天敵瓶up600



心臓の不調で入院し外科手術を受けた。「いのちびろいをした」というほどの深刻な経緯だったが、あまりその実感はない。

退院後2日目の今日、大量の薬を服用しながら、また気のせいか慣れないからか、一抹のひっかかりを感じなくもないが、施術は成功したという医師の言葉を思っている。

2000年代に入った頃からときどき胸が痛むようになった。時間とともに悪化するようなので医者に診てもらった。狭心症の疑いがあると診断された。

心電図、血液検査、負荷心電図等々の検査をしたが何も異常はなかった。痙攣性の狭心症ではないか、という話もあった。

残るのは冠動脈造影検査 、いわゆるカテーテルだった。当時、仕事が忙しくイタリアと日本をせわしなく往復していた。

イタリアでの診察結果を手に日本でも医者にかかった。そこでミリステープ という狭心症治療の貼り薬をすすめられて使用を始めた。すると痛みがなくなった。

ところがイタリアの医者はそれに反対。貼り薬は狭心症の発作が起きないときにもニトログリセリンを供給し続けて体によくない。貼り薬を使うのは早すぎるし年齢が若すぎると指摘された。

数ヶ月使用したあと、発作が起きるときだけ服用する舌下薬・トリニティーナ(ニトログリセリン)を持ち歩くようになった。2003年頃のことである。

時を同じくして禁煙にも成功した。それまで30年近くにわたって一日平均で3箱60本の煙草を吸い続けていた。ある時期は一日7箱を吸う気の狂ったような状況もあった。

禁煙後、胸が痛む発作の回数が急激に減った。それに惑わされて病気は治りつつあると思い込んだ。喫煙が病の一番の原因、と自分が思い込み医者もそう見なす雰囲気になっていた。

そうやって冠動脈造影検査・カテーテルを行うのを先送りにした。

時間とともに発作の回数は減り続け、最近は忘れた頃にやってきて、しかも舌下薬のニトログリセリンを服用しなくても痛みが治まるようになっていた。

そうやって16年余が過ぎた。禁煙もほぼ同じ年数になった。胸の痛みはやはり無茶な喫煙のせいで、もう間もなく完治するだろう、と素人頭で考えているまさにそのとき、重い発作が来た。

入院させられ、検査をし、カテーテルを差し込まれた。冠動脈の3ヶ所が詰まっていてそのうち一ヶ所は重篤だった。少し処置が遅れていればほぼ確実に心筋梗塞を引き起こしていた、と告げられた。

心筋梗塞は心臓の一部が壊死する重大疾患である。最悪の場合はそのまま死亡することも珍しくない。そういう状況なのだから、僕はやはり「いのちびろいをした」と言わなくてはならないのだろうが、どうしてもそこまでの深刻な感じがしない。

病名も明確にされないまま、16年間にわたって発作が収縮し続けた(収縮し続けるように見えた)こと、また今回の発作が死の恐怖を感じさせるような異様かつ巨大なものではなかったこと。

さらにカテーテル検査に続いた「バルーンによる冠動脈形成術」、いわゆる風船療法もスムースに 運んで成功したこと、などが僕の気持ちをどこかでやや呑気にしているようだ。

だがそれらのイベントは、還暦を過ぎた僕の体の状況を断じて楽観的に語るものではない。僕の体は確実に老いて行っている。

一昨年は生まれて始めての入院手術を経験し、昨年末から年始にかけてはひどい食物アレルギー症に襲われた。その問題がまだ解決しないうちに今回の
「事件」が起きた。

それらは少し意外な出来事だった。それというのも、老いにからむ病気の数々は、おそらく70歳代に入ってから始まるのだろうと僕は漠然と考えていた。

そう考えるほどに僕の体はいたって壮健だった。唯一の気がかりだった狭心症疑念も、既述のように無くなりつつあるように見え、その他の不具合も深刻な事態には至っていなかった。

老いとともにやってきて、日々まとわりつくはずの病との共存は、正直にいって
10年ほど先以降の話だろう、とぼんやりと考えていたのだ。

だが、どうやらそれは大きな間違いだったようだ。

嘆いても仕方がない。現実を受容し真正面から見つめながら、この先の時間をすごして行こうと思う。

何だかんだといっても、40歳代や50歳代で逝ってしまった少なくない数の友人たちに比べれば、僕は十分に長く生き、十分に幸運に恵まれているのだから。



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