Tegole連なり+花+海遠景800
サルデーニャ島のテラコッタの屋根と沖縄の赤瓦の屋根はあまり似ていないかもしれないけれど・・


イタリアのサルデーニャ島は、一見すると「本土から遠く離れた明るいリゾート地」という沖縄と良く似たポジティブな一面を持つ。

それでいながらサルデーニャ島には、もっと深刻な部分でも沖縄との類似点が多い。

サルデーニャ島は、古代からアラブ人を含む多くの力に支配された後、18世紀にイタリア本土のピエモンテを本拠とするサヴォイア公国の支配下におかれた。

琉球王国と称したかつての沖縄が、本土の島津藩に支配された史実と「表面上」は同じなのである。

もっともサルデーニャ島は沖縄島(琉球王国)と違って独立国だったことは一度もないが。

サルデーニャ島を獲得したサヴオイア家のサヴォイア公国は、以後自らの領土を「サルデーニャ王国」と称した。

国名こそサルデーニャ王国になったものの、しかし、サルデーニャ王国の本拠地はイタリア本土のピエモンテであり、首都も現在のピエモンテ州都と同じトリノだった。

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加えて王国の一部であるサルデーニャ島民は、サヴォイア家を始めとする権力中枢からは2等国民と見なされた。


1861年、支配者のサヴォイァ家がイタリア統一を成し遂げたため、サルデーニャ島は自動的に統一イタリア王国の一部となった。

しかし「依然として」サルデーニャ島は、イタリア本土のエリート階級にとっては、異民族にも見える特殊なメンタリティーを持つ人々が住む、低人口の「どうでもよい」島であり続けた。

それは第2次大戦後イタリアが奇跡の経済成長を成し遂げた時代になっても変わらず、サルデーニャ島民の不満が募った。

結果、島には一時期イタリアからの独立を求める動きが活発化した。全体の
41%ものサルデーニャ島民が、イタリアからの独立に賛成、という統計さえある。

深刻な独立運動は現在は下火になったが、サルデーニャ島にはイタリア駐在NATO軍全体の60%にも当たる部隊が置かれ、イタリア本土との経済格差も大きいことなどが常に島民を苛立たせる。

不当な扱いを受けながらも深刻な独立運動が影を潜めているのは、イタリア本土由来の経済発展が島にも徐々にもたらされている現実があるからだ。

米軍基地の過重負担と中央権力及びメディアによる構造的差別に悩まされながらも、経済発展という目先の利益も無視できない沖縄のジレンマとうり二つなのである。


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