イタリアのサルデーニャ島は古代からイタリア本土とは異なる歴史を歩んできた。それゆえにサルデーニャ島人は独自のアイデンティティー観を持っていて、自立・独立志向が強い、ということも何度か言及した。
ローマ帝国の滅亡後、イタリアでは半島の各地が都市国家や公国や海洋国家や教皇国などに分かれて勝手に存在を主張していた。
そこでは1861年の統一国家誕生後も、独立自尊のメンタリティーが消えることはなく、それぞれの土地が自立あるいは独立を模索する傾向がある。あるいはその傾向に向かう意志を秘めて存在している。
サルデーニャ島(州)ももちろんそうした「潜在独立国家」群の一つ。だが同島の場合、島だけで独立していたことはない。イタリア共和国に組み込まれる以前はアラブやスペインの支配を受け、イタリア半島の強国の一つピエモンテのサヴォイア公国にも統治された。
現在はイタリア共和国の同じ一員でありながら、サルデーニャ島民が他州の人々、特にイタリア本土の住民とは出自が違いルーツが違う、と強く感じているのは島がたどってきた独自の歴史ゆえである。
抑圧され続けた歴史への怨恨と島人としての誇りから、サルデーニャ島の人々は、独立志向が強いイタリア半島の各地方の中でも特に、イタリア共和国からの独立を企てる傾向が強いと見られている。
1970年代には38%のサルデーニャ島民が独立賛成の意思を示していた。また2012年のカリアリ大学とエジンバラ大学合同の世論調査では、41%もの島民が独立賛成と答えた。
その内訳は「イタリアからは独立するものの欧州連合(EU)には留まる」が31%。「イタリアから独立しEUからも離脱する」が10%だった。
今日現在のサルデーニャ島には深刻な独立運動は存在しない。しかしそれらの統計からも推測できるように、島には政党等の指導による独立運動が盛んな時期もあった。そして島の独立を主張する政党は今でも10以上を数えるのである。
それらの政党にかつての勢いはなく、2019年現在のサルデーニャ州の独立運動は、個人的な活動とも呼べる小規模な動きに留まっているのがほとんどだ。
その中にはイタリアから独立し、且つEU(欧州連合)からも抜け出してスイスへの編入・統合を目指そう、と主張するユニークなグループもある。なぜスイスなのか、と考えてみると次のような理由が挙げられそうだ。
独立を目指すサルデーニャ島民の間には、先ずイタリア本土への反感があり、そのサルデーニャ島民を含むイタリア共和国の全体には欧州連合(EU)への不信感がある。最近イタリアに反EUのポピュリスト政権が誕生したのもそれが理由の一つだ。
イタリア本土とEUを嫌うサルデーニャ島が、欧州内でどこかの国と手を結ぶとするなら、非EU加盟国のスイスとノルウェーしかない。バルカン半島の幾つかの国もあるが、それらは元共産主義圏の貧しい国々。一緒になってもサルデーニ島にメリットはない。
さて、スイスとノルウェーのどちらがサルデーニャにとって得かと考えると、これはもう断然スイスである。金持ちで、EU圏外で、しかも永世中立国。さらに国内にはティチーノ州というイタリア語圏の地域さえある。このことの心理的影響も少なくないと思う。
ノルウェーもリッチな国だが豊かさの大半は石油資源によるもの。石油はいつかなくなるから将来性に不安がある。また人口も約500万人とスイスの約800万人より少ない。従って後者の方が経済的にも受け入れの可能性が高い、など、など、の理由があると考えられる。
仮に島が分離・独立を果たしたとする。その場合にはスイスは、あるいは喜んでサルデーニャを受け入れるかもしれない。なにしろ自国の半分以上の面積を有する欧州の島が、一気にスイスの国土に加わるのだから悪くない話だ。
しかも島の人口はスイスの5分の一以下。サルデーニャの一人当たりの国民所得はスイスよりもはるかに少ないが、豊かなスイス国民は新たに加わる領土と引き換えに、島民に富を分配することを厭わないかもしれない。
スイス政府はこれまでのところ、サルデーニャ島からのラブコールをイタリアの内政問題だとして沈黙を押し通している。それは隣国に対する礼儀だが、敢えてノーと言わずに沈黙を貫き通していること自体が、イエスの意思表示のように見えないこともない、と僕は思う。
ただスイスと一緒になるためには、島は先ずイタリアからの分離あるいは独立を果たさなければならない。イタリア共和国憲法は国内各州の分離・独立を認めていないからだ。分離・独立を目指すならサルデーニャ島は憲法を否定し、従ってイタリア共和国も否定して、武力闘争を含む政治戦争を勝ち抜く必要がある。これは至難の業だ。
分離・独立の主張は、イタリア本土から不当な扱いを受けてきたと感じている島人たちの、不満や恨みが発露されたものだ。イタリア本土の豊かな地域、特に北部イタリアなどに比較すると島は決して裕福とは言えない、
経済的な不満も相まって、島民がこの際イタリアを見限って、同時に、欧州連合内の末端の地域の経済的困窮に冷淡、と批判されるEUそのものさえも捨てて、EU圏外のスイス連邦と手を組もうというのは面白い考えだと思う。
ただし誤解のないように付け加えておきたい。スイスへの編入・統合を主張しているのは今のところ、サルデーニャ島の島民の一方的な声である。片思いなのだ。しかも声高に言い張るのは、これまた今のところはサルデーニャ島民のうちの極く小さなグループに過ぎない。
面白いアイデアながらグループの主張には僕はは違和感も覚える。つまり彼らが独立を求めるようでいながら、最終的には独立ではなく、イタリア本土とは別のスイスという「新たな従属先」を求めているだけの、事大主義的主張をしている点だ。どうせなら彼らは独立自尊の純粋な「独立」を追求するべきだ。
僕はサルデーニャ島の独立にも、そこに似た日本の沖縄の独立にも真っ向から反対の立場だが、「独立を志向する精神」には大賛成だ。島に限らず、国に限らず、人に限らず、あらゆる存在は「独立自尊」の気概を持つべき、というのが僕の立場だ。そしてそういう考えが出てくるほどの多様性にあふれた世界こそが、理想的な「あるべき姿」だと考える。
「イタリアを捨ててスイスに合流する」というサルデーニャ島民の荒唐無稽に見える言い分は、それをまさに荒唐無稽ととらえる欧州や世界の人々の笑いと拍手と喝采を集めた。しかしながら僕の目にはそれは、どうしても荒唐無稽とばかりは言えないアイデアにも映るのだ。
暴力と憎しみと悲哀のみを生みかねない政治闘争の可能性はさておき、海のないスイス連邦に美しいティレニア海と温暖で緑豊かなサルデーニャ島が国土として加わる、というファンタジーは僕の心を躍らせる。スイス連邦サルデーニャ州のビーチで食べるアイスクリームは、あるいはイタリアのサルデーニャ島で食べるそれとは違う味がするかもしれないではないか。
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