の東寄りにあるオルゴーソロ
(Orgosolo)のアート壁画だった。

島の深い山中にあるオルゴーソロは人口約4500人の村。かつて「人殺しの巣窟」とまで呼ばれて悪名を馳せていた犯罪者の拠点集落である。

犯罪者の拠る場所は往々にして貧民の集落と同義語だ。山賊や殺人鬼や誘拐犯らがたむろしたかつてのオルゴーソロは、まさにそんな貧しい村だった。

一般社会から隔絶された山中の村人は、困窮する経済状況に追い詰められながらも、外の世界との付き合いが下手で不器用なために、それを改善する方策を知らなかった。

そうやってある者は盗みに走り、ある者は誘拐、また別の者は強盗や家畜略奪などに手を染めた。また残りの村人たちはそうした実行犯を助け、庇護し、官憲への協力を拒むことで共犯者となっていった。

犯罪に基盤を置く村の経済状況は良くなることはなかった。それどころか、外部社会から後ろ指を指される無法地帯となってさらに孤立を深め、貧困は進行した。かつてのオルゴーソロの現実こそ、サルデーニャ島全体の貧しさを象徴するものだったのではないか。

時代が下ってイタリア共和国に組み込まれたサルデーニャ島は、イタリア国家の経済繁栄にあずかって徐々に豊かになり、おかげでオルゴーソロの極端な貧困とそこから発生する犯罪も姿を消した。

ある日、国が村の土地を接収しようとしたことをきっかけに、村人らの反骨精神が燃え上がった。彼らは国への怒りを壁画アートで表現し始めた。山賊や殺人犯や誘拐犯らは、イタリア本土の支配に反発する愛郷心の強烈な人々でもあったのだ。

彼らは村中の家の壁に地元の文化や日常を点描する一方、多くの政治主張や、中央政府への抗議や、歴史告発や、世界政治への批判や弾劾などを描きこんで徹底的に抵抗した。1960年代のことである

だが実は、オルゴーソロはサルデーニャ島における壁画アートの先駆者ではない。島南部の小さな町サン・スペラーテの住民が、観光による村興しを目指して家々の壁に絵を描いたのが始まりである。

それは島の集落の各地に広まって、今では壁画アートはサルデーニャ島全体の集落で見られるようになった。特に内陸部の僻地に多い。そこは昔から貧しく今も決して豊かとは言えない村や町が大半である。

そうした中、かつての犯罪者の巣窟オルゴーソロは、インパクトが大きい強烈な政治主張を盛り込んだ壁画を発表し続けた。それが注目を集め、イタリアは言うに及ばず世界中から見物者が訪れるようになった。

外部からの侵略と抑圧にさらされ続けた島人が、「反骨の血」を体中にみなぎらせて行くのは当然の帰結である。そこに加えて貧困があり、「反骨の血」を持つ者の多くは、貧困から逃れようとして犯罪に走った。

イタリア共和国の経済繁栄に伴って村が犯罪の巣窟であることを止めたとき、そこには社会の多数派や主流派に歯向かう反骨の精神のみが残った。そして「反骨の血」を持つ者の一派だった無政府主義者が中心となって壁画を描き始め、それが大きく花開いた。

サルデーニャ島は、イタリア共和国の中でも経済的に遅れた地域としての歩みを続けてきた。それはイタリアの南北問題、つまり南部イタリアの慢性化した経済不振のうちの一つと捉えられるべきものだが、サルデーニャ島の状況は例えば立場がよく似ているシチリア島などとは異なる。

サルデーニャ島はまず地理的にイタリア本土とかけ離れたところにある。地中海の北部ではイタリア本土と島は割合近いものの、イタリア半島が南に延びるに従って本土はサルデーニャ島から離れていく形状になっている。

一見なんでもないことのように見えるが、その地理的な配置がサルデーニャ島を孤立させ、歴史の主要舞台から遠ざける役割も果たした。イタリア半島から見て西、あるいはアフリカ側にあると考えられた島は軽視されたのである。

その要因は、先史時代のアラブの侵略や後年のイスラム教徒による何世紀にも渡る支配など、島が歩んで来た独特の歴史と相俟って、サルデーニャをイタリアの中でもより異質な土地へと仕立て上げていった。

島の支配者はアラブからスペインに変り、最終的にイタリア本土になるが、サルデーニャ島はそこへの同化と、同時に自らの独自性も強く主張する場所へと変貌し、今もそうであり続けている。。

島が政治経済文化的に本土の強い影響を受けるのは、あらゆる国の島嶼部に共通する運命だ。また島が多数派である本土人に圧倒され、時には抑圧されるのも良くあることである。

島は長いものに巻かれることで損害をこうむるが、同時に政治経済規模の大きい本土の発展の恩恵も受ける。島と本土は、島人の不満と本土人の島への無関心あるいは無理解を内包しつつ、「持ちつ持たれつ」の関係を構築するのが宿命だ。

ある国における島人の疎外感は、本土との物理的な距離ではなく本土との精神的距離感によって決定される。サルデーニャ島の人々は、イタリアの他の島々と比べても、本土との精神的距離が遠いと感じているように見える。

そうしたサルデーニャ人の思いが象徴的に表れているのが、オルゴーソロの
「怒れるアート壁画」ではないか、と僕は以前から考えていた。だから島に着くとほぼ同時に僕はそれを見に行かずにはいられなかった。

抗議や怒りや不満や疑問や皮肉などが家々の壁いっぱいに描かれたアート壁画は、芸術的に優れていると同時に、村人たちの反骨の情熱が充溢していて、僕は自分の思いが当たらずとも遠からず、という確信を持ったのだった。


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