古海軍地図600


イタリア本土の魚料理とサルデーニャ島の魚料理の在り方は、見ようによっては極めて植民地主義的な関係である。つまり力のある者、経済的優位に立つ者、多数派に当たる者らが、弱者を抑え込んで排斥したり逆に同化を要求したり、また搾取し、支配することにも似ている。多数派による数の暴力あるいは多勢に無勢、などとも形容できるその関係は料理に限ったことではなく、両者の間の政治力学の歴史を踏襲したものである。

ごく簡略化してサルデーニャ島の歴史を語れば、同島は先史時代を経て紀元前8世紀頃にフェニキア人の植民地となり次にはカルタゴの支配下に入る。支配者の彼らは今のレバノンやチュニジア地方に生を受けた、いわゆるアラブ系の民族だ。紀元前3世紀には島はローマ帝国の統治下に置かれたが、8世紀初頭には多くがイスラム教徒となったアラブ人の侵略を再び受け、長く支配された。

島はその後スペインやオーストリアなどの欧州列強の下におかれ、やがてイタリア王国に組み込まれる。そして最後にイタリア共和国の一部となるのである。そのようにサルデーニャ島の歴史は、欧州文明の外に存在するアラブ系勢力の執拗な侵略と統治を含めて、一貫して植民地主義の犠牲者の形態を取ってきた。

サルデーニャ島の魚料理の変遷を政治的なコンセプトに重ねて見てみると、そこには多数派と少数派の力関係の原理あるいは植民地主義的な状相があることが分かるのである。或いはそこまで政治的な色合いを込めずとも、多勢に無勢また衆寡敵せずで、少数派の島人や島料理が多数派の本土人や本土料理に押され、詰め寄られ、凌駕されていく図が見える。

そうした現実を進化と感じるか、逆に屈辱とさえ感じてしまうかは人それぞれだろうが、島本来のレシピや味も維持しつつ、イタリア本土由来の料理も巧みに取り込んでいけば、島の食は今後もますます発展していくだろう。島国根性に縛られている「島人」は、"島には島のやり方があり伝統がある”などと、一見正論じみた閉塞論を振りかざして、殻に閉じこもろうとする場合がままある。

島のやり方は尊重されなければならないが、それは行き過ぎれば後退につながりかねない。また伝統が単なる陋習である可能性にも留意しなければならない。特に食に関しては、「田舎者の保守性」という世界共通の行動パターンがあって、都会的な場所ではないところの住民は、目新しい食物や料理に懐疑的であることが多い。日本の僻地で生まれ育った僕自身も実はその典型的な例の1人である。

植民地主義的事象は世界中に溢れている。それは差別や偏見や暴力を伴うことも多いやっかいな代物だが、世の中に多数派と少数派が存在する限り植民地主義的な「不都合」は決してなくなることはない。少数派は断じて多数派の横暴に屈してはならないが、多数派が多数派ゆえに獲得している可能性が高い「多様性」や「進歩」や「開明」があるのであれば、それを学び導入する勇気も持つべきである。

同時に多数派は、多数派であるが故に自らが優越した存在である、という愚劣な思い上がりを捨てて、少数派を尊重し数の暴力の排斥に努めるべきだ。これは正論だが実現はなかなか難しい要求でもある。なぜなら多数派が、多数派故に派生する数の力という「特権」を自ら進んで放棄するとは考えにくいからだ。それは多数派の横暴が後を絶たない現実を見れば明らかだ。

それに対しては、少数派の反発と蜂起が続いて対立が深まり、ついには暴力が行使される事態にまで至る愚行が、世界中で飽きもせずに繰り返されている。そうしたしがらみから両者が解放されるためには、堂々巡りに見えるかもしれないが、やはり植民地主義の犠牲になりやすい少数派が立ち上がり声をあげ続けるしかない。なぜなら多数派の自発的な特権放棄行為よりも、少数派の抗議行動の方がより迅速に形成され実践されやすいからだ。

サルデーニャの食に関して言えば、イタリア本土の料理のノウハウを取り込みつつサルデーニャ食の神髄や心を決して忘れないでほしい。それは島人が意識して守る努力をしなければ、多数派や主流派の数の洪水に押し流されてたちまち消え去ってしまう危険を秘めた、デリケートな技であり概念であり伝統であり文化なのである。

20年前とは格段に味が違うサルデーニャ島の魚介料理、中でも海鮮ソースパスタに舌鼓を打ちつつ、また同時に20年前にはほとんど知らなかった島の肉料理のあっぱれな味と深い内容に感動しつつ僕は、突飛なようだが実はありふれた世の中の仕組みに過ぎない植民地主義や植民地メンタル、あるいは多勢に無勢また数の横暴などといった、面倒だがそれから決して目を逸らしてはならない事どもについても思いを馳せたりした。



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