ここに書いた記事の主旨が新聞に転載されたところ炎上したという知らせがあった。炎上とは見方を変えれば、記事が注目されたということだから望むところだ。炎上が怖くてはブログ記事など書いていられない。
ところが今回の炎上は、僕自身への非難というよりも記事を掲載した新聞への非難、という様相が強いということなので少し状況が違う。自分への攻撃なら無視するところだが、僕が原因の攻撃を他者が受けた、ということだから無視していられなくなった。
まずはっきりしておくが、僕は沖縄の独立には反対である。反対どころかそんな主張は笑止だとさえ考えている。また、中国、ロシア、北朝鮮は、それぞれ一党独裁、変形独裁、独裁そのものの、不自由で野蛮で人権無視の怖いゴロツキ国家だと思っている。
それならば、なぜ僕が沖縄独立の可能性を探り、且つそれらのゴロツキ国家を味方につけるべし、などと書いたのかというと、そのような屈辱的で苦しい手段まで編み出して突破口を探らない限り、安倍政権のひたすらの沖縄軽視、いや沖縄蔑視の施策が止むことはないと考えるからだ。
記事に書いた通り沖縄の選挙で米軍基地の辺野古移設ノーの民意が繰り返し出ても、さらに県民投票が同じ結果でも、安倍政権は態度を変えない。変えないどころか、民意をあざ笑うように基地用地作成のために土砂を海に投入する蛮行をくり返している。
それに対抗して沖縄県は何をするのかといえば、政権を糾弾する県民総決起大会の開催、というナントカの一つ覚えのような愚策を繰り出すばかりだ。いやそれ自体は重要なものだ。が、同じやり方を反復し続けることで、残念ながら効果がなくなり愚策と似た結果になる。
同じことの繰り返しでは中央権力は動かない。沖縄は彼らを驚かせ、あわてさせるぐらいの策を打たなければ何も変わらない、という思いからの提案が、僕の沖縄独立模索、中露北朝鮮お友達案だ。
荒唐無稽且つ売国的行為にさえ見えかねないそうした主張をすれば、国民の多くは怒って「勝手に独立しやがれ」と沖縄を突き放す可能性もある。その危険を見越した上で僕はあえて記事を書いた。現に僕のコラムが載った新聞に対しては、ネトウヨヘイト系の反沖縄勢力が口角泡を飛ばして反論をしているという。
ましてや沖縄の為政者らが僕の提案と同様の主張をすれば、事態は紛糾して現在は基地問題などで沖縄に親和的な思いを抱いている人々を失望させ、あまつさえ怒らせて沖縄離れ沖縄ヘイトの風潮が、ネトウヨ・ネットワークの殻を破って一般国民の間にも造成されるかもしれない。
だが、政権中枢はどうだろうか?日本とほぼ常に敵対している中露北朝鮮に沖縄が近づくと知れば、あるいは狼狽して態度を変えるかもしれない。沖縄の為政者は、政権を驚愕させるくらいの「何か」を打ち出さなければ、辺野古問題はこのままずるずると進んで、必ず安倍強権政府の思い通りになる、と僕は危惧する。
そこで、繰り返しになるが、辺野古問題の本質とそれへの対応、という意味もこめて中露北朝鮮さえ味方につけての“沖縄の独立”に言及してみた。独立とは、強い経済と軍隊によって得られる自由のことである。僕は沖縄県にそれが可能とは考えないし、たとえ可能でも沖縄の独立などこれっぽちも望まない。
飽くまでも沖縄「基地問題」を解決する糸口の一つとして、また沖縄への構造的差別に対抗するために、もっと具体的に言えば安倍晋三首相と周囲の権力中枢を慌てさせ、考えを変えさせるための作戦、戦略の一つ、として沖縄独立の“カードを切ってみる”手もあるのではないか、と沖縄地元の為政者に提案してみたかったのだ。
そんな重い提案をしながら、自らの沖縄独立論や中露北朝鮮お友達論は「ハッタリ」だと明かしてしまえば、提案の本気度の底が割れてしまう。だから僕は真意は伏せて、「沖縄の独立には反対の立場だが~」と言うだけにとどめて論を展開した。
さらに言えば、記事を載せた当の新聞もそのことは知っていた。なぜなら僕は寄稿するにあたって、コラムの担当者に記事の真の意味を説明しているからだ。僕は「沖縄独立」という言葉のあまりの重さを軽減する意味で、タイトルを「沖縄独立」ではなく『独立沖縄』としてくれとさえ要請した。
