スイス国旗
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さて、またサルデーニャ島にまつわる話。20年ぶりにサルデーニャ島を訪ねてからほぼ3か月が経ったが、島の魅力に取り憑かれて、あたかも魂がまだ滞在先の海岸付近をさ迷っている、というふうである。
 
サルデーニャ島は既述のように古代からイタリア本土とは異なる歴史を歩んできた。それゆえにサルデーニャ島人は独自のアイデンティティー観を持っていて、自立・独立志向が強い。

ローマ帝国の滅亡後、イタリアでは各地が都市国家や公国や海洋国家や教皇国などに分かれて勝手に存在を主張していた。

そこでは1861年の統一国家誕生後も、独立自尊のメンタリティーが消えることはなく、それぞれの土地が自立あるいは独立を模索する傾向がある。

サルデーニャ島(州)もそのうちの一つである。だが同島の場合、島だけで独立していたことはない。アラブやスペインの支配を受けた後、イタリア半島の強国の一つピエモンテのサヴォイア公国に統治された。

現在はイタリア共和国の同じ一員でありながら、サルデーニャ島民が他州の人々特にイタリア本土の住民とは出自が違いルーツが違う、と強く感じているのは島がたどってきた独自の歴史ゆえである。

1970年代には38%のサルデーニャ島民が独立賛成だったが、2012年のカリアリ大学とエジンバラ大学合同の世論調査では、41%もの島民が独立賛成と答えた。その内訳は「イタリアから独立するが欧州連合(EU)には留まる」が31%。「イタリアから独立しEUからも離脱する」が10%だった。

今日現在のサルデーニャ島には深刻な独立運動は存在しない。だが統計からも推測できるように、島では政党等の指導による独立運動が盛んな時期もあったのだ。そして島の独立を主張する政党は今も10以上を数える。

それらの政党にかつての勢いはなく、2018年現在のサルデーニャ州の独立運動は、個人的な活動とも呼べる小規模な動きに留まっているのがほとんどである。

その中にはイタリアから独立し、且つEU(欧州連合)からも抜け出してスイスへの編入・統合を目指そうと主張するユニークなグループもある。

荒唐無稽に見える言い分は、それをまさに荒唐無稽ととらえる欧州や世界の人々の笑いと拍手を集めたが、僕の目にはそれは荒唐無稽とばかりは言えないアイデアに映る。

その主張は、イタリア本土から不当な扱いを受けてきたと感じている島人たちの、不満や恨みが発露されたものだ。イタリア本土の豊かな地域、特に北部イタリアなどに比較すると島は決して裕福とは言えない、

経済的な不満も相まって、島民がこの際イタリアを見限って、同時に、欧州連合内の末端の地域の経済的困窮に冷淡、と批判されるEUそのものさえも捨てて、EU圏外のスイス連邦と手を組もう、というのは面白い考えだ。

ただスイスと一緒になるためには、先ずイタリアからの分離あるいは独立を果たさなければならない。これは至難の業だ。イタリア共和国憲法は国内各州の分離・独立を認めていないからだ。

仮に分離・独立できたとすると、スイスは喜んでサルデーニャを受け入れるかもしれない。なにしろ自国の半分以上の面積を有する欧州の島が、一気にスイスの国土に加わるのだから悪くない話だ。

しかも島の人口はスイスの5分の一以下。サルデーニャの一人当たりの国民所得はスイスよりはるかに少ないが、豊かなスイス国民は新たに加わる領土と引き換えに、島民に富を分配することを厭わないかもしれない。

スイスとサルデーニャ島は全くのあだびと同士ではない。それどころか同じ欧州の一員として文化も国民性も似通っている部分も多い。スイスの一部ティチーノ州は、イタリア語を話す人々の領地でさえあるのだ。

島は少なくとも、現在欧州全体の足かせになっている、大半の難民・移民の出身地であるアフリカや中東ではないから、スイス国民も受け入れやすいだろう。

海のないスイスに、美しいティレニア海と暖かで緑豊かなサルデーニャ島が国土として加わるのだ。何度でも言うがスイスにとっては少しも悪くない話だ。

スイス政府は隣国イタリアの内政問題だとして、サルデーニャ島からのラブコールには沈黙を押し通している。

それは隣国に対する礼儀だが、敢えてノーと言わずに沈黙を貫き通していること自体が、イエスの意思表示のように見えないこともないのである。


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