コロンバ



父が101歳で逝った。天命を全うしたという意味では大往生、と言っても構わないのだろうが、大往生の条件である安らかで後悔のない人生を送ったかどうか、については僕にはかすかな疑問が残る。

葬儀のため急ぎ一時帰国した。実は年末から年始にかけて家族4人で父を見舞う計画を立てていた。ここ数年は父は、健康長寿とは言いがたい体調に苦しんでいた。イタリアで12月の出発を待っているまさにその時に訃報が入った。

父が妹の介護を受けながら住んでいた、故郷の島を家族4人で訪ねる計画は予定通り行うことにして、取り急ぎ僕だけがひとり帰国した。妻と息子たちを愛した父はもういないが、辺鄙な小さな島を訪問する彼らを父は喜ぶだろう。

父を訪ねる旅には、妻を慰労する意味合いもあった。妻は近年は自らの母親と、妻以外には身内のいない叔母の介護に明け暮れてきた。が、ことし6月に2人が相次いで他界してそこから解放された。1人娘の妻は、難しい性格だった2人の老婆に翻弄されながら、良く両者の面倒をみた。

妻側の2人の老婆に似て、父も難しい性格の人だった。難しい性格とは、年老いた者がひんぱんに見せるわがままや、怒りや、固陋などが、老年ゆえに出てきた瑕疵ではなく、若い時分からの地の性格が悪化したもの、という意味である。

妻と妹はそれぞれの困難を長きにわたって切り盛りし、よく耐え、また老人たちを支えてかいがいしく面倒を見た。そして3人とも最後には、介護者の妻と妹に深く感謝しながら旅立った。

ちなみに、僕が大往生と手放しで喜べない父の晩年の少しの不幸は、難しい性格ゆえのストレスや不安な健康状態などにあるのではなかった。それは田舎にいながら政治に関わった過去と人間関係から生まれた不都合だった。

また政治以外の人間関係でも父は幸運とは言えなかった。それは父自身が招いた隙意だったが、その相手が示した差し合いは父の失敗をはるかに上回るものだった。そうしたことに僕は父の不幸を見るのである。

それらは僕の人生にも大いにかかわりのある事案だから、この先徐々に書いていこうと思う。今は生々しくて書くことにためらいがある。

とまれかくまれ、母に続いて逝った父を最後に、妻の両親を含む僕ら夫婦双方の親世代の家族の人々がこの世から全ていなくなった。それは寂しく感慨深い出来事である。

生きている親は、身を挺して死に対する壁となって立ちはだかり、死から子供を守っている。だから親が死ぬと子供はたちまち死の荒野に投げ出される。次に死ぬのはその子供なのである。

親の存在の有難さを象徴的に言ってみた。だがそれは単なる象徴ではない。先に死ぬべき親が「順番通り」に実際に逝ってしまうと、子供は次は自分の番であることを実感として明確に悟る。

僕自身が置かれた今の立場がまさにそれである。だが人が、その場ですぐに死の実相を知覚するのかといえば、もちろんそんなことはない。

死はやがて訪れるものだが、生きているこの時は「死について語る」ことはできてもそれを実感することはあり得ない。

人は死を思い、あるいは死を感じつつ生きることはできない。「死を意識した意識」は、すぐにそのことを忘れて生きることに夢中になる。

100歳の老人でも自分が死ぬことを常時考えながら生きたりはしない。彼は生きることのみを考えつつ今を生きているのである。

まだ元気だった父を観察して僕はそのことに確信を持った。父は100歳の手前で残念ながらほとんど何も分からなくなったが、それまでは生きることを大いに楽しんでいた。

楽しむばかりではなく、生に執着し、死を恐れうろたえる様子さえ見せた。潔さへの憧憬を心中ひそかに育んでいる僕は、時として違和感を覚えたほどだ。

ともあれ、死について父と語り合うことはついになかったが、僕は人が「死ぬまで生き尽くす」存在であるらしいことを、父から教わったのである。



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