絶妙な味がした成獣羊肉
6月終わりから7月半ばまで滞在したサルデーニャ島では、海とビーチを忘れて観光や食巡りに終始したが、サルデーニャ島の食に関しては、僕は一つ大きな勘違いをしていた。
それは島の重要な味覚の一つである子羊料理が、一年中食べられるもの、と思い込んでいたことだ。島では子羊料理は晩秋から春にかけて提供される季節限定の膳だと聞かされて驚いた。
冷凍技術の発達で、子羊の肉はイタリアではいつでも、どこでも手に入る。ましてや羊肉の本場のサルデーニャでは一年中食べられるに違いない、と思い込んでいた。
ところが子羊料理はどこのレストランにもメニューに載っていなかった。代わりに多く目についたのが、サルデーニャ島のもう一つの有名肉料理「ポルケッタ(Porchetta)」、つまり子豚の丸焼きである。
ポルケッタにされる子豚は幼ければ幼いほど美味とされ、乳飲み子豚のそれが最高級品とされる。そのコンセプトは子羊や子ヤギの肉の場合とそっくり同じである。
ヒトの食料にされる動植物は、果物を除けばほぼ全てにおいて、残念ながら幼い命ほど美味とされる。それどころか誕生前のさらに幼い命である卵類でさえも、ヒトは美味いとむさぼり食らう。
カリカリに焼けた皮が旨いポルケッタ
ポルケッタは2軒のレストランで食べた。皮ごと提供されるその料理は、通ほどカリカリに焼けた皮を好むとされる。僕は通ではないが、見事に焼きあがった皮の美味さに舌を巻いた。
肉そのものも絶妙な柔らかさに焼きあがって舌ざわりが良く、且つ香ばしい。口に含むとほんのわずかな咀嚼でとろりと溶けた。2軒の膳ともにそうだった。
店の一軒目は壁画アートが熱いオルゴーソロの店。路上にテーブルを出しているほとんど屋台同然の質素な場所だったが、味は極上だった。
2軒目は滞在先のすぐ近くにあるレストランだった。その店は海際の街にありながら魚料理を一切出さず、島のオリジナルの「肉料理」にこだわって評判が高い。
ポルケッタを食べに初めて足を運んだあと、その店には一週間ほど毎日通った。山深い島の内陸部でなければ食べられないような肉料理が盛りだくさんだったからだ。
ポルケッタの次には普通の牛ステーキに始まって、成獣羊肉や牛の内臓や豚のそれを焼き上げた料理を一週間、毎日メニューを変えて味わった。はほぼ全ての膳が出色の出来栄えだった。
店のメインの肉料理は炭ではなく徹底して薪の熾火で焼かれる。また味付けはほぼ塩のみでなされるのが特徴で、胡椒などもほとんど使わない。
料理される内臓は主に牛の心臓、肝、肺、腎臓、横隔膜、脳みそなど。また豚の睾丸なども巧みな火加減と塩使いで焼かれて提供される。
切り分ける前のステーキ
それらはいずれも秀逸な味付けだった。ごく普通の牛ステーキでさえもちょっとほかでは味わえないような 妙々たる風味があった。有名なフィオレンティーナ・ステーキも真っ青になるような豊かな味覚なのである。
パスタもミンチ肉や内臓の細切り煮込みやチーズなどを活かしたソースを使って、とにもかくにも「サルデーニャ島内陸部の伝統肉料理」にこだわったものである。
サルデーニャ島の料理の基本は肉である。島でありながら魚介料理よりも肉料理が好まれたのは、住人が海から襲ってくる外敵を避けて内陸の山中に逃げ、そこに移り住んだからだ。山中には魚はいない。
現在のサルデーニャ島には魚介料理が溢れていて味も素晴らしい。だがそれは島オリジナルの膳ではなく、沿岸部を中心とするリゾート開発の進行に伴って、イタリア本土の金持ちたちが持ち込んだレシピだ。
魚料理、特にパスタに絡んだサルデーニャ島の魚介料理は、イタリア本土のどの地域の魚介パスタにも引けを取らない。当たり前だ。元々がイタリア本土由来のレシピなのだから。
店で出される島オリジナルの肉料理はなにもかもが珍しく、またどれもが目覚ましい味わいだったが、その店での最高の料理は「羊の成獣の骨付き焼肉」だった。僕の料理紀行を読んでいる人は、「また羊にヤギ肉か」と苦笑するかもしれない。
だがそれは羊肉とヤギ肉が好きな僕の手前みそな評価ではなく、同伴している妻の評価でもあったのだ。妻はどちらかと言えば羊肉やヤギ肉が好きではない類の女性である。
初日に予約していたポルケッタを食べた僕は、メニューに「焼き羊肉」があることを知って小躍りした。そしてレストラン通い2日目に早速それを頼んだ。
目を洗われるような味わいの焼き方だった。しっとりと焼き上げられた羊肉は、肉汁はほとんどないのに肉汁のうま味がジワリと口中に広がるような不思議な秀逸な味がするのだ。
羊の成獣肉の臭みはきれいに消し去られている。だが「子羊肉」にも共通する羊肉独特の風味はきちんと残っている。もしかすると熟成肉なのかとも思ったが確認しなかった。
焼きソーセージを頼んだ妻が、僕の皿の羊肉の一切れをフォークで自分のそれに移して味見をした。僕らはお互いに違う料理を頼んでは2人で分け合うのが習いである。できるだけ多くの種類の地元料理を味わいたいからだ。
妻は羊肉の絶妙な味におどろいて目を丸くしている。おいしい、おいしいと何度も繰り返して言った。そして僕の皿からさらに一切れを取って食べ続けた。
それだけでも驚きだったが、彼女はなんとレストラン通いの最終日にどうしてももう一度味わいたい、と言って今度は自ら焼き羊肉を注文したのだ。
羊肉がむしろ嫌いな部類の女性である妻の反応だけを見ても、その料理がいかに目覚ましいものであったかが分かってもらえるのではないかと思う。
羊(及びヤギ)の成獣の肉料理は僕の中では、これまでカナリア諸島で食べた一皿が一番の味だった。が、今回のサルデーニャ島の焼き羊肉がそれを抑えてあっさりとトップに躍り出た。
それは飽くまでも羊(及びヤギ)の「成獣の肉」の味である。成獣よりも上品でデリケートな味わいのある「子羊の肉」は一体どんな素晴らしい味がするのだろう、と考えるとわくわくする。
僕は再三、今度は子羊料理の旬だという晩秋から春の間に、サルデーニャ島を訪ねようと決意したほどである。
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