『渋谷君

首里城焼失に対しての見舞いのメッセージ、深く感謝します。

“首里城が落城してしまいましたね。戦での敗北ではないものの歴史を想うと胸が痛みます。ご心中、深くお察し申し上げます”

という君の便りによく似たメッセージも、ほかに10件ほど僕に寄せられました。真摯なお気遣いに胸を篤くしつつ僕は戸惑ってもいます。

といいますのも僕は、首里城に対して、それらの厚情に値するほどの愛着を持っているとはとても言えないからです。

首里城は言わずと知れた琉球王国の王家の居城でありアジアの国々と外交、貿易を行った首里王府の司令塔だった建物です。

それはオリジナルではなく、第二次大戦で完全破壊されたものの復元作。レプリカです。とはいうものの紛れもなく歴史的建造物であり従って重要な文化遺産です。

琉球王国の興亡を伝える歴史の証人、とも規定できる首里城ですが、ではその重大な歴史遺産が沖縄の人々の心の拠り所となるような重要な建物か、というと僕には疑問があります。

僕とっての沖縄の誇りとは、破壊されようとしている辺野古の海であり、宮古島や石垣島などに代表される離島の美しい海です。

辺野古に言及すれば政治的物思いのようになってしまいますが、またその意味もなくはありませんが、僕は純粋に沖縄の美しい海を誇りに思い、沖縄生まれの人間としてそれが自分のアイデンティティーだと強く感じるのです。

超ミニチュアの独裁国家だった琉球王国の、圧制者の国王一家のかつての住まいが、僕のアイデンティティーや誇りであるはずがありません。

僕は民主主義以前の国家体制というものに非常に嫌悪感を抱いています。琉球王国というミニュチュアの独裁国家しかり、幕藩体制から明治維新を経て敗戦までの日本国しかり。

世界中にも同様の事例は数え切れないほどあります。近くには中ロ北朝鮮など、非民主主義のならず者国家などもあります。

独裁国家琉球王国への侮蔑感から、僕は首里城も常にひそかに否定してきました。そこには首里城の芸術的価値に対する僕の個人的な評価も少なからず影響しています。

僕は首里城の芸術的価値に関してはひどく懐疑的です。遠景はそれなりに美しいと思いますが、近景から細部はケバいばかりで少しも洗練されていない、と感じるのです。

首里城は巨大な琉球漆器という形容があります。言い得て妙だと思います。首里城には琉球漆器の泥臭さ野暮ったさがふんだんに織り込まれていると思う。

もっとも泥臭さや野暮ったさが「趣」という考え方もあるにはあります。ただそれは「素朴」の代替語としての泥臭さであり野暮ったさです。極彩色の首里城の装飾には当てはまりません。

色は光です。沖縄の強烈な陽光が首里城の破天荒な原色をつくり出す、と考えることもできます。建物の極彩色の装飾は光まぶしい沖縄にあってはごく自然なことなのです。

しかし、原色はそこにそのまま投げ出されているだけでは、ただ泥くさくうっとうしいだけの原始の色、未開の光芒の顕現に過ぎません。

文化と感性を併せ持つ者は、原始の色を美的センスによって作り変え、向上させ繊細を加えて「表現」しなければならないのです。首里城に果たしてそれがあるでしょうか?

そうはいうものの、しかし、首里城を頭ごなしに全否定するのはおそらく間違いという気もまたします。そのあたりが複雑な歴史と独特の文化に彩られた建物の悩ましい特質です。

小なりといえども琉球王国の文化は歴史の一部なのですから無視するべきではないのでしょう。またそれが何であれ歴史的遺物に違いありませんから文化的にも重要です。

従ってできれば首里城は復元されたほうがよい、とは思います。でも僕はやはりそれを沖縄最大唯一の宝であり島々のシンボルでもあるかのごとくに語り、騒ぐ風潮には納得できません。

首里城も大事ですが、たとえば埋め立てで破壊される辺野古の海や、地球温暖化で進むサンゴの白化などに代表される島々の海の危機などが、もっともっと語られ、考慮され、騒がれて然るべきではないか、と思うのです。

以上                          

                                     それではまた』



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