女性2人水に浸かって背景にサンマルコ寺院&宮殿800



陸路のイナゴ風大集団

先日ロケでまたベニスを訪れた。そこで異様な光景に出会った。中国人観光客の群れが大型観光バスを連ねて次々にベニスに入り、また出て行くのである。彼らの数の多さに圧倒された。異様とはそういう意味だ。もっとさらに異様な話も聞いた。中国人観光客の重さでベニスの沈下速度が倍加しているのだという。

ベニスは水没しつつある。それは今に始まった問題ではない。周知のようにベニスは遠浅の海に人間が杭を打ち込んで土地を構築・造成し建物を作っていった街だ。地盤が沈下するほどの脆弱な場所に、季節風が送る高潮や海面上昇、またその他の地域特有の問題が重なって、街そのものが沈下を続けているのである。

そんな折に中国人観光客がイナゴ並みの大群で押し寄せて、ベニスは彼らの重みで当初の見込みよりも急速に崩壊し海底に沈降しつつある、というのだ。むろんジョークに違いない。だがそれは、たとえジョークではあっても、事の本質が笑い話とは極めて遠い深刻な内容の風説なのだ。

ベニスには世界中から観光客が押し寄せる。訪問者のあまりの多さに音を上げたベニス当局は、街を訪れる人に入場料を課すと決定した。イタリアの有名観光地の多くはホテルを介して訪問者から観光税を徴収している。ベニスはそれとは別に、日帰りの訪問客を含む全ての訪問者に新税を課すとしたのだ。

その施策の真のターゲットは実は中国人、という噂もこれまたまことしやかにささやかれている。観光で生きているベニスのような街が、(中国人)観光客を締め出す目的で入場料を取るのは矛盾であり、偽善であり、悪政以外のなにものでもない。が、そんなヨタ話が出るほどにベニスへの中国人入域者は多い、ということの証ではある。

大群増加のわけ

ただでも多かったイタリア訪問の中国人観光客の数が、ことし4月以降は爆発的に増えている。イタリアが3月、中国の一帯一路構想への協力を盛り込んだ覚え書きを同国との間に交わしたからだ。そこではインフラや農業またエネルギーなどの取り決めと共に、2020年を両国の観光・文化の年と位置づけることも確認しあった。

それを受けて中国人観光客へのイタリアのビザ承認が簡略化され、中国からイタリアへの直行便が増えるなどした。中国人にとってはイタリア行きが一段と魅力的になったのである。財政難のイタリア政府にとっては、懐の豊かな中国人観光客が増えるのはきわめて喜ばしいことだ。GDPの13%を占めるイタリアの観光業は、中国人の増加で多大な恩恵を蒙るだろう。

だがその他のイタリア国民にとっては、大挙して押し寄せる中国人観光客は必ずしも嬉しいものではないかもしれない。それというのも中国人観光客のマナーの悪さが、ここイタリアでもひんぱんに取り沙汰されるからだ。ベニスで事あるごとに中国人が悪者扱いにされ悪評を立てられるのも、そのことと無関係ではないように見える。

日本イナゴvs中国イナゴ

群れをなして世界中の観光地を掻き回したのはかつての日本人だが、それとは比較にならない数と頻度で世界の名所旧跡を荒らし回るのは、いまや中国人である。それは世界の誰もが知っている事実だろう。

すねにキズを持つ日本人のひとりとしては、中国人を責めるのに気後れがない訳ではないが、人々の批判にうなずかざるを得ないこともある。なにしろ彼らの場合は集団を作る人間の数がケタ違いに違う。少し数を減らしてほしい、とベニスを愛する者として勝手に思ってみたりしないでもない。

中国人旅行者は、数の膨大に加えて既述のようにマナーの悪さを世界各地で指摘されたりもする。傍若無人な群集が観光地に押し寄せれば、彼らの粗野の度合いがますます目立ってしまうから、悪行も誇張拡大されて人々の目に映る。

そういうことが重なって、世界における中国人観光客の野風俗はすっかり悪名高くなってしまった。だが、マナーなどというものは、人々の暮らしが真に豊かになるに従って矯正されていくものだ。われわれ日本人がその生きた証だ。

日本人が昔から清潔好きで日本の集落はどこも衛生的でキレイだった、という神話を騙るネトウヨヘイトつまり民族主義系の人士が最近は多い。日本人であること以外には何も誇るものを持たない彼らは、時を選ばずありとあらゆる場所で「日本ってすごい」と孤独な自己賛美に明け暮れる。

