
前記事「奇妙なカップル」を読んだ読者から安倍晋三さんを弓削道鏡(ゆげのどうきょう)にたとえるのはけしからん、という趣旨のメッセージをいただいた。
安倍ファンのその方は、道鏡が平将門、足利尊氏と共に日本3大悪人の1人に数えられていることから、安倍さんを彼になぞらえるのが面白くないらしい。
歴史上の3人の人物が悪人とされるのは、戦前の日本の軍国主義体制の核心を成した皇国史観、つまり歴史が天皇を中心に形成された、という非科学的な考えによって断罪されたものである。
3人は天皇に背いた或いは天皇の座をおびやかした者として、極右国粋主義の権力中枢によって 指弾 され、当時の無知且つ大勢迎合主義の民衆が支持した結果確立したように見える虚偽である。
先日退位した平成の天皇に安倍さんが盾ついた事実と、即位した新天皇を取り込もうと画策しているとされる噂は、安倍首相を反天皇主義者と決め付ける十分な証拠となりうるかもしれない。
ところが安倍さんは、極右の政治家という海外メディアの規定を持ち出すまでもなく、保守強硬論に基づく政治行動が身上の男だ。つまり体質的に皇国史観を信奉していてもおかしくない種類の政治家である。
そう考えてみると、安倍さんは天皇を崇拝しつつ天皇に背くことも辞さない政治家、という見方も当たりそうである。矛盾しているがそれもまた安倍さんの体質であり政治手法なのだから当然の成り行きではある。
閑話休題
ここから先は、多くの人が架空無稽な話、と一蹴することも承知であえて書き記しておくことにした。
実は僕は、安倍さんが道鏡のように天皇になりたい意思を秘めた男だとは考えない。だがたとえば安倍一強体制とか安倍独裁などと呼ばれる今のような政治状況が、さらに長く続くと考えてみると様相が違う可能性も出てくる。
その暁には安倍首相の周囲がもっとさらにイエスマンで固められて、彼の驕りは膨張し、祭り上げられ、唯我独尊の思いが極限にまで達するだろう。そこに国内の政治変動や世界規模の恐慌などが起きたと仮定する。
動乱に乗じて、あるいは自然の流れで安倍さんが文字通りの独裁者となり、天皇制を廃して自らが天皇となる体制、あるいはそれに準ずる政治体制を敷いて我が世の春を謳歌する、という事態が絶対に起こらないとは誰にも断言できない。
バカバカしいと考える者は天皇の成り立ちを思い出せばいい。天皇は神話的存在でもあるがその成り立ちは決して神話ではない。国の前身とも呼べる種族群雄が割拠して万族が万族を殺そうと競い合っていた有史以前の混沌の中で、周囲を平定したボスを祖先に持つのが天皇であり天皇家である。
天皇が天皇家の長として権力を受け継ぐ体制がそこから生まれた。以後、権力闘争や下克上や混乱の中での入れ替わりや成りすましや様々の流転変遷を経て、天皇は神となり絶対の存在となっていった。
真の革命が起きなかった日本では天皇の神聖は常に保たれ、それに挑む者が逆賊と見なされる社会体制が形成された。それはずっと後の皇国史観によって強調されて、天皇の地位を脅かす者の存在を考えることさえできない状況に至った。
やがて第2次世界大戦という巨大な世直しがやってきて天皇は普通の人になった。普通の人になった天皇だが、平成の明仁天皇という「人間力」の優れた陛下の努力も相まって、天皇は神あるいはそれに準ずる存在としてではなく、飽くまでも普通の「人間として」深く敬愛される存在になった。
一方で天皇を神として崇める土着日本人の古代的精神も根底でしっかりと生き延びた。昭和天皇が人間宣言をしても、天皇を神と崇める原始土着の蒙昧な人心は変わらなかったのである。そうやって自らと同じ人間である天皇を、神に近い存在、ととらえる未開稚拙な心根は温存された。
代変わりの今日、国民大半の偶像崇拝心と人間力あふれた平成の天皇への深い敬慕の情が相まって、新天皇と天皇家への忠誠心はかつてないほどに高まっている。そんな中では天皇への挑戦など考えられない。だから安倍さんが天皇に反旗を翻すなどというのは荒唐無稽な妄想、と結論づけられても少しも不思議ではない。むしろ当然の成り行きである。
安倍さんに関してはもちろんその通りだろうと僕も思う。だが天皇という存在があって、天皇制という仕組みが日本の国体を規定しているのだから、歴史に鑑みてその実体と正体とひいては真理とをひもとき、且つそれらによって形成された神話にも目を向けてみる必要がある。
既述したように天皇は神話だが、その神話は実体のある武力闘争と政治闘争を経て形成されたものだ。そして権力者として望月が欠ける状況も知らない程に我が世の春を満喫しまくるらしい安倍さんは、政治闘争の真っただ中にあって、状況が許せば武力闘争も辞さない本質を持った政治家であり指導者であることを忘れてはならない。
つまり安倍さんは、天変地異とも呼ぶべき動乱や事件が起きて日本と世界の現体制がひっくり返る場合、天皇にさえ挑もうとする多くの野心家の先頭を切って突っ走る類の「政治的存在」であろうことは、疑う余地がない。天皇の地位に挑もうとする日本人が実際に生まれる可能性は、おそらく女王の地位に挑もうとする英国人の存在の可能性よりも、1億倍程度は低いと思うけれど。
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