「COVID-19」注射pixabayフリーimage600



《3月初旬執筆記事》

イタリアの感染者が極端に多いのは、ウイルス検査が厳しく実施されているという面もあるが、いずれにしても感染者が多いことには変わりはない。今後欧州の国々で検査が多数行われれば、感染者の数も増えることは必至だろう。

イタリアには世界に先駆けて中国便をシャットアウトした政府の果断な処置を、パフォーマンスを重視しただけの失策、と批判する声もある。それよりも第1号患者を隔離する処置こそ優先されるべきだった、と批判者は言う。それは第1号患者が多くの人にウイルスを移してしまったことへの不満が言わしめる言葉だが、決して間違ってはいない。

とはいうものの、中国便を即座に排除していなければ、イタリアの状況はさらに悪いものになっていただろう。少なくともその措置そのものが悪影響を及ぼした事実はない。第1号患者を隔離しなかったのは、中国便の全面禁止措置とはまた別の論点だ。

批判者はまた、第1号患者が引き起こした集団感染が明らかになるや否や彼の住む町と周辺地域をイタリア政府が直ちに封鎖し、学校や図書館などの公共施設も閉鎖かつレストランやカフェなどの営業も禁止あるいは規制するなどした、スピーディな動きにも不満をもらす。

集団感染が起きたこと自体が、失策だというのだ。だが38歳の第1号患者には中国への渡航歴はなく、従って新型コロナウイルス感染者とは見なされず、普通のインフルエンザ患者として扱われて感染が拡大した。

そのこと自体は決してほめられるべきことではない。が、当時イタリアでは、中国人旅行者夫婦と武漢から帰国したイタリア人若者1人の合計3人が感染確認されているに過ぎず、しかも彼らは集団感染が起きた北イタリアの町からは遠い首都ローマで隔離、治療を受けていた。

そうした状況の中で、後に第1号のCOVID-19患者と判明する38歳の男がインフルエンザらしい症状で入院した。そして不幸にも無防備だった医療スタッフに彼から新型コロナウイルスが移った。のみならず彼は入院以前に既に、彼の妻を含む身近な人々にもウイルスを移してしまっていた。

後に「巨大事件」の始まりだったことが明らかになる北イタリアの小さな町のエピソードと経緯(いきさつ)を、病院のひいては政府の失策と決め付けるのは筋違い、と僕には見える。ジュゼッペ・コンテ政権が、11の自治体を速やかに丸ごと封鎖して戒厳令並みの厳しい監視下に置いたのは、決して間違いではない。

間違いは中国の「一帯一路」構想への政権の対応であり、それは医療や危機管理ではなく政治判断の誤りである。たとえ遠回しにしろ封鎖隔離を批判するのは、その厳しい管制下でじっと我慢をし、今も我慢を続けている5万人の住民への侮辱、とさえ言える。

いわば不可抗力とも言える、第1号患者を発端とする集団感染の拡大とは別に、初動に大きな間違いがあったとすれば、第1号患者にウイルスを移した0号患者がついに発見できなかったことだろう。彼は前者と共に、あるいは彼以上の勢いで人々を感染させた可能性もある。

また、第一号患者のほかに、当時イタリア中に多くいた中国人観光客やビジネスマン、また文化・観光イベント関連の多くの中国人スタッフの中にウイルスに感染した人々がいて、そこからも同時に感染が広まった可能性もある。それらの見えない感染者は全て0号患者である。少なくとも0号患者と同じミステリアスな存在である。

爆発的な感染が次々と発生している今となっては、真の0号患者を含むそれらの「0号患者たち」を確定することはもはや不可能だろう。将来の研究ではあるいは明らかにされるのかもしれないが。ともあれ今この時は、もはや0号患者は重要ではなく、感染爆発の阻止が最大の課題であることは言うまでもない。