
最近大きく生活習慣が変わって、夜9時前後にベッドで読書を始め眠気の赴くままに9時半~10時頃には寝てしまう。その代わりに朝は早く、午前5時~6時には起きだして執筆を中心に仕事を始める。
ところが昨夜(4月15日)は19時過ぎからテレビの前に釘付けになった。BBCほかの国際放送が、衛星生中継でパリのノートルダム大聖堂の火災の模様を逐一伝え始めたからだ。
ユーロニュース、アルジャジーラ、BBC3局の衛星中継放送をリモコン片手に行き来したあと、結局BBCに絞って、火の勢いが衰えた12時近くまで熱心に見入った。
大ケガをした消防隊員を除けば死者や負傷者はいなかったものの、大惨事と形容しても構わないだろう火災の推移をつぶさに見ながら考えたことの一つは、火災は事故なのかテロなのか、という疑問だった。
その疑問にとらわれつつ、5月の欧州議会選挙を控えたこの時期の出来事だから、おそらくフランス極右「国民連合」のマリーヌ・ルペン党首は、火災がイスラム過激派のテロであってほしい、と心中で痛切に願っているだろうと思った。
そして彼女に呼応して、ここイタリアの極右政党「同盟」のサルヴィーニ党首もそれを切望しているに違いない、などとも考えた。
2人ともまさか大聖堂の火災を喜んではいないだろうが、起きてしまった悲劇を政治利用することは恐らくいとわないだろう。政治家のほとんど全てがそうであるように。
僕は学生時代の遠い昔にノートルダム大聖堂を訪れている。その記憶は僕の中では、後に仕事でもプライベートでもさんざん訪問したミラノのドゥオーモと並んで、だが、ドゥオーモよりもはるかに小さく薄い印象で脳裏に刻み込まれている。
大聖堂とドゥオーモを連想するのは、いうまでもなく両者が甲乙つけがたいゴシック様式の大建築物だからである。どちらも息をのむように美しく威厳のある建物だが、時代が新しい分ドゥオーモのほうが大きい印象だ。後発の建物には、先発の同種のものの規模を凌ぎたい人の気持ちがしばしば反映される。
ところが災に呑み込まれた凄惨な姿でふいに目の前に現れた大聖堂は、ミラノのドゥオーモを凌駕する巨大な、だが重い憂いを帯びた存在となって僕の記憶蓄積の中に聳え立った。
やがてそれはそのままの姿でミラノのドゥオーモを気遣う僕の心に重なった。つまり僕は卑劣・不謹慎にも、火災がミラノで起きていないことに密かに胸をなで下ろすような気分になっていたのだ。
断じて火災を喜ぶのではないが、いわば他人の不幸が身内に起きなかったことをそっと神に感謝するような、独善的な心の動きだった。それだけミラノのドゥオーモが僕にとって近しい存在だということだが、それは決してエゴイズムの釈明にはならない。
そういう心理は、ルペン党首やサルヴィーニ党首が、イスラム教徒系移民に対する有権者の憎しみをあおって選挙戦を有利に進めたい思惑から、大聖堂の火災がどうせならイスラム過激派のテロであってほしい、と願う陋劣と何も違わない。
そのことを十分に知りつつも、僕は湧き起こったかすかな我執を制御することができずに戸惑ったりもした。
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