コラム担当記者(編集)には僕は正確に次のように言った:
「タイトルの“独立沖縄論が起きてもいい”に少しこだわりました。普通なら「沖縄独立」と言うべきだと思いますが、あえて「独立沖縄」としました。沖縄独立と言えば文字通り沖縄が政治的現実的に日本から独立する、という意味ですが「独立沖縄」とした場合には、思想的なまたは形而上学的な独立、あるいは精神的な自立、といったニュアンスがこもるように思います。私は沖縄の日本からの独立には真っ向から反対ですが、島の心情的な自立や独立には大いに賛成です。その意味合いをこめています。同時に沖縄の為政者は「沖縄の独立」というカードを辺野古問題打破に使うぐらいの肝を持つべきではないか、とも考えています」
だが担当者は、僕のその要請を無視して“独立沖縄”ではなく「“沖縄独立”論が起きてもいい」と敢えてタイトルを書き換えて記事を掲載した。編集担当の記者が、外部からの投稿記事を改善したつもりで、あるいは改善した振りで書き手の意思を無視し、自らの趣味や主張に合う表現に変えるのはよくあることだ。
古典的な新聞記者のいわば思い上がりに近い態度は、ネットが力を持った昨今も変わらない。多くの場合彼らは新聞に代表される紙媒体の失墜に気づかず、たとえ気づいてもそれを過小評価して、不都合な真実から目を逸らしていたい心理に強く捉えられていたりもする。
閑話休題
記事に対する批判が僕に向けられたものなら、僕は十中八九無視するか、記事の内容をそのまま前面に押し出して反論する。だが今回は批判の主な矛先が新聞社に向けられているとのことなので、内情を説明して庇いたいと考えた。違和感を抱かせる記者も少なくない新聞ではあるが、彼らが理不尽な批判にさらされても構わない、とは僕は考えない。
僕はブログ記事には、中露北朝鮮に加えてアメリカも沖縄の独立の後押しをする可能性がある、と示唆した。だがそれを新聞コラムに転載する際には、紙面の厳しい字数制限があるのでその部分は削除した。その事実も結果として、あたかも中露北朝鮮のみが沖縄の味方になる、というコンセプトを強調する形になった。
新聞を攻撃しているというネトウヨヘイト系のエセ愛国者らは、彼ら自身も黄色人種であることを忘れて、トランプ大統領に代表される「白人至上主義」者らとオトモダチのつもりでバナナ人間、つまり表が黄色で中身が白い滑稽な「白人」になってしまっている者がほとんどだ。
彼ら「黄色い白人」はまた、自らがアジア人であることも完全に失念して、中韓北朝鮮に代表される「アジアの国々と国民」への蔑視またヘイト感情に凝り固まり、何かというとこめかみに青筋を立てて隣国の人々を罵倒する。
アジアの3国にロシアを加えた国々には先にも述べたように、確かに問題が多い。だがネトウヨヘイト系の「反日」人種が蔑視しているのは、その国々の体制ではなく、国民だ。特に中韓北朝鮮の人々へのいわれのない優越感は、見ているこちらが「穴があれば入りたい」と感じるほどに恥ずかしく醜い。
僕は自らを「国際派の愛国者」と規定し、そう主張もしている者だ。その立場から見ると、ネトウヨヘイト系・排外差別主義者の国民や政治家また知識人などは、彼らが他者を攻撃するときに良く使う「反日」勢力そのものだ。
なぜなら彼らはアジア人でありながら白人目線でアジア人を見、そこから来る驕りでアジアと世界に迷惑をかけた過去も忘れて歴史を修正し無視しようと躍起になる。その態度は中韓北朝鮮はいうまでもなく世界の良識ある国々の反発も招く。そうやって日本国を貶めている彼らこそ「反日」勢力に他ならない。
そんな反日のバナナらが、主として中韓北朝鮮への蔑視感情とロシアへの反感から繰り出す罵詈雑言は、あまりにも陳腐で醜悪なために取り合うことさえ愚かしい。だが冒頭で述べたように僕の記事が原因で新聞が叩かれている、と知ったので自分の真意また見解をこうして披瀝しておくことにした。
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