ブドウ園農薬撒き600



世の中にはワイン通と呼ばれる人たちのワインに関するうんちくがあふれているが、ワインは自分が飲んでおいしいと感じるものだけが良いワインであり真にうまいワインである。

ワイン通のうんちくはあくまでもその人の好みのワインの話であって、他人の好きなワインとは関係がない。

ただ一般論として言えば、値の張るワインは質の良いものである可能性が高い。当たり前じゃないかと言われそうだ。

だが、ワインは複雑な流通の仕組みや、金もうけの上手な輸入業者の仕掛け等で値段が高くなることもあるから単純な話ではない。

ここからはうんちく話ではなく、つい最近まで商業用のワインを造っていた妻の実家のワイン醸造現場で、僕が実際に体験してきたシビアなビジネスの話をしたい。

本物の良いワインの値段が張るのは、製造に手間ひまがかかっているからである。同じ土地の同種のブドウを使っても、時間と労力と金をかけると明らかに違うワインが出来上がる。

具体的にいえば、たとえばブドウを搾るときは、葉っぱや小枝の切れ端や未熟の実や逆に熟し過ぎた実や腐った実など、ブドウ収穫時に混じったり紛れこんだりした要素もすべていっしょくたにして機械で絞る。

それでも普通においしいワインができる。自家のワインもそうである。これを上質のさらにおいしいワインにしたいなら、絞る前に葉っぱや小枝などに始まる夾雑物 を除き、ブドウも選別して良いものだけを集める。これには手間と費用がかかるのはいうまでもない。

ブドウの選別という観点でいえば、ブドウの実は古木であればあるほど質が良い。したがって古木の実だけを使ってワインを作ればさらに良いものができる。

だがブドウは古木になればなるほど果実が少ない。古木の実だけでワインを作れば上質のものができるが、大量には作れない。原料費もぐんと高くなる。

従って中々それだけではまかなえないが、一部だけでもその実を混入して醸造すればやはり味が良くなる。だからそれを混ぜて使ったりもする。そうしたことはすべてコスト高につながる。

またワインを熟成させることも非常に費用のかかる工程である。たとえば3年熟成させるということは、ワイナリー内の熟成装置や熟成場を3年間占拠することである。熟成場は借家かもしれない。

借家の場合は家賃がかかる。加えて作業員や酒つくりの専門家も3年間余計に雇わなければならない。それは熟成場が自家のものであっても同じだ。

それだけでも膨大な金がかかる。また3年間熟成させるとは、単純にいえば3年間そのワインを販売することができない、ということである。

つまりワイナリーは3年間収入がないのに、人件費や醸造所の維持や管理を続けなければならない。ワイナリーの負担はふくらむばかりなのである。

ごく単純化して言えば上質なワインとはそのようにして作られるものである。生産に大変な費用がかかっている。ボトル1本1本の値段が高いのがあたり前なのだ。

たとえばうちでは造っていた赤ワインの原料のブドウをもっと厳しく選別して質を向上させたかったが、そのためには多くの資金が要る。それでいつまでも二の足を踏んでいた。

ところがすぐ近くの業者は、同じ地質の畑の同じ種類のブドウを使って、手間ひまをかけた赤ワインを造っていて、値段もうちのワインの5倍ほどした。

そしてそのワインは客観的に見て自家のものよりも質が良かった。この事実だけを見ても僕の言いたいことは分かってもらえるのではないか。

ところでわれわれがワイン造りをやめたのは、醸造所(ワイナリー)を経営していた義父が亡くなったからである。僕が事業を継ぐ話もあったが遠慮した。

僕はワインを飲むのは好きだが、ワインを「造って売る」商売には興味はない。能力もない。それでなくても義父の事業は赤字続きだった。

ワイン造りはしなくて済んだが、僕は義父の事業の赤字清算のためにひどく苦労をさせられた。彼の問題が一人娘の僕の妻に引き継がれたからだった。

この稿は「うんちく話ではない」と僕は冒頭でことわった。それは趣味や嗜好や遊びの領域の話ではなく商売にまつわる話だから、という意味だった。

しかし、ま、つまるところ僕のこの話も見方によってはワインに関する“うんちく話”になったようである。うんちく話は退屈なものが多い。できれば避けたかったが、文才の不足はいかんともしがたい。

最後に、ワインを造るのはどちらかといえば簡単な仕事だ。日本酒で言えば杜氏にあたるenologo(エノロゴ)というワイン醸造の専門家がいて、こちらの要求に従って酒を造ってくれる。

もちろんenologoには力量の違いがあり、専門家としてのenologoの仕事は厳しく難しい。ワイン造りが簡単とは、優秀なenologoに頼めば全てやってくれるから、こちらは金さえ出せばいい、という意味で「簡単」なのである。

ワインビジネスの真の難しさは、ワイン造りではなく「ワインの販売」である。ワイン造りが好きだった義父は、enologoを雇って彼の思い通りにワインを造っていた。だが販売の能力はゼロだった。

だから彼はワイナリーの経営に失敗し、大きな借金を残したまま他界した。借金は一人娘の妻に受け継がれ、僕はその処理に四苦八苦した。それは断じてうんちく話ではない。どちらかといえば苦労譚なのである。



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