則土左衛門800



バカンスあるいは休暇とは「“何もしない”ということをする」ことである。“何もしない”行為はいろいろあるだろうが、僕の場合はビーチパラソルの下で寝椅子に横たわって日がな一日読書をすること、である。

若い頃は一日中釣りをしたり、泳いだり、わざと日光浴をして肌を焼いたりもした。ロンドンでの学生時代、湿った環境に侵されて肋膜炎にかかり、以来日差しを浴びることが健康に欠かせなくなったからだ。

最近は読書以外にビーチですることといえば、朝早い時間に妻に伴ってする散歩ぐらいである。肋膜炎の後遺症が癒えてからは日光浴さえしない。日光浴どころか、直射日光を避けてパラソルの影を求めて、寝椅子を移動してはひたすら文字を追う。

それでも反射光で十分以上に日焼けもすれば暑気も感じる。暑気がよほど我慢ができなくなれば、5分~10分ほど海に入って、仰向けに横たわって水に体をあずける。地中海の塩分濃度は濃い。面白いように体が水に浮く。

地中海は広大だが、狭隘なジブラルタル海峡で大西洋と結ばれる以外は閉ざされている。そのために塩分濃度が濃い。それは大西洋から離れた東に行くほど顕著になる。僕は地中海以外には閉じられた海を知らない。子供のころから親しんだ海は太平洋であり東シナ海だ。

それらの海でも人の体は水に浮く。だが塩分濃度の濃い地中海ではもっと浮く。あるいは黙って仰向けに横たわり、漂いつつ波を受けても体は沈まない。僕の生まれた島の海では、波が来れば水を被って五体は沈む。地中海では浮揚感が面白くて僕は子供のように波間を漂う。

今回は生まれて初めて海水に漬かった体を洗わず、つまり塩分を皮膚にまとわりつかせたまま一日を過ごし、そのまま就寝したりもした。それは妻の健康法である。あるいは彼女が健康に良い、と信じて若いころか実践しているバカンスでの過ごし方だ。

僕はもの心ついたころから真水で海水を洗い流さなければ気がすまない性質だ。体中がむず痒く、気のせいか肌が熱を帯びるようにさえ思う。真水で体をすすがなければとても眠れない。ところが今回思いきって妻のやり方を真似てみたら意外にも爽快だ。

むず痒くもなく熱っぽい感じもなかった。塩分濃度の高い海水だから、乾いたあとの塩気も強いはずだ。したがって痒みも不快感もつのるはずなのにむしろ逆である。あるいはサルデーニャ島の空気が日本よりもはるかに乾いていて、夜になると清涼感が増すせいなのかもしれない。

体から海水を洗い落とさずに過ごすことが、実際に健康に良いかどうかはわからない。だが少なくとも不快ではない、という発見はおどろきだった。以前感じていた不快感は、あるいは塩分が肌にもたらすものではなく、子供時代からの「慣れ」がもたらす心理作用に過ぎないのかもしれない。

幾つになっても、何をしてもどこにいても、新しい発見というものがある。日本を離れて海外にいるとなおさらだ。日常でもそうだが、日常を断ち切って旅や休暇に出ると、またさらに新発見の可能性が高まる。陳腐だが、「非日常」の休暇旅はその意味でも重要だ、とあらためて思わずにはいられない。


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