だがそれらのナショナリストの言い分は、手前味噌てんこ盛りの国粋主義的主張に過ぎず、視野狭窄の暗闇に満たされたデタラメ以外のなにものでもない。日本では古来、アニミズム信仰のおかげで、神々が宿るとされる場所が少しは掃除されて清潔になることは確かにあったかもしれない。

しかし、貧しい庶民にとっては身の回りの清潔や潔癖や衛生観念はいつも二の次のコンセプトだった。日々の空腹を満たすことで精一杯の人々にとっては、今この時を生きのびることのみが重要であり、あたりの汚れや不潔な環境を憂う余裕はなかった。空腹で死にかけている者は自他の口臭など気にしない。

日本イナゴの洗練また成長過程

時が過ぎ、1970年代から80年代の高度経済成長期には、農協海外ツアーに代表される日本人の団体が、海外に出かけては人々のひんしゅくを買うようになった。史跡に日本語で落書きをし、旅客機の中で酒盛りをやり、スチュワーデスにセクハラを働き、ワイキキビーチをステテコ姿で歩いた。

1991年には、国土交通省(当時は運輸省)が、外国で批判されたり禁止されている行為などをビデオやパンフレットにして飛行機の中で上映したり、ガイドブックに掲載したりもした。日本人旅行者のマナーの悪さが海外から強く批判されることに危機感を抱いて、国をあげて懸命に対応したのだ。

そうした努力が実って、日本人は世界に通用するマナーを徐々に身につけ、今では世界で最も歓迎される観光客、という評判を得るようにさえなった。だが日本人が海外で“日本人お断り”の洗礼を受け続けていたのは、たった30~40年前のことに過ぎない事実を忘れてはならない。

日本人が昨今の中国人旅行者のマナーの悪さを笑いものにするのはあまりあたらない。中国が経済的にさらに発展して国民の心に余裕が生まれれば、旅を行くおびただしい数の中国人観光客の、衛生観念を含むマナーも必ず向上するだろう。そのことを踏まえた上で、「今このとき」の話をしておきたい。

海路のイナゴ風大集団

最近ベニスではもうひとつの問題も起こっている。巨大クルーズ船が狭い運河で立ち往生したり操船を誤るなどして危険な状況が頻発するのだ。先日は突風にあおられた巨大豪華客船が岸壁に迫って重大な危機を招いた。その少し前にはやはり似たような巨大クルーズ船が、観光客を乗せた地元の小船を道連れにして、桟橋に激突する事故も起きた。

サンサルーテに圧し掛かる巨船原版800
ベニス大運河の入り口付近に迫る巨大クルーズ船

そうした事件は、運河に入る巨大な船の数が急速に多くなったのが原因だ。つまり観光客が増えたのだ。そして最近極端に増えた観光客が中国人。中国人は迷惑だ、と彼らはまたここでも悪者にされている。その悪口をうのみにする訳ではないが、中国人観光客の多さとベニスの危機を思い合わせた時、やはり流言を完全に無視することもできない、という気もする。

海上都市のベニスは現在、イタリア本土と橋で結ばれて列車が乗り入れている。が、元々は街には船でしか入ることができなかった。クルーズ船もそんな船舶の一つだ。列車が街に乗り入れるようになって以降も、豪華客船で旅をする裕福な観光客は絶えることはなく、ベニスの運河にはいつも巨大船の姿が見えた。

悠然と航行する船はかつてはむしろ一幅の絵になる光景だった。だが今は-あらゆる観光旅がそうであるように- 一般大衆がクルーズ船にもなだれ込んで群がり、結果多くの船が野放図にベニスの運河を行き交うようになった。事故やトラブルが後を絶たないのはそれが理由だ。

全てが中国人のせいではもちろんない。だがそうした不都合の大半が中国系の人々の数の暴力によって引き起こされる、と考えるベニス人が増えているのは残念なことだ。決して偽善からではなく、僕は中国人の皆さんに「団体の人数を制御しながらベニス旅をしてほしい」と進言したい。

中国人移民&中華ビジネス

中国人が欧州で目立つのは観光客としてだけではない。中国人移民の数の多さと彼らのビジネスの拡大も強く人目を引く。ここイタリアに限って言えば、中国人はローマやミラノなどの大都市はもちろん、地方都市にまで進出して、特に飲食店などの零細事業の分野で勢力を急激に拡大している。

イタリア北部・ロンバルデア州の田舎にある僕の住む地域でも、駅や繁華街のカフェやバールなどの飲食店の多くが中国人経営に変わり、ニョキニョキと生まれ出る「“中国系”日本レストラン」の数もものすごい勢いで増えている。それらの店は日本レストランと銘打ってはいるものの、経営者や従業員は全て中国人である。

かつて隆盛した中華料理店が消滅して、代わりに日本食レストランが爆発的に増えた。和食の人気が中華食を圧倒したのだ。その機会をとらえて、中国人が日本人を装って日本食を提供し始めた。その実態を知る者にとっては、あまり愉快とばかりはいえない状況だ。再びイタリアだけに関して言えば、今や日本食レストランの9割以上が中国人の店、ともいわれている。

世界第2の経済大国である中国は多くの製品・商品も輸出している。それはかつて世界第2の経済大国だった日本がやってきたことと同じだ。だが2国の間には大きな違いがある。それは中国が物と共に「中国人そのもの」も輸出することだ。しかもその輸出は往々にして中国側の一方的な都合に因っている。

巷にあふれる中国人移民は、常に地元民に歓迎されているとは言えない。例えばミラノでは、無法地帯のようにはびこるチャイナタウンを街ごとミラノ郊外に移してしまおう、という案が検討され実施される直前までいったほどだ。

中国人移民の幸運

そこにアフリカや中東などからの難民・移民問題が勃発した。欧州全体が難民・移民危機におちいった。中でも地中海を隔ててアフリカと隣接するイタリアは、文字通り怒涛の勢いで殺到する難民・移民の巨大津波に飲み込まれて呻吟をはじめた。それは中国人にとってはラッキーな事態だった。

なぜなら中国人移民に向けられていたイタリア国民の不満が、たちまちアフリカ・中東からの難民・移民へと矛先が転じたからだ。今ではイタリア国民の間では、少なくとも「中国人移民は仕事を持っていてしかも働き者。さらにイスラム過激派のようにテロを起こす“中華過激派”も存在しない」と好意的に話す者が増えた。

僕の身近にも少なからずいる中国人移民のそうした幸運を彼らと共に喜びたい。レストランやバールやアジア食料品店などで働く中国人の皆さんとは、僕も親しくさせてもらったりしている。イタリアに来て汗水たらして働いている彼らは、ほぼ全員が善良で気のいい人たちだ。

だが彼らの幸運を中国本土の共産党独裁権力機構、特に習近平国家主席に照らして見れば、彼の「悪運」の強さそのものの現れにも見えて、あまり気分が良いとは言えない。その良くない気分は、残念ながら、ベニスで中国人観光客の大群を目の当たりにする時の心情に似ていないこともない。

政治の風向きが変わるとき

ことし4月以降に大幅に増えた中国人観光客への実害を伴う批判や偏見や憎悪などはしかし、特殊な環境下にあるベニス界隈を別にすれば、あまり目立って増えているようには見えない。イタリアは全国的にまだまだ地中海を経由してなだれ込む難民・移民ショックに心を奪われている状態だ。先日、難民・移民を厳しく規制する連立政権が崩壊して、収まりかけていた難民・移民の流入が再び激化するのではないか、という不安も国民の心中に満ちている。

イタリア国民の中国系移民への関心、また激増する中国人観光客への監視の目は、前述したようにアフリカ・中東からの難民・移民に向けられている分、ゆるやかだ。だがアフリカ・中東からの難民・移民の流入が止まった場合、国民の厳しい目が再び中国人観光客や移民に集中する可能性は極めて高いと思う。

地中海ルートの難民・移民への強硬策を推し進めた連立政権の一翼の「同盟」は、政権崩壊に伴って下野しそうな状況だ。入れ替わりによりリベラルな勢力が政権入りを果たせば、強硬な反移民・難民策は後退するだろう。だが、不安に後押しされた国民が「同盟」の政策の継続を要求することは避けられない状況だ。

つまり、イタリアの寛大な移民・難民政策は終わりを告げた。極右政党「同盟」が押し進めた強硬な反移民・難民策は、より柔軟なものに変わることはあっても、もう決して姿を消すことはないだろう。従ってイタリアが中国人への監視の目を徐々に強めていく可能性はやはり高いと言わざるを得ない。中国人の皆さんはぜひそのあたりの機微に敏感になったほうが得策、と思うのである。